タイトル

「文学青年」というイメージはいかに作られたか‐雑誌『中学世界』『文章世界』の読者投稿欄分析1898-1925-

A Discourse Analysis on Image of “Bungakuseinen”: A Study of Chugakusekai and Bunsyousekai 1898-1925


目次


第1章 「序論」
1-1テーマ決定の経緯
1-2問題-「文学青年」がもつイメージ
1-3先行研究
1-4本論で扱う「文学青年」
1-5なぜ『中学世界』と『文章世界』なのか
1-6本論文の構成

第2章 「文学」と「青年」はいつ結びついたのか
2-1明治期における「文学」の成立
2-1-1「文学」概念の成立
2-1-2「政治」から離れる「文学」
2-2「文学」に熱中する若者たちの登場
2-2-1「文学」に熱中する「青年」たち‐投稿熱、煩悶青年‐
2-2-2文学に熱中する「煩悶青年」 2-2-3藤村操の自殺‐社会問題として取り上げられる「文学」
2-3まとめ―「文学」にふける「煩悶青年」

第3章 雑誌『中学世界』から『文章世界』への変遷
3-1雑誌『中学世界』の歴史的変遷
3-1-1雑誌『中学世界』が創刊されるまで
3-2『中学世界』の誌面の変遷
3-2-1創刊(1898)から1904年の誌面
3-2-2「日露戦争」以後の誌面
3-3創刊から『文章世界』への分離‐文芸(投書)専門誌としての独立

第4章 雑誌『中学世界』『文章世界』における「文学青年」イメージの形成
4-1この章で論じること
4-2創刊から日露戦争前の青年文壇欄
4-2-1 1898年‐創刊時における「文学」と「青年」
4-2-2 1899年‐はがき投書欄廃止
4-2-3 1900年‐1905年‐「煩悶」、「厭世」、「繊弱」
4-2-4 1906年-1925年‐青年文壇欄廃止まで
4-3『文章世界』の読者論壇と読者通信欄
4-3-1 1906年-1908年-「煩悶」、「厭世」、「繊弱」
4-3-2 1909年-1915年-「文学青年」の登場
4-3-3 1916年-廃刊まで-共有する「文学青年」イメージ

第5章 「結論」-「文学青年」のイメージはいかに作られたのか
5-1『中学世界』からの文学愛好者層の移行
5-2「文学青年」の共同体

第6章 「論全体のまとめ」-この論文で明らかになったことと、今後の課題
6-1明らかになったこと
6-2不十分であった点と今後の課題

要約

「文学を好きな若者」のことをどうして「文学青年」と呼ぶのか。本論は、その問いを出発点として、「文学青年」というイメージがいかに形成されてきたのかを探ることを目的とする。そのための題材として、雑誌『中学世界』『文章世界』を取り上げる。「文学」が青年たちにもてはやされた明治期に創刊されたこの雑誌を分析し、「文学青年」というイメージがどのように形成された過程を読み取るのである。明治中期において「文学」に触発された若者たちが、自分の内面や存在についての葛藤から、自殺に及んでしまうという社会現象が生じていた。彼らは「煩悶青年」と呼ばれ、『中学世界』や『文章世界』において取り上げられていたのであるが、次第に「煩悶」という言葉自体に意味を見出さなくなる。単に青年が「文学」を読むことを批難するだけの言説に変化してゆく。また雑誌においても若者たちが自らを「煩悶青年」としてではなく、「文学青年」と自称し始めることが読書投稿欄において明らかになった。第5章では自らを「文学青年」と名乗ることについての考察をする。そして「文学青年」というイメージがいかに形成されたのか述べる。論文の最後では、「文学青年」というテーマについて今後の課題を示す。


Summary


Why “a young literary enthusiast” is called “Bungaku Seinen”? The aim of this study to consider that how has an image called the “Bungaku Seinen” been formed? As a material to observe images of “Bungaku Seinen” that I will take up the magazine Chugakusekai and Bunsyousekai. This magazine was published in the Meiji period when “literature” became popular among youths. In analyzing this magazine, we can observe what read the process of how the image “Bungaku Seine” was formed. In the mid time of Meiji, Youths influenced by "literature" and thought about one's inside and existence, worry and commit suicide. It became a social phenomenon. The young people were taken up as “Hanmon Seinen” in Chugakusekai and Bunsyousekai. However, the word “Hanmon” is not gradually used. It simply changes to a discourse just to criticize the youth to read "literature”. As a result of this study is revealed that young people began to call themselves “Bungaku Seinen” in the Reader's column. In chapter 5, I will consider about self-identifying as “Bungaku Seinen”. Then I will tell you how the image "Bungaku Seinen" was formed. In the last of chapter, I show a future problem about the theme of “Bungak Seinen”