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古川ゼミ4期生11人それぞれが書き上げた卒業論文の"タイトル"、"要約"、"目次"、"卒論を書き終えて"について掲載しています。

■イバ
【タイトル】
変容する本屋のかたち
〜出会いを創り出す空間への挑戦〜
【要約】
 人々が本と直接触れ合うことができる空間として、本屋というものがある。現在では大型店化が進み、購買空間としての印象が強くなっている。しかし、ここ数年の間の本屋においてはカフェの創設やイベントの開催、雑貨の併売など本を売ることだけでは終わらない新たなかたちを持つ本屋が現れてきた。本論では、本を売るだけではない取り組みを行う本屋を「新しい本屋」として、なぜそのような本屋が生まれてきているのか、ということを問いとした。そして、「新しい本屋」のかたちを生みだしている人々に焦点を当て、どのような想いからそのような新しい空間を創り出しているのか、本屋という空間をどのように捉えているのかということを考察していった。そこから見えてきたのは人々との出会いを創り出す空間として本屋を捉えることであった。人と本、人と人を出会わせ、コミュニケーションを発生させる空間を創り出そうとする意志が「新しい本屋」を生み出していたのである。
【目次】
目次

序章

0-1 テーマの設定に至った経緯
0-2 方法論
0-3 論文の構成

第1章 本屋をめぐる言説の変遷

1-1 現在の本屋の構造
 1-1-1 現在の本屋の仕組み
 1-1-2 多様化している本屋の形態
1-2 本屋をめぐる言説の変遷
 1-2-1 本屋をめぐる論考の誕生
 1-2-2 存続の危機を謳われる本屋
 1-2-3 本屋の空間について問い直す
1-3 本論文における本屋へのアプローチ

第2章 本屋の空間の変遷

2-1 本屋の誕生
 2-1-1 商業出版の誕生
 2-1-2 江戸時代の本屋
2-2 近代流通システムの誕生
 2-2-1 広がる読書
 2-2-2 本屋の空間構造の変容
 2-2-3 人々と本をつなぐ巡回文庫
 2-2-4 全国へ広がる本屋
2-3 購買空間としての本屋へ
 2-3-1 戦争後の本屋
 2-3-2 大型書店の出現
 2-3-3 オンライン書店の出現による市場と認識の変化
2-4  変容する本屋
 2-4-1 人々の本屋への意識
 2-4-2 本屋の新たな動き

第3章 取り組みによって新たな価値を見出す本屋

3-1 現在存在する本屋の新たな取り組み
 3-1-1 現在の本屋に見られる傾向
 3-1-2 現在存在する本屋の新たな取り組み
3-2 居本屋を目指す 「solid&liquid MACHIDA」
 3-2-1 この本屋の特徴
 3-2-2 取り組みと背景
 3-2-3 利用者の受け止め方
 3-2-4 これからの本屋を考える
 3-2-5 まとめ―目指すかたちと課題―

第4章 一から作り上げる本屋

4-1 新しい古本屋のかたち「タナカホンヤ」
 4-1-1  この本屋の特徴
 4-1-2 取り組みと背景
 4-1-3 これからの本屋を考える
 4-1-4 まとめ―目指すかたちと課題―
4-2 様々な取り組みを試みる新古書店「SUNNY BOY BOOKS」
 4-2-1 この本屋の特徴
 4-2-2 取り組みと背景
 4-2-3 イベントレポート「UNFINISHED SYMPATHY」」「おいしい珈琲とお菓子の日」
 4-2-4 これからの本屋を考える
 4-2-5 まとめ―目指すかたちと課題―
4-3 選書専門店「双子のライオン堂」
 4-3-1 この本屋の特徴
 4-3-2 取り組みの背景
 4-3-3 これからの本屋を考える
 4-3-4 ゼミ企画「本屋入門」
 4-3-5 まとめ―目指すかたちと課題―
4-4 固定空間を越えていく本屋たち
 4-4-1「ZOU-SUN-MARCHE 2015/11/22.23 11:00-17:00 たくさんの本と過ごす休日」
 4-4-2 移動する本屋「MAMEBOOKS」が想うこと
 4-4-3 BOOKPICNICを開催した背景
 4-4-4  参加した本屋の声
 4-4-5 人々のもとに自ら歩み寄っていく本屋へ

第5章 本屋を再び考える

5-1  本屋の新たな可能性に挑戦する人々
5-2 メディアとしての本の再考
5-3 物と空間のメディア性
5-4 再帰する本屋のかたち

終章
6-1 本論文から得られた知見・結論
6-2 反省点・今後の課題
6-3 卒論を通して学んだこと

参考文献
【卒論を書き終えて】
 この論文を書くことで多くの知識を得ることができたのはもちろんのこと、様々な人々と出会えたことが何よりの収穫であったと思います。
 私の論文のメインとなったインタビュー取材では、取材交渉から始まり、企画書の作成、アポイントメントの取り方など、何もかもが初めての試みであり、一つ一つの事に失敗しては学んでいくという状態でした。しかし、今回の取材を受けてくれた本屋の人々は、そんな学生の身である私に対して自分の人生や本屋に対する考え方を真正面から語ってくれました。人生の先輩であり、本に囲まれた憧れの空間で働く人の人生や考えというものに飛び込んでいくのは恐れ多すぎましたが、彼らと出会えたこと、直接会話をし、その考えに触れられたこと、本について語り合えたことは、私の人生において特別な出来事となっています。
 また1年間共に卒論に励んできたゼミの人々の存在は、自分にとって非常に大きなものでした。本屋の可能性を見出す人々の想いを追求し、明らかにしたいという一心で執筆していましたが、上手く文章で表現できず、悩むことが多くありました。しかし、共に悩んでアドバイスをくれるゼミ生や、卒論テーマについて真摯に向き合ってくれる先生の存在があったからこそ、最後まで卒論テーマと向き合い続けることができたと感じています。
 できたこと、できなかったことは考えると尽きませんが、不器用で、まだまだ未熟な大学4年の自分の精一杯を詰め込んだ卒論になったと思います。 
■オオイシ
【タイトル】
ハンドメイド市場から広がるコミュニケーションの可能性
〜作り手が作品の込める想いとは〜
【要約】
近年、全国各地で開催されるハンドメイド作品の販売イベントや、企業が運営するハンドメイドソーシャルマーケットの設立によって、注目される「ハンドメイド」。ハンドメイド作品の販売環境が整ったことで、ハンドメイド作品は商品となり、作り手は売り手となり、この2つの融合によって「ハンドメイド市場」が形成されてきた。しかし、こうした販売イベントが盛んに行われる以前は、作り手は作品を出品する場もなかった為、手がけた作品が商品という感覚もなかったのだ。では、「ハンドメイド作品」の発信者である作り手は、なぜハンドメイド作品を制作し、販売するようになったのだろうか。また、作り手が販売を通して得たものはどのようなものであったのだろうか。本論文では、作り手がどのような想いと背景からハンドメイド作品の制作から販売までを行っているのか、そして、ハンドメイド作品から広がるコミュニケーションにはどのような可能性があるのかを明らかにしていく。
【目次】
目次

