○方向性について
 「ゲーム」に関する事にしようと考えている。ただし、これは本当に広すぎる。ここからどう転ぶかは未定。
  絡め方模索中。現在浮上しているのは以下2つの可能性。

1.「RPGゲームにおけるPC(プレイヤーキャラクター)の死の在り方について」
   ゲーム消費者の移り変わりと絡めてみる?

・経緯
  「ゲーム」について掘り下げてみる。「プレイヤー」の受容のしかた。
ライトユーザー層を取り込もうと、最近のゲームは「やさしく」作られているといわれている。それは本当なのか。
死、ひいてはゲームオーバーの在り方について考える事で、少しでもその問いに近づけるのでないだろうか。「難易度」をみる。

 

 ・先行研究文献について
    物語上の「死」について扱った論文はいくつかあるが、難易度について突き詰めたものはない。資料収集中。
  とある仮説がある。
  「ゲームに於ける“死”には、「記号化された死」と「絶対的な死」という2つの“死”が存在する」(※1)
   ⇒ゲーム特有の死は前者(残機)
  「殆どのRPGは“戦闘不能”という概念を用いる事で、同一作品内で「記号化された死」と「絶対的な死」とが混在するという矛盾を解消している」(※2)
   加えて、度々「記号化された死」は出来るだけ「絶対的な死」に見せようとしているという仮説。
→この、“戦闘不能”の概念を見たいが為にRPGを調べる。いきなり死に直結するわけではないが、下手をすると結局死んでしまう?

   

ここでの問題は、どちらかというと全滅した後ではないだろうか。
   以下3つのパターン。
  ・PCが倒れる(全滅する)と、そこで物語自体が中断される(いわゆるゲームオーバー。再び始めると、最後にセーブしたところに戻されるなどして、その死が無かったことにされる):多くのゲーム
   ⇒物語進行上では死んだことになっていない。★
  ・PCが倒れる(全滅する)と、どこかへ強制送還されるが、物語自体は続いている(何か所持品が失われているなどのペナルティを伴う事もある):DQ、ポケモン等
   ⇒復活出来る死。
  ・PCが倒れる(全滅する)と、そのPCは永久的に失われるが、物語自体は続いている(また新しくキャラクターを作るか他のキャラクターでプレイするかとなる):FE
   ⇒物語上で死んでいる。
   そして、これを一定の時代ごと、RPGに着目し、振り分けていく。

   ・問題点
  まだ範囲が広すぎるような気がする。資料がまだ十分ないのでこの先何とも。



2.「テーブルトークRPG/CardWirthは、ひとがものを語る手段となりえるのか」
   物語を生み出す装置としてのゲーム(物語)とは。会話や交流とかいうものではなく、自身の創作として。

 

・経緯
  これは「ゲーム」と「創作」を絡めたものとなる。
  今回は「創作行為」と絡めてみたい。ここでいう創作は、「自らの手でキャラクターを作り、それらを取り巻く物語や世界を作ること」とする。
よって、世界観や設定を借りて、新しいキャラクターを作ってそれを動かすというのも今回は創作行為とする。あくまで、オリジナルキャラクターを中心としてするようなもの。

 

・何故このふたつか?
  「ゲームの革新はファンタジーの異世界創造の概念と深く結び付いている。これが相互関連しながら60年代からの異世界ファンタジーの世界を拡張させてきたのである」(※3)
  少なくとも、ゲームと創作には昔から相互に繋がりがあるといえる。ファンタジー世界がゲームを、更にゲームが新たなファンタジー世界を作り出している。

・明らかにしたいこと
  創作(人)にとっての、テーブルトークRPG/CardWirthの立ち位置、在り方(創作に影響するか?)

・共通でポイントになりそう
   製作者とプレイヤーの距離が近い
PCを自分で作れ、ある程度性格をつけることが可
ある程度「自由」に行動、設定できる
拡張性がある

 

 ・そもそもテーブルトークRPGとは/何故?
  1970年代半ばに発明されたゲーム。TRPG(Table-talk role-playing game)とも。CRPG(コンピュータRPG)の起源。
数人のPL(プレイヤー)が、それぞれPC(プレイヤーキャラクター)を動かしながら会話とダイス(サイコロ)を用い、加えて「ルール・ブック」に書かれたルールに従って、ゲームを進行させていく。
GM(ゲームマスター、物語の進行役)があらかじめシナリオを用意し、そのシナリオをみんなで遊ぶというようなものだ。
それぞれのPLのロールプレイに創造、そしてダイスによる偶然性の中で、全員で新しいひとつの物語を創造していくようなものといえる。
たとえるなら「ルールのあるごっこ遊び」。
  このように、きわめて創造性が高いゲームである為にこれをひとつ挙げておく。
⇒GMとPL/PLとPC/アドリブがきく(その場によって展開が変わる)

 

 ・CardWirthとは/何故?
  1998年に、「groupAsk」によって開発され、公開された、Windows上で動作するフリーウェアのCRPG。「TRPGの自由度と、カードゲームの遊び易さを融合した、新しい形態のRPG」(※6)
固定のストーリーはなく、外部データである「シナリオ」を各々ダウンロードしてプレイする。この「シナリオ」は「groupAsk」からも少しでているが、専らユーザー自身が作成し、公開しているものが多い。
現在は、「CardWirth」の開発・運営は、正式に委託された有志団体がおこなっている。
テーブルトークRPGを発展させた、単純なCRPGといえる。CRPGではあるが、TRPGと似たところもあり、コンピュータゲームであることからもうかがえるが、違うところもある。
自分としては、ユーザー間で様々な試みが行われているというのが興味深いところ(運営からシナリオ制作、広報等)
 ⇒依頼という形でのシナリオ/能力値の隠ぺい/自分で用意したものでPC等をアレンジすることが可能

!これを受けて創作の糧にするのか、創作表現の手段として使用しているのか?

・先行研究文献について
  1)遠藤薫『ゲームの規範―TRPGの観察を通じて―』(※4)
   TRPGについて論じているが、それ自体ではなく「遊びを形成する規範」を探るために用いている。
  2)浪崎智哉『「TRPG」におけるメタ視点に関する考察と国内における第三世代「TRPG」の成熟』(※5)
   こちらもTRPGについて、とりわけPLとPCの関係性について考察している。この関係性はもしかしたら今回の話題と絡むことになりそうだ。

 ・問題点
  テーブルトークRPGとCardWirthを並立してやるよりどちらかに絞ってやった方がいいのかもしれない。更に狭める必要もありそう。
  具体的にどうやって見ていくかが不安定。どこを見ればよりいいのだろう。

★全体として
どっちをより考えていくか決めたいところ。どちらも方法がまだ曖昧なので、そちらも固めていきたい。

 

参考文献リスト
(※1、2)「ゲームに於ける“死”」(参照日時 2015-6-21)
(※3)小谷真理 1998年『ファンタジーの冒険』ちくま新書 p164
(※4)遠藤薫「ゲームの規範―TRPGの観察を通して―」(『シュミレーション&ゲーミング』Vol.10 No2 p.87-102,2000)
(※5)浪崎智哉「「TRPG」におけるメタ視点に関する考察と国内における第三世代「TRPG」の成熟」(『国語国文 研究と教育』p.61-79,2008)
(※6)”GROUP ASK WEBSITE”(参照日時2015-6-21)




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