日常のなかで被る仮面、コスプレ
<初代ゼミ長>



 私が『アトラクションの日常』から、コスプレを考察するのはこれで2度目だ。1度目は、コスプレもまた該当書のいう<アトラクション>に似た構図を持っているように思うといった雑駁とした話にとどまってしまった (※1)。それは、「日常からの解放」を求めて週末になるとキャラクターの格好をすることで「夢」のような時間を消費して、また日常に帰っていくというが該当書をただなぞるような平坦な解釈だった。しかし、今回はもう少し話を具体的にしたい。コスプレが、<アトラクション>的だとするならば、一体どのような仕組みによるものなのか。それをコスプレにまつわる言葉を中心にして考えてみよう。
 毎週土日になると繰り返すようにコスプレができるイベント会場に向かい、参加費を払い、高額で買った衣装を着てメイクをし、その姿をひたすら写真に収め、編集してインターネット上にアップロードして公開する。これをすることで、コスプレイヤーはなにを得ているのだろう(※2)。なにがどのように愉しくて、ひとはコスプレをしているのか。コスプレのなにが魅力的なのかという問いに対するよくある回答は「キャラクターになりきることで、非日常である二次元の世界に浸ることが出来るから」というものだ。私も子どもの頃、よくほうきで宅配便を届ける魔女のまねをしていた。しかし、大人になりその頃とまったく同じ感覚でコスプレをしているかといえば、それは少し違う気がする。漫画やアニメの世界は、虚構の物語でありコスプレをするひとが例えどのような格好をしてもそれは非日常ではなくそのひとの日常の一コマにしか過ぎない。事実、コスプレをするために必ず通る更衣室やメイクスペース、荷物置き場などは基本的にどこもありきたりで粗末でお世辞にも綺麗とはいえない舞台裏のような場所である。着替えもメイクも完了し「普段とは違う自分」になったとして、更衣室からでたそのときにコスプレイヤーが立つのは舞台の上なのだろうか。いや、舞台というフィクションの許される空間ではなく、やはりコスプレはまぎれもなく「わたしの日常」のなかで行われている。
 ここで一度、コスプレの語源や歴史を辿っておこう。演劇用語に、costume playという言葉がある。西部劇など時代物の演劇の衣装やその劇自体をさす語だ。直接これを用いて略語にしたという明言はないが、アニメや漫画のキャラクターの格好をすることをコスチュームプレイと名付けたのはアニメや漫画ファンで作られる祭典、コミックマーケット(※3)の運営委員会だと言われている。そして現在は、クールジャパン政策などの影響もありコスプレは日本独自の文化として漫画やアニメなどとともに輸出される傾向にあるが、物語の登場人物の衣装を着ることはなにも日本初というわけではない。もともとは海外のSFファン達の間で開かれるSF大会(※4)などの祭典の中の出し物のひとつとして登場人物の衣装を身にまとう「マスカレード」と呼ばれる仮装ショーがその先駆けとなっている。それゆえに、現在も海外でジャパンエキスポなどが開催されコスプレの枠が取られると、その演目はマスカレードと名付けられる。マスカレードとは、中世ヨーロッパの貴族間で流行した社会的身分を隠して一夜限りの出会いを楽しむ仮面舞踏会のことだ。仮面というと様々な言葉が出てくる。面、仮面、仮面劇、仮面舞踏会、ペルソナ。もとは劇に用いられる言葉であった仮面=ペルソナは、劇における役割や劇中の人物をさす語になり、一般生活における役割や人格、地位、身分、資格などといった意味まで持つようになった。仮面とは、字の如く仮の面であり、一定ではない。舞台上でも日常においても前後にいるひとやものとの関係でひとの立場やあり方が変化する。しかし、仮面劇においての面が、能面がそうであるようにその面自体に人格や役柄といった意味があてがわれているのと違って、現実の我々は美醜問わずもっと多様な様々な面を持っている。だが、マスカレード=仮面舞踏会において被られる仮面とは、その面に付与されたなにか特定の意味に重きをおいているのではなく、仮面を被ることで地位や資格など社会的身分を隠すことにある。<私ではない誰か>になることが目的なのだ。深夜番組で登場する一般人が派手なマスクで目元を隠し、「ひとに言えない話」をぺらぺらと喋る姿は誰でも目にしたことがあるだろう。Masqueradeは、見せかけや虚構という意味も持っている。コスプレにおける仮装とは、これと同種だ。
 日常の中で、舞台上にいるかのように虚構の存在であるキャラクターになろうとすることは、日常から逃れるために<私ではない誰か>になることを求めているということの裏返しではないだろうか。だから、コスプレを愉しいと感じ、毎週のように大金を支払いながらイベント会場に通い、ひたすら「自分ではない自分」の写真を撮りためて複製し、化粧で塗り固めた顔の上に更に念入りにデジタル加工をほどこして自分が気に入る「自分」の肖像画を作り上げる。そしてそれをインターネットにアップロードし「これが私だ」と主張し自己満足する。仮面は、古くから儀式に用いられるものであり、別の状態になるための装置として機能してきた(※5)。コスプレは、必ずしもマスクのようないわゆる顔を覆うような仮面を被るわけではない。しかし、縁日で売られているキャラクターの「お面」を思い出して欲しい。私にはそれを被ることと、コスプレをすることに大きな隔たりがあるようには思えないのである。




◆注釈
※1 長谷川ゼミ2009年度HP該当URL(http://www1.meijigakuin.ac.jp/~hhsemi09/attraction.html)今読み返すと稚拙で直すべき点が多々ある文章だが経緯説明と私自身がどのように捉えたかを参照して頂ければと思い記載する。

※2 コスプレの場所で友人と会うことや交流を目的とする場合ももちろんある。しかしここでは、そういった要素はひとまず横へ置いて、「コスプレをする」というおおきな一連の流れを捉えてみようと思う。コスプレ雑誌やコスプレ専門SNSがたくさんの写真で成り立っているのは言うまでもないだろう。

※3 1975年から毎年行われている、日本最大の自費出版本、同人誌などを配布、頒布、販売する集会である。コスプレでの参加も可能であり、運営団体であるコミックマーケット準備会は、コミックマーケットにおいてコスプレを表現のかたちのひとつとして容認するとしている。60年代のSFブームから70年代のアニメブームの移行にともないアニメや漫画を中心としたイベントができたと同時にコスプレを楽しむ者もコミックマーケットへと流れていった。

※4 NYで1939年、日本では1962年に第一回が開催された歴史あるSFファンによる祭典イベント。分科会形式で、映画の上映会やディスカッション、模型店時や自費出版誌の販売、優秀作を決める式典などが行われる。泊まりがけで数日かけて行われる場合が多い。

※5 コスプレに類似するものとして真っ先にあげられるハロウィンも、仮面などを被ることによって精霊や神に祈りを捧げる儀式が元だといわれている。




◆参考文献
坂部 恵『仮面の解釈学』1976年東京大学出版会
長谷川 一『アトラクションの日常 踊る機械と身体』 2009年 河出書房新社




また、以下、今回のレポートで不十分であった点を述べておく。
・演劇学的心理学的視点での「仮面」についての勉強不足
・コスプレの対象となるアニメや漫画といったものがどういうものなのかという言及