序章

0-1 テーマ設定に至った経緯
0-2 方法論
0-3 論文の構成

第一章 ハンドメイドとは

1-1 近代から昭和にかけて 手芸と家庭の結びつき
 1-1-1 近代日本における手芸の確立
 1-1-2 大正時代の暮らしに見られる手芸品
 1-1-3 昭和時代の工業化と家庭にある手芸
1-2  手芸からハンドメイドへ
 1-2-1 作り手が抱くハンドメイドへのイメージ 〜家庭内での手芸と比較して〜

第二章 ハンドメイド市場とは

2-1 ハンドメイド販売イベントの広がり
 2-1-1 ハンドメイド販売イベント開催の流れ 
 2-1-2ハンドメイド販売イベントの特徴 
  2-1-2-1 デザインフェスタvol.42 
  2-1-2-2 ハンドメイドインジャパンフェス2015 
  2-1-2-3 ヨコハマハンドメイドマルシェ2015
  2-1-2-4 アート&てづくりバザールvol.20
  2-1-2-5 百万遍さんの手づくり市
2-2 ハンドメイド作品を扱うマーケットの形態
 2-2-1 ハンドメイド販売イベント
 2-2-2 店への委託販売
 2-2-3 ネットショップ
 2-2-4 ハンドメイドソーシャルマーケット
 2-2-5 4つのマーケットから
2-3 ハンドメイド作品のカテゴリー
 2-3-1 多様化するハンドメイド作品のカテゴリー

第三章 ハンドメイド販売イベントに集う作り手たち

3-1  イベントにおける作り手の描写
 3-1-1 木楽本舗 柳本貞二
 3-1-2 テレピンズ acchi
 3-1-3 アトリエ白木蓮 筧美帆
 3-1-4 Nauvey’s Castle 鍋川由喜子
3-2 minne『作り手支援チーム』『プロモーションチーム』 
 3-2-1 『minne プロモーション戦略グループ』 〜「CM」から伝える作品のメッセージ〜
 3-2-2 『minne 作家支援チーム』 〜作り手目線のコミュニティ〜
3-3 それぞれの想いを抱えた作り手たちの集い

第四章 作り手がハンドメイドに込める想いと作品の広がり

4-1 タカトモハンコ 高橋朋子
 4-1-1 ハンドメイド作品を販売するまで
 4-1-2 ハンドメイドが可視化させたネットワーク
 4-1-3 作品に込める想い
 4-1-4 ブームの中で生き残る自信
4-2  blanco 大倉聡子
 4-2-1 ハンドメイド作品を販売するまで
 4-2-2 作品づくりで大切にしていること
 4-2-3 買い手とのつながり
 4-2-4 リスクと向き合うハンドメイド作品の販売
 4-2-5 これからの夢
4-3 『気仙沼ニッティング』 −東日本大震災とハンドメイド−
 4-3-1 気仙沼ニッティングとは
  4-3-1-1 気仙沼ニッティングが設立するまで
 4-3-2 気仙沼の暮らしと文化
  4-3-2-1 なぜ気仙沼で編み物の会社を立ち上げたのか
  4-3-2-2 気仙沼に住む人々
  4-3-2-3 手袋ワークショップでの声
 4-3-3 はじめてのニット『MMO1』
 4-3-4 セカンドモデル『エチュード』
 4-3-5 気仙沼ニッティングを求める買い手の声
 4-3-6 気仙沼ニッティングを紡ぐ編み手の声
 4-3-7 買い手と編み手をつなぐ『メモリーズ』
 4-3-8 これから気仙沼ニッティングが目指すこと
4-4 ハンドメイド作品が可視化させる人々のネットワーク

第五章 ハンドメイド市場を支えるもの

5-1 ハンドメイドから生まれるコミュニケーションとは
5-2 ハンドメイド 〜市場と市場の二重構造〜

終章

6-1 本論で得られた結論・知見
6-2 今後の課題
6-3 卒論を通して学んだこと

参考文献・参考ホームページ
【卒論を書き終えて】
 古川ゼミ4期生は、北海道から鹿児島まで、このゼミがあったからこそ集うことが出来た人々の繋がりに恵まれていたと思います。ゼミ生が疑問をもって取り組んだ卒論のテーマも、生まれ育った場所に根付く地域色があるもの、自分がずっと好きで暮らしの中にあったもの、自らの経験から生まれた疑問などから、11人のゼミ生から様々な問いが生まれました。毎週の発表では、みんなが真剣に問いに向き合いながら、卒論を書き上げるために、一歩一歩、少しずつでしたが歩み続けることができました。
 こうして生まれた問いとして、私は、ハンドメイドと向き合う為に5月からインタビューを始め、東京、神奈川、大阪、京都…とさまざまな場所を巡り、たくさんの人々と出会いました。作り手の方々から直接伺ったお話のひとつひとつから、ひとりの作り手から生まれた作品が、クモの巣のように糸が紡がれていくコミュニケーションの広がりを見せ、買い手に渡る物語が何よりも大きな価値となっていることを知りました。私のテーマに関して、手芸やハンドメイドに関する先行研究が少なく、論文の執筆は1年間をかけた自身の情報収集にかかっていました。しかし、インタビューから学んだ人から派生する情報量の貴重さや、ゼミという場があるからこそお互いに協力しながら最後まで卒論に取り組むことができたことで、私にとって古川ゼミで過ごした1年がかけがえのないものなりました。
 そして、webデザイナーとして社会に出る前に、ゼミのwebサイト制作を手がけたことも貴重な体験となりました。11月から始め、毎晩遅くまで食堂で文献や資料を読み漁りながら卒論を書いては訂正し、ゼミ生の凝り固まった肩をマッサージしながら頑張った毎日は、大学生活の中で一番青春を謳歌していたように思えます。  
■オオエ
【タイトル】
カムイとは何者か
ー少年漫画に表象されるアイヌー
【要約】
 私は幼いころから、地元の北海道でアイヌ文化に触れる機会に恵まれていた。中でもアイヌ語で「神」を意味する「カムイ」という語句は、神威岬や神威岳など身の周りで多く使用されており、最もよく耳にするアイヌの言葉であった。  しかし近年、北海道やアイヌに関係のない事柄にも「カムイ」という語句が多用されている。特に目立つものが、昨今の少年漫画の登場人物名としての使用である。漫画のキャラクターとして描かれるカムイは、みな若い男性であり、並外れた戦闘能力を有しているという特徴を持つ。  私はこのように、「カムイ」という神の名称があらゆる事物に用いられていることや、攻撃的なものとして描かれることに違和感を抱いている。ここから、本論文で明らかにする問いを「カムイ」濫用の背景は何か、また昨今の漫画作品におけるカムイは何故戦闘的なのかということに定めた。この問いを明らかにするために、日本の漫画作品において初めて「カムイ」というキャラクターを登場させた手塚治虫、また『カムイ伝』シリーズによって「カムイ」の名を世間に知らしめた白土三平の二者の作品を取り上げ、各作品におけるカムイの描かれ方を分析することで、現在につながるカムイのイメージの変遷を考察する。
【目次】
目次

