▼卒業論文をつうじておもったこと

 わたしが卒論とむきあったなかでたいへんだったなあとおもうことはふたつあります。ひとつめはテーマ設定です。わたしは10月のおわりにテーマが決まるまで自分のなかにあった問題意識とながらく向き合うことをせず、すきなものや興味のあることにむりやり理由をつけ毎月発表していました。けれども、表面的な理由をこじつけてばかりいたために、ゼミ生から質問されてもうまく答えられず、またそのテーマを掘り下げてゆくことができませんでした。先生からも、もっとよく考えなさい、そうなんども言われてきました。しかし当時のわたしはその「考える」ということがどうにもわかっておらず、いまおもいかえせば中身などまったくない、上っ面の発表ばかりをくりかえしていました。自分と向き合いたくない、苦しいことはしたくない、たのしいテーマにすれば卒論もたのしく書けるのではないか、そんな意識がずっと胸にあったのだとおもいます。しかしあるとき、このままではもうどうしようもない、逃げてばかりだった自分と向き合いたい、変わりたい、そうおもったのです。すぐにノートをひろげ、これまでわたしがなにを考えどのように生きてきたのか、なにが大切でなにから逃げてきたのか、そんなことを手あたり次第に書き、まとめてゆきました。すると、テーマらしいテーマはまだ思考のなかにこんがらがったままでしたが、自分のなかにあった問題意識や大事なものがどんどん浮彫りなりました。そのことを個人的に先生にお話しにゆくと、「軸はそれでよい。きみのなかに問いは必ずあるから、調べるうちにどんどんクリアにしