日本でかなり普及してきた自動で台座が昇降し、背もたれの角度が変わり、支脚器の角度がかわって開脚するシステムは、「女性にやさしい」機器として開発、導入されてきた。これは世界の最先端ということができるし、世界ではそれを必要としていないということもできる。韓国や台湾では、それぞれの国のメーカーが日本の内診台と似た形状の内診台を製作して販売しているが、どんな機能が付いているかを検討すると、かなり違う。
内診台の形状や機能が変化し、不快感が減少してきたという意見もあるが、相変わらず女性にとって内診台に乗ることは不快な経験として語られる部分もある。日本だけではなく、国外調査の結果からも、内診は医師もそれだけ気を使い、配慮する必要のあることだと認識されていた。内診台にのぼることにさほど抵抗のない人もいるにしても、多くの女性が経験し、その経験を嫌なものとして語る内診台はなぜ存在するのか、なぜあのような形状なのか、どうしてあのような環境に置かれ、あのような使われ方をしているのだろうか。そういう疑問を抱く人がいなかったわけではないだろうが、それを変えられるものだとは思わずに受け入れてきたところにも、日本の文化が反映されているのかもしれない。
海外調査をして、日本の内診台の目的、機能、付属品、周辺の環境は日本の産婦人科医療という文脈において成立しているということがわかった。それは医師と患者の関係、女と男の関係、わたしたちのコミュニケーションの仕方や身体動作、さらに恥ずかしさといった文化との関わり、そして精密機械を製作する技術力、それを購入する経済力などなど、さまざまな要素がからんでくる。日本の内診台の環境にほぼ必ずあるカーテンひとつとっても、文化的社会的な違いが浮き彫りになってきた。イギリスでは、日本人を主に診察する日本人医師によるクリニックにはあったが、フランスにもアメリカにもなかったことは、それを象徴している。韓国ではカーテンのない病院とある病院を見学し、台湾で見学した3件はカーテンがあった。
内診が産婦人科診療に欠かせないものだとしても、いまの日本の内診台の上で取らされる女性の姿勢が不可欠なものではないだろう。また、そもそも内診台があった方が診療がしやすいとしても、なくても診療できる場合もあるはずだ。それはイギリスの状況からも学べるし、思春期の女性を診療するアメリカの家庭医(Family Doctor)が内診の際に注意していることについての発言からも私たちが学ぶことは多い。さらに、日本の泌尿器科調査で、「なるべく膀胱鏡台に乗せない」ための努力がなされていることが泌尿器科の医師によって話されたのは、内診台を考える上で貴重な意見だと考える。
つまり、プロジェクトの成果として伝えたいことは、一言、いまの日本の内診環境が変えられないものではない、ということだ。
最後に、この調査プロジェクトに協力いただいたすべての皆様に感謝の意を表し、結びの言葉としたい。ありがとうございました。 |