序章

0-1 テーマ設定に至った経緯
0-2 本論文の構成

第1章 カムイをめぐる現象

1-1 濫用されるカムイ
 1-1-1 日常生活の中において
 1-1-2 漫画作品において
1-2 カムイとは何か
 1-2-1 カムイの概念
 1-2-2 カムイの性別
1-3 アイヌと和人

第2章 カムイの表象史

2-1 作品としてのアイヌ
2-2 漫画の影響と「カムイ」の誕生

第3章 作品分析① ―手塚治虫―

3-1 手塚治虫とは
3-2 『勇者ダン』
 3-2-1 あらすじ
 3-2-2 物語の時代背景
 3-2-3 忍者「カムイ」
   3-2-3-1 特徴
   3-2-3-2 役割
   3-2-3-3 敵対するもの
 3-2-4 カムイが表すもの
3-3 『シュマリ』
 3-3-1 あらすじ
 3-3-2 物語の時代背景
 3-3-3 「シュマリ」というカムイ
   3-3-3-1 特徴
   3-3-3-2 役割
   3-3-3-3 敵対するもの
 3-3-4 「シュマリ」が表すもの
3-4 手塚作品における「カムイ」とは

第4章 作品分析② ―白土三平―

4-1 白土三平とは
4-2 『カムイ伝』
 4-2-1 あらすじ
 4-2-2 物語の時代背景
 4-2-3 忍者「カムイ」
   4-2-3-1 特徴
   4-2-3-2 役割
   4-2-3-3 カムイが戦うもの
 4-2-4 その他のカムイ
   4-2-4-1 カムイの弟
   4-2-4-2 白オオカミ
   4-2-4-3 山丈
 4-2-5 カムイが表すもの
4-3 『カムイ外伝』
 4-3-1 あらすじ
 4-3-2 物語の時代背景
 4-3-3 抜忍の「カムイ」
   4-3-3-1 特徴
   4-3-3-2 役割
   4-3-3-3 カムイが戦うもの
 4-3-4 カムイが表すもの
4-4 白土三平作品における「カムイ」とは

第5章 手塚・白土以降の作品

5-1 『カムイの剣』
 5-1-1 あらすじ
 5-2-2 手塚・白土作品との比較
 5-2-3 カムイが表すもの
5-2 『ゴールデンカムイ』
【卒論を書き終えて】
 私は「漫画におけるアイヌの表象」とともに、1年間のゼミ活動を駆け抜けました。論文を書き終えた今、このテーマと向き合うことが出来て本当に良かったと感じています。
 古川ゼミへ所属が決まった当初、「論文を書きたい」という意欲はあったものの、何について書きたいのかは全く決まっていませんでした。「書きたいこと」をしっかり持っているゼミ生たちの中で、私は何となくラジオについて書きたいという程度でした。どうにか自分なりの問いを立てるため、ラジオが何故好きか、どんな番組を聴いてきたのかをノートいっぱいに書き出したところ、目に止まったのがラジオの「アイヌ語講座」を聴いていたという点でした。幼い頃からアイヌ語に触れてきた大学生はそういないのではないかと気づき、そこから「カムイというアイヌ語の濫用」という、心から気になる問いに出会うことが出来ました。
 問いを立てるためのこれら一連の作業は、就職活動の際に行う自己分析と似ていると感じました。関心事を掘り下げていくことで、予期せぬ自分自身に出会うことができます。そうして見つけたテーマを一年かけてじっくり調べられるゼミ活動は、とても貴重な時間だと実感しました。そして、発表に対して様々な意見を先生やゼミ生から貰ったことで、多くの視点に刺激を受けることが出来ました。また他のゼミ生のテーマに対しても興味を持ち、視野を広げられたことは大きな収穫でした。
 今後の生活においても、なぜ?と考え続け、興味の幅を広げていきます。 
■オガワ
【タイトル】
日本人とハワイ
〜メディアが生んだ観光地イメージの功罪〜
【要約】
本論文では日本とハワイの関係性をテーマとし、メディアが生んだ観光地イメージの功罪について考察する。序論では、なぜこのテーマに至ったかを述べる。そして第1章では日本人がハワイに対して抱く楽園的なイメージがどのようなものかに触れ、第2章でそれが如何にして築かれてきたのかを明らかにする。第3章では、そのような楽園イメージを基に日本人が大勢訪れるハワイは、どのような観光開発を経て現在のような観光地となっていったかを、ハワイの歴史を基に見てゆく。そして、ハワイが観光開発によって抱えている問題に日本人はけっして無関係ではないということを改めて認識するための材料とする。第4章は、日本とハワイの歴史的な経緯を受けた上で、問題の解決のために今行われていることをどう見るか、考察する章とする。終章では、論文の振り返りと、今後引き続き考えて行きたい課題について記す。
【目次】
目次

序論

0-1 テーマ設定に至った経緯
0-2本論文の構成

第1章 日本人のハワイに対する楽園的なイメージの背景 

1-1 日本人のハワイに対するイメージ
 1-1-1 日本で見られるハワイを彷彿とさせる風景~ローソン「ハワイアンフェア」~
 1-1-2 日本人のハワイに対するイメージはどこから来たのか?
 1-1-3 ハワイに対するイメージと触れる機会を生み出すメディアとしてみる、スパ・リゾートハワイアンズ
 1-1-4 映画、芸能人もハワイイメージをもたらしたメディアの一例である
1-2 人はなぜ南国、楽園イメージを伴うものに惹かれるのだろうか
1-3 先行研究
 1-3-1 日本人のハワイに対する楽園的イメージについての先行研究
 1-3-2 観光はどうしてもイメージに縛られる〜観光とメディアについての先行研究〜

第2章 日本のメディアにおけるハワイ

2-1移民先としてのハワイ
 2-1-1 書簡から見る日本とハワイの関係のはじまり
 2-1-2 『出稼趣意書(心得書)』(1885年)にみる楽園イメージのはしり
 2-1-3 『日本ト布哇』(1894年)における原住民への目線の変化
 2-1-4 移民目的以外でのハワイ渡航からみる楽園イメージ
2-2 第二次世界大戦と日ハ関係
2-3 戦中〜戦後の国内ハワイ音楽に見られる楽園イメージ
2-4 戦後、海外旅行先として定着したハワイ
 2-3-1 海外観光旅行が解禁される1964年までのハワイイメージ
 2-3-2 海外旅行自由化とパック旅行
 2-3-3 日本の経済発展とハワイ
2-4 定番の観光地となった後の、メディアでの楽園イメージの扱われ方
 2-4-1 引き継がれるリゾート地としてのイメージ
 2-4-2 移民の頃とは違う形ではハワイの日常を取り上げたメディア

第3章 ハワイ観光開発の歴史 

3-1 ハワイ史概要
 3-1-1ハワイの成り立ち
 3-1-2キャプテン・クックによるハワイの「発見」
 3-1-3ハワイ王国がアメリカ合衆国ハワイ州になるまで
3-2 先住民と観光開発
 3-2-1先住民からの土地接収〜人工の楽園、ワイキキの誕生を例に〜
 3-2-2 先住民文化の変革、そして商用化
3-3  ハワイが観光開発によって抱えている具体的な問題

第4章 観光開発が生み出した社会問題に対する取り組み

4-1 ハワイ州政府の方針
4-2 従来のハワイ観光から、新たな旅のあり方へ

終章 

5-1 結論
5-2 本論文の振り返り
5-3今後の課題
【卒論を書き終えて】
卒論ゼミが始まるにあたり、自分がなんとなく関心を持ったことをテーマに選んで研究を始めました。そして書き上がった卒業論文が、大学で専攻に選んだ「メディア」、そして休学中の留学先「ハワイ」の両方で学んだことの集大成となりました。学生時代の終わり、いい節目になったと思います。 
■サトウ
【タイトル】
水と土の芸術祭からみる「想い」の構図
〜人々が求める「地域活性化」とは何か〜
【要約】
現在、多くの地域で地域活性化を掲げた「芸術祭」が開催されている。その関係性は古く、日本の国土開発が生み出した都市と地方の格差を埋めるための文化事業が発展したものであった。各地方は都市からの脱却を図るため、自分たちの個性を芸術祭という文化事業に乗せて発信していたのであった。その芸術祭を使い行政は市町村を潤すために「地域活性化」という正義の言葉が誕生した。  水と土の芸術祭もその例外なくアーティスト、運営者、地域住民の中で「芸術祭」に対する想いは異なっている。三者の間には「地域活性化」という言葉によって形成された「想いの構図」が存在している。皆が同じ目標ではないものの、それぞれの想いが交錯することによって「県の一体感」は存在している。  芸術祭がガラパゴス化しかけている中で、それを受容する市民が自ら立ち上がり、流れに惑わされないよう舵を切る市民がどれだけ誕生するか。その存在が今後の地方の運命を決めるのかもしれない。
【目次】
目次

Ⅰ-0 序論                            

Ⅰ-0-ⅰ研究方法・研究対象                     
Ⅰ-0-ⅱ本論文の構成                        

Ⅰ章 国土変遷からみる芸術祭               

Ⅰ-ⅰ 歴史から見る地域活性化                 
 Ⅰ-ⅰ-ⅰ 日本の国土開発の出発点                  
 Ⅰ-ⅰ-ⅱ 国土総合開発による地方の方向転換             
 Ⅰ-ⅰ-ⅲ 太平洋ベルトの失態から地方の独自性へ           
Ⅰ-ⅱ 地方の転換期                        
 Ⅰ-ⅱ-ⅰ 工業化による地域間格差                  
 Ⅰ-ⅱ-ⅱ 広域行政圏の広がりによる地方への期待           
 Ⅰ-ⅱ-ⅲ 大地の芸術祭から見る文化事業の発展            
Ⅰ-ⅲ 芸術祭の始まり                       
 Ⅰ-ⅲ-ⅰ 世界で起こる芸術祭の変遷                 
 Ⅰ-ⅲ-ⅱ 日本の芸術祭の変遷

Ⅱ章 水と土の芸術祭からみる地域づくり          

Ⅱ-ⅰ 水と土の芸術祭絡みる地域活性化               
 Ⅱ-ⅰ-ⅰ 水と土の芸術祭の基本理念                
 Ⅱ-ⅰ-ⅱ 新潟から東アジア文化都市への挑戦            
Ⅱ-ⅱ 新潟の「潟」の暮らしとその文化               
 Ⅱ-ⅱ-ⅰ 潟の歴史とその姿                    
 Ⅱ-ⅱ-ⅱ 潟と人々の関係性の変化                 
 Ⅱ-ⅱ-ⅲ 主要4潟の特徴と環境状況                
Ⅱ-ⅲ5つのプロジェクトの特色                   
 Ⅱ-ⅲ-ⅰ アートプロジェクト                   
 Ⅱ-ⅲ-ⅱ 市民プロジェクト                    
 Ⅱ-ⅲ-ⅲ シンポジウム                      
 Ⅱ-ⅲ-ⅳ 子供プロジェクト                    
 Ⅱ-ⅲ-ⅴ 食・おもてなしプロジェクト               
Ⅱ-ⅳ 「地域活性」というものが持つズレ             

Ⅲ章 芸術祭への「想い」の構図             

Ⅲ-0 水と土の基本構成                      
 Ⅲ-0-ⅰ フィールドワーク概要                   
Ⅲ-ⅰ 運営者へのインタビュー                   
 Ⅲ-ⅰ-ⅰ 総合プロデューサになるまでの背景            
 Ⅲ-ⅰ-ⅱ 水と土の芸術祭2015総合プロデューサー 小川弘幸    
Ⅲ-ⅱ 「水と土の芸術祭」アーティストの目線           
 Ⅲ-ⅱ-ⅰ 背景                          
 Ⅲ-ⅱ-ⅱ Nadegata Instant Partyの芸術祭への想い         

Ⅲ-ⅲ 「水と土の芸術祭」における地域住民の目線          
 Ⅲ-ⅲ-ⅰ 地域住民インタビュー                  
 Ⅲ-ⅲ-ⅱ 礎窯サポーターズ代表下山                
 Ⅲ-ⅲ-ⅲ ニュー沼垂ラジオ代表 鈴木             

Ⅲ-ⅳ 三者における「想いの構図」                 
 Ⅲ-ⅳ-ⅰ芸術祭への三者の想い                  
 Ⅲ-ⅳ-ⅱ 三者の想いの構図                   

Ⅳ-ⅰ終章                             

Ⅳ-ⅰ-ⅰ 結論                           
Ⅳ-ⅰ-ⅱ 本論文を振り返って                    
Ⅳ-ⅰ-ⅲ 本論文の課題     
【卒論を書き終えて】
 卒業論文を通じて「死ぬ気でやるとはこういうこと」ということを学んだ。
 自分が興味を持った芸術祭。当初は自分の興味があることだから研究するのは簡単だと思っていた。今まで自分が興味を持ったことはとことん突き詰めていたため、「何を難しいことか」。そんな風に思っていた。
 しかし現実は芸術祭には多くの裏事象があるということ。地域活性化という正義の言葉は多くの人々の思惑にあるということ。流行だからだけでなく、日本の国土開発によって芸術祭という波ができたということ。多くの裏事情が卒業論文を執筆していくごとにあらわになっていった。
 しかし、私はこの多くの事象を逃げることなく真剣に取り組んでいった。正直辛いことは多々あったが、この経験を通して、1つのことに死ぬ気で取り組むことの難しさと楽しさを学んだ。社会に出てからもこのまっすぐさを忘れずに取り組んでいきたい。 
■トリイ
【タイトル】
難病が作り出す恋愛のかたち
ーテレビドラマの展開と障害としての病気の関係性ー
【要約】
本論文は、恋愛関係にある男女のもとに病気という障害が登場する、という設定のテレビドラマにおける、病気の存在が作品のストーリー展開にもたらす効果とは何かを明らかにすることをテーマとしている。序論では、なぜこのテーマに至ったかを述べる。1章では先行研究について述べ、2章では、このような作品の歴史を小説、映画、テレビドラマのそれぞれのメディアごとに述べ、さらにそこで登場する病気の変遷について述べる。3章、4章では作品分析を行い、病気の存在がストーリー展開にもたらす効果を考察する。5章では、このような作品に登場する病が不治の病である理由、不治の病の中でも結核や白血病などこのような作品に頻繁に登場する病気が存在する理由、それらの病気が医療の発展とともに治る病となると、このような作品に登場しなくなる理由も明らかにする。そして、終章では、本論文の振り返りと本論文では言及できなかった今後の課題について述べる。
【目次】
目次

序論

0-1 テーマ設定に至った経緯
0-2 方法論
0-3 本論文の構成

第1章 先行研究

1-1 病気につけられるイメージ
1-2 文学作品における病気の描かれ方
1-3 横光利一の病妻小説

第2章 「恋愛+病気」を描いた作品について 

2-1 各メディアにおける「恋愛+病気」を描いた作品の歴史
 2-1-1 小説における「恋愛+病気」を描いた作品
 2-1-2 映画における「恋愛+病気」を描いた作品
 2-1-3 テレビドラマにおける「恋愛+病気」を描いた作品
2-2 「恋愛+病気」を描いた作品に登場する病気の変遷

第3章 作品分析をするにあたって

3-1 分析作品紹介
3-2 作品概要とストーリー
 3-2-1 『愛と死をみつめて』
 3-2-2 『世界の中心で、愛をさけぶ』
 3-2-3 『タイヨウのうた』
3-3 分析項目
3-4 分析方法

第4章 作品分析

4-1 『愛と死をみつめて』
 4-1-1 病気が登場するシーン
 4-1-2 病気が登場するシーンでの登場人物の行動
 4-1-3 病気の存在によってストーリーがどう展開するか
4-2 『世界の中心で、愛をさけぶ』
 4-2-1 病気が登場するシーン
 4-2-2 病気が登場するシーンでの登場人物の行動
 4-2-3 病気の存在によってストーリーがどう展開するか
4-3 『タイヨウのうた』
 4-3-1 病気が登場するシーン
 4-3-2 病気が登場するシーンでの登場人物の行動
 4-3-3 病気の存在によってストーリーがどう展開するか

第5章 分析結果からの考察

5-1 分析対象の3作品における共通点
5-2 「恋愛+病気」を描いたテレビドラマにおける病気がもたらす効果
5-3 「恋愛+病気」を描いたテレビドラマに登場する病気が不治の病である理由

終章

6-1 本論文で得られた知見
6-2 今後の課題

参考文献一覧

資料編
【卒論を書き終えて】
 私は、卒業論文を書いたことで、この一年をとても充実したものにできたと思っています。
 まず、卒業論文を書いたことで、何かについてとことん向き合う楽しさを知りました。私は、例えば『世界の中心で、愛をさけぶ』のような恋愛関係にある男女のもとに病気という障害が登場するテレビドラマの中で、病気がどのような効果を果たしているのか、という問いを立て論文を書いていきました。これまで先生が与えてくれたテーマについて、自分で調べるということしかしてこなかった私にとって、自分と向き合い自分が何を知りたいのかを考えながら問いを立てる作業はとても大変なものでした。しかし、ゼミに入らなければ、自分と向き合いそこから問いを立てるということを経験できなかったのかと思うと、学生として勉強できる最後の時にこれができてよかったです。そして、論文を書いていくにあたり、先行研究や歴史を調べたり、作品分析を行ったりしていくことで、自分のテーマについて、今まで知らなかったたくさんのことを知ることができました。最初は手探りで始めた分析でしたが、最後までやりきることで、問いに対する答えを見つけることができました。
 また、自分の考えを発表するという経験をたくさん積み苦手意識を改善することができました。ゼミでは、毎回自分が調べてきたことを発表します。しかし、私は、人前で何かを発表することが苦手でした。それでも毎回発表を行っていく中で、苦手意識が薄れていったように思います。これも、ゼミに入らなければできなかったことです。これからは、自分の意見を述べなければならない機会は今まで以上に多くなると思います。その前に、自分の意見を持ち発表するという経験をゼミで積むことができてよかったです。また、ゼミでは自分の発表した意見に対して、先生や他のゼミ生が意見を言ってくれます。これは、卒業論文を書くうえでとても重要なことでした。自分の中だけで考えることで完璧なものが出来上がるわけではなく、周りの人に自分では気づけていなかった部分を指摘してもらうことがとても重要なのだと知りました。
 これまで、講義を聞き、先生に出された課題に取り組むということが多かった私にとって、自分で問いを立て、調べ、発表するという作業は大変なこともありましたが、きっとこれからの生活に活かせると思っています。ゼミに入り、このような経験をすることができてよかったです。
■ハナムラ
【タイトル】
これからの音楽産業は誰が作るのか
〜メディアの環境変化と原点回帰〜
【要約】
本論文では、日本の音楽産業の構造変化をテーマとし、メディアの環境変化と、それによって誕生した、「企業に所属をせず独立して活動を行う」という新しい活動形態をとる音楽家に焦点を当て、これからの音楽産業がどのように変化をしていくのかを考察する。序論では、このテーマに至った経緯を述べる1章では、日本で最初のレコード会社の誕生から現在に至るまでの音楽産業の歴史を述べ、2章では現在の音楽産業の構造の説明を行う。3章では、メディアの環境変化によって誕生した新たな音楽産業の構造の説明と、デジタルコンテンツを利用した新しい音楽活動形態を提示する。4章では、3章で提示した、新しい形態で活動を行う音楽家へのインタビューを掲載し、5章では、4章で実施したインタビューをもとに、新たな音楽産業の実態を把握し、これからの音楽産業がどのように変化していくのかを考察する。終章では、論文を振り返っての感想と、残された課題について記す。
【目次】
目次

序論

0-1 テーマに至った経緯と目的 
0-2 本論文の構成と方法論

第1章 日本のレコード産業の歴史

1-1 明治・大正時代
 1-1-1 日本のレコード産業の幕開け ―日本初のレコード会社「日本蓄音機商会」の誕生と役割―
 1-1-2 レコード産業初期の宣伝方法とメディアの関係性
1-2 昭和 専属契約の誕生とレコード産業の分散化
 1-2-1 海外レコード会社の日本参入による邦楽文化の形成
 1-2-2 ラジオと映画の登場によるレコード産業の変化
 1-2-3 戦争とレコード産業
 1-2-4 音楽制作機能の分散 ―レコード会社による独占状態の崩壊―
 1-2-5 分散化の拡大とレコード会社の縮小化
 1-2-6 タイアップ時代の到来
1-3 音楽産業の歴史を通してわかること

第2章 20世紀の音楽産業構造

2-1 20世紀の音楽産業構造と機能
2-2 アーティストとレコード会社の関係性 「所属」の必要性 ―製作、流通、宣伝の3点からみる―
2-3 20世紀の音楽産業の構造から見えること  ―音楽の生産工程から考える、20世紀の音楽産業の権力者―

第3章 21世紀の音楽産業の構造  -デジタル化による新たな産業構造の出現-
3-1 2つの「音楽のデジタル化」
3-2 21世紀の音楽産業構造 ―脱レコード会社・脱プロダクションの動き―

第4章 独立して活動を行う音楽家へのインタビュー ―インタビューからみる、音楽のデジタル化の時代に独立して活動すること―
4-1 インタビューの目的、概要の説明
4-2 ギターリスト兼、レーベル「あじさいレコード」(仮名)運営者 トモナガ ユウタ(仮名)へのインタビュー
 4-2-1 活動概要・プロフィール 
 4-2-2 レーベルの立ち上げ
 4-2-3 SNSを利用した宣伝活動
 4-2-4 直面している課題
4-3 作曲家 玉川卓也へのインタビュー
 4-3-1 活動プロフィール
 4-3-2 作曲活動、作曲家を目指したきっかけ、活動の概要
 4-3-3 独立した作曲家として活動を行ううえで直面している課題
4-4 イベンター 兼 マネージメント業 相原鈴子へのインタビュー
 4-4-1 活動の概要、本人のプロフィール
 4-4-2 コンテンツの制作とSNSによるアーティストの宣伝活動
 4-4-3 アーティストのマネージメント業務を個人で行ったことによる結果と課題

第5章 考察―音楽産業の原点回帰とこれから―

5-1 インタビューからみる、音楽制作のデジタル時代に「独立」して活動をする目的と課題
5-2 音楽産業の原点回帰―これからの音楽産業をつくるのは誰なのか―
 5-2-1 音楽制作機能のデジタル化「以前」と「以後」から考察する、現在の音楽産業の実態
 5-2-2 音楽制作機能のデジタル化による、音楽産業の原点回帰
 5-2-3 これからの音楽産業はだれが作るのか

終章 本論文を通して
6-1 得られた知見
6-2 今後の課題
【卒論を書き終えて】
 ゼミではよく、「卒業論文は人生にかかわることだよ」というようなことを言われていました。正直、最初はその意味がよく分かっていなかったのですが、実際に書き進めるにつれ、その意味が少しずつ分かるようになりました。私の場合は、選んだテーマが実際に自分自身が行っている音楽活動の延長線上にあることだったため、音楽産業の過去、現在、そして「これから」を考えることができ、今後の自分の人生において、どのような方向へ向かっていくべきなのか、なにをするべきなのか、という、これからの人生について考える非常に良い機会となりました。
 そして、怠けてスタートが遅かったことや、やってみたらもっと多くのことを知りたくなったこと、など「あ、自分って以外とこういう面もあるんだなぁ」と、自分の新たな一面を知ることができことがすごく面白く感じました。好きなことと自分と向き合い続けた貴重な1年になりました。
■ナカジマ
【タイトル】
ピグマリオンとしてのココ・シャネルの精神の再生
ーラグジュアリーブランドにみる芸術家支援のあり方ー
【要約】
「Chanel」とはココ・シャネルが1909年に立ち上げたフランスのラグジュアリーブランドである。創業者のココ・シャネルはファッションを通して、女性達にスタイルを提示した。「ココ・シャネルの精神をいかに生かしていくか」という確固たる経営哲学を掲げるChanelが、何故日本の銀座ビルディングで芸術家支援プロジェクトを始めたのか。ここにはココ・シャネルのピグマリオンとしての精神が反映されているといわれている。本論文では、Chanelが行う芸術家支援プロジェクトが“企業メセナ”やその他のラグジュアリーブランド群が行う文化事業とは一線を画す取り組みだと捉え、分析を行っていく。ココ・シャネルの原点と理念、活動を辿っていき、現在の取り組みを照らし合わせる事で見えてきた事はChanelがいつの時代も“モード”を追求しているという事。そして銀座ビルに小さな“サロン”を形成することで、日本にココ・シャネルのピグマリオンとしての精神を再生させているのだ。
【目次】
目次

序章

0-1 テーマ設定に至った経緯、問題提起
0-2 本テーマを取り巻く現状
0-3 方法論、論文構成

第1章 ラグジュアリーブランドによる文化支援活動の背景
1-2 ラグジュアリーブランドの定義
1-2 稀少性のマネジメントと芸術との連関性
 1-2-1 Christian Diorの事例
1-3 ラグジュアリーブランドが取り組む文化支援活動

第2章 日本におけるChanel

2-1 Chanelの原点と確固たる経営哲学
 2-1-1ココ・シャネルの原点と理念
 2-1-2Chanelの確固たる経営哲学
2-2 Chanelと日本
2-3 Chanel銀座ビルディングの建設
 2-3-1伝統を継承する町“銀座”
 2-3-2建物のつくり
 2-3-3日本での新しい取り組みである文化事業

第3章 ココ・シャネルを取り巻く芸術家たちとその関係

3-1 芸術支援提供者としてのココ
3-2 バレエ・リュスとパリに集った芸術家たち
3-3 モードと芸術の大衆化
 3-3-1 『パラード』にみる舞台芸術の大衆化
 3-3-2 古典を現代に再生する        ココのモードを利用した舞台衣装
3-4 芸術を取り巻く環境の変遷
3-5 つながりを形成する“サロン”

第4章 CHANEL NEXUS HALLでの取り組み

4-1 “CHANEL Pygmalion Program” 若手音楽家支援プロジェクト
 4-1-1 シャネル・ピグマリオン・デイズ
 4-1-2 シャネル・ピグマリオン・デイズ スペシャルコンサートシリーズ
 4-1-3 小括
4-2 “CHANEL Pygmalion Program”      写真展・アート作品展の取り組み
 4-2-1 Chanelが見出した若手アーティスト       吉川有悟によるマルチメディア展
 4-2-2 話題性にとんだ企画展       Elliott ErwittとChanelと各界著名人のコラボレーション
 4-2-3 日本をテーマにした企画展       ファッション業界で生きる2人の愛する日本
4-3 NEXUS HALLを通して具現化されたココのピグマリオンとしての精神

終章

5-1本論を通して残された課題
5-2 振り返り

参考文献リスト・巻末参考資料1-6・ココ・シャネル年表
【卒論を書き終えて】
 この一年、就職活動に卒業論文と、自分と向き合う事を余儀なくされ、つらい事もたくさんありました。しかしどんな時も親身になって話を聞いてくれたゼミの仲間たち、いつでも厳しくも愛情をもってご指導をいただいた古川先生のおかげで、私は “つながる”事の楽しさを学びました。一見全然違う分野を研究しているように見えるゼミ生が古川ゼミを通してつながり、仲を深め、意見を交換できるようになった事。自分の関心事を接点に人との出会いが繋がっていく事。自分の知識の点が線になっていく事。私の人生の中で最も座っている時間が長かったであろうこの一年。この場所で得られた“気付き”や“ご縁”を、これかもずっとずっと大切に育んでいきたいと思います。 
■ナカムラ
【タイトル】
シマッチュをつなぐ島ラジオ
〜あまみエフエムに見る"地域に根ざした"メディアのすがた〜
【要約】
本論文は、鹿児島県奄美大島にあるコミュニティFM、あまみエフエムをとりあげ、“地域に根ざしたメディア”としてのすがたを明らかにする。まず、コミュニティFMが位置づけられる「コミュニティ・メディア」、「地域メディア」、「市民メディア」という概念を、先行研究をもとに整理する。次に、あまみエフエムが“奄美大島”独自のメディアとして、どのような活動を展開し、どのような役割を担っているのかを明らかにする。そのために、実際に奄美大島で行ったフィールドワークをもとに、あまみエフエムの成り立ち、運営状況、番組内容、実際に働いている人のすがたや想いをとりあげる。また、奄美大島にあるほかの3つのコミュニティFMと、種子島に開局準備中のコミュニティFMについてもとりあげ、島にコミュニティFMを開設する利点や問題点を明らかにする。そして最後に、あまみエフエムの役割や位置づけを考察した上で、“地域に根ざしたメディア”のあるべきすがたについて考察する。
【目次】
目次

序章

0-1 テーマ設定に至った経緯、問い
0-2 方法論
0-3 本論文の構成

第1章 地域の中のメディア

1-1 地域のメディアの位置づけの変遷
 1-1-1 “地域”のメディアの広がり
 1-1-2 「地方の時代」の中で
 1-1-3 技術革新と多メディア化・多チャンネル化
 1-1-4 メディアをめぐる近年の動き
 1-1-5 地域社会の変容
 1-1-6 小括
1-2 地域の中のラジオ−コミュニティFM
 1-2-1 コミュニティFMの歴史
   1-2-1-1 草生期
   1-2-1-2 激増期
   1-2-1-3 模索期
   1-2-1-4 第2次ブーム期
 1-2-2 コミュニティFMの現状
1-3 地域のメディアの役割とは

第2章 島のラジオの地盤

2-1 鹿児島県と離島
2-2 鹿児島県のメディア環境
2-3 奄美大島
 2-3-1 奄美大島の環境
 2-3-2 奄美大島の歴史
 2-3-3 奄美大島のメディア
   2-3-3-1 新聞
   2-3-3-2 ラジオ

第3章 あまみエフエム ディ!ウェイヴ

3-1 あまみエフエムの成り立ち
 3-1-1 “場”を作る
 2-1-2 広がりを求めて
 3-1-3 イベントからラジオへ
3-2 あまみエフエムとは
3-3 地域色豊かな番組
 3-3-1 島関連アーティスト番組
 3-3-2 生ワイド番組の人気コーナー
3-4 ディ!のある風景
3-5 懐に飛び込んでいく取材
3-6 制作にかける想い
 3-6-1 “島ネタ”探しの制作会議
 3-6-2 “島のメディア”として
3-7 島のラジオのすがた
 3-7-1  これまでのあまみエフエム
 3-7-2 転機となった奄美豪雨災害
 3-7-3 これからのあまみエフエム

第4章 あまみエフエムの広がり

4-1 奄美大島全島へ
 4-1-1 FMうけん
 4-1-2 FMせとうち
 4-1-3 FMたつごう
4-2 島を超えて~種子島のコミュニティFM
4-3 島のメディア

終章

5-1 結論
5-2 本論文の振り返って
5-3 本論文の課題点

引用・参考文献一覧
【卒論を書き終えて】
 私は以前から、“いなか”の鹿児島県出身というコンプレックスを抱いており、あまり地元のことが好きではありませんでした。しかし、東京で暮らし始めるうちに、“鹿児島人”としてのアイデンティティが芽生え始め、もう1度地元・鹿児島のことを見つめ直したいと思うようになりました。そんな私にとって卒論は、鹿児島と向き合う絶好のチャンスでした。
 卒論を書くにあたり、計画通りに進まなかったり、やってもやっても終わらないなど、本当に毎日苦しい思いをしました。しかし、あまみエフエムのスタッフの方々をはじめ、奄美大島のシマッチュのみなさんや種子島のNPOの方など、多くの方々との“出会い”が何よりの励みになりました。卒論を書き上げられたのも、こうした方々のご協力があったからだと思っています。多くの人に支えられ、鹿児島をテーマにした卒論を書き上げた今、以前よりも地元のことを、そして地元の人々のことを、愛おしく感じます。 
■ヤマサキ
【タイトル】
「憧れによる日常の侵略」
〜杉並に残る子どもたちの戦争記憶から見る「お国のために」精神〜
【要約】
 本論文は、第二次世界大戦中に「お国のために」という考え方をする子どもたちがどのような生活を送りそのような思想を得たのか、ということをテーマとし、杉並という地をフィールドに戦時中に子ども時代を過ごした方のインタビューを通して考察している。まず第一章では、この分野での先行研究を取り上げ、自分のテーマがどういう立ち位置であるかを明確にする。第二章ではフィールドとなる杉並という町にどういった歴史があり、戦跡が残されているのかを考察している。第三章では、子どもたちの生活の三分の一以上を過ごす学校生活に焦点をあて、軍事的な内容がいかにして教育に入ってきたのかを取り上げている。第四章では、学校外の生活での流行にどのような軍事色が見られるかを取り上げている。終章では、一章から四章までを総括して本論のテーマに対し自分なりの結論を出し、今後の課題について述べている。
【目次】
目次

序章

0-1 テーマ設定に至った経緯
0-2 本論文の構成
0-3 インタビューにお答えいただいた方の紹介

第1章 先行研究

1-1 日本の戦中における子どもの教育に関する先行研究
1-2 日本の戦中における子どもの生活に関する先行研究
1-3 まとめ

第2章 杉並という町

2-1 杉並の今
2-2 杉並区に残された戦跡
2-3 桃井原っぱ公園と中島飛行機
2-4 杉並の小学校

第3章 戦争の足音が聞こえてくる学校生活

3-1 尋常小学校から国民学校へ
3-2 戦争色に染まった学校
3-3 学ぶことができない勤労動員
3-4 学童疎開

第4章 暮らしの中の流行

4-1 衣服から見る戦争ムード
 4-1-1 大正から昭和初期の衣料事情
 4-1-2 着物の柄に見る「かっこいい」
 4-1-3 七五三と「アコガレ」
4-2 遊びに見る「かっこいい」
 4-2-1 おもちゃの変化
 4-2-2 兵隊さんごっこ
4-3 のらくろの流行
4-4 音楽にみる反発の気持ち
 4-4-1 戦争色の強い音楽
 4-4-2 替え歌にこめられた「反発」

終章

5-1 結論
5-2 本論文の振り返り

参考文献
【卒論を書き終えて】
「戦争プロパガンダを研究したい」
 高校生の頃から考えていたテーマを、学生の集大成である大学四年、一年間かけて研究を行いました。この分野は既に研究もかなりされていて、その上広大なテーマだったため、一年しかないという時間の制約の中で研究できる範囲は非常にせまく、結局絞り込めなかった私の卒業論文は、どの項目も中途半端なものになってしまいました。
 「子ども」という切り口で見ていこうと思ったのは正直たまたま読んでいた本におもちゃの歴史が載っていて、興味を持ったからでした。しかし、調べれば調べるほど子どもは感覚の部分で戦争を感じ、参加していたということに面白さと怖さを感じました、
 卒論を書いて、そのテーマが嫌になってしまう人も多いと聞きますが、私はこのテーマの奥深さに触れ、今後も研究をしていきたいと思いました。
 古川ゼミ4期生は11名それぞれ全く違うテーマで卒論を執筆していました。私にとって全く興味のなかった、または考えたこともなかったテーマがたくさんあり、1年前の自分では考えられないほど様々な分野に興味が湧きました。自分の知識が増えていくこと、興味の対象が増えていったことは、ゼミに入らなければここまで得られなかったように感じます。1年間、11名と先生、12名で走り続けられて本当に良かったです。ありがとうございました。  
■ヨウオク
【タイトル】
公娼制度が作り出す精神の”ウチ”と”ソト”
〜「赤線」が区別したものはなんだったのか〜
【要約】
本論文では公娼制度が作り出した精神の“ウチ”と“ソト”をテーマに、かつてその地図上に線を引き、他の地域と区別され公認された売春地帯“赤線”から、その背景にあった歴史と性の“線引き”の意識を考察する。“赤線”以前も日本には「遊郭」という公娼制度があり、そこには人身売買によって取引された遊女たちが並び“非日常”の空間を作り上げていた。第二次世界大戦後、GHQによる公娼廃止指令によって遊郭は消滅するも、日本は進駐軍のための慰安施設・特殊慰安施設協会(RAA)が組織し、赤線が形成される。事実上の公娼制度は存続し、売春防止法の施行される1958年まで続くのであった。この売春防止法によって赤線は廃止されるが、高度経済成長によって獲得した経済的優位を背景に日本人男性によるアジアでの買春旅行が横行する。公娼制度における“線引き”の精神構造は消滅することなく、アジア諸国にまで拡大し、現在に至るまで引き継がれているのだ。
【目次】
目次

序章

なぜこのテーマに至ったのか、関心を持ち問題意識を持つようになった経緯、問い

第一章「私が歩いた赤線跡:スカイツリーの麓にあった売春地帯」

1-1カフェー(特殊喫茶店)とは
1-2玉の井
1-3鳩の街
1-4空間としての“ウチ”と“ソト”の区別
1-5精神の“ウチ”と“ソト”

第二章 日本売買春史から見る精神の『ウチ』と『ソト』

2-1 日本における売買春の歴史
 2-1-1 江戸時代の遊郭
 2-1-2 遊女奉公契約
2-2 公娼制と性のダブルスタンダード
 2-2-1戦前日本の公娼制
 2-2-2牛馬切りほどき令
 2-2-3 唐行きさんの悲劇
2-3 特殊慰安施設協会 RAA(Recreation and Amusement Association) 
  “守られるべき性”と“差し出されるべき性”
2-4 公娼廃止令と赤線の誕生
2-5売春防止法

第三章 日本とアジアの「ウチ」と「ソト」

3-1 買春ツアー
3-2 国境を超える日本とアジアの売春観光産業
3-3 横浜市中学校校長によるフィリピン買春事件から見る“意識の線引き”

第四章 現在日本の売春産業 引き継がれる“意識の線引き”の現状

4-1売春防止法以降の風俗営業
4-2 橋本徹氏の発言から垣間見える現在も残る“差し出される性”の意識

終章 まとめと振り返り、問いに対する答え
【卒論を書き終えて】
 今回明学での学生生活の集大成として卒論を書くにあたって、個人としてではなくゼミという一つのグループとして他の仲間と一緒にその作業を進められたことは、自分にとってとても大きかったように思う。というのも,古川ゼミは個々に関心領域がバラバラで個性的なテーマの人が集ったため、自分の研究と同時進行して他のゼミ生の関心領域においても沢山学ばされることがあり、苦しいながらも新たな発見が日々あったため、充実した一年を過ごせたからだ。また、行き詰まったときに他のゼミ生から刺激やヒントをもらうことが多かった。
 卒論は私にとって初めての論文執筆の機会であり、自分自身の甘さや人に順序立ててなにかを伝えるということの難しさを痛感した。しかしこの、人になにかを伝えるという行為は、人間が生涯を通じて行なっていくことであり、“卒論”によって自分の中に今後に繋がる課題を発見できたことは大いなる成果であったと思っている。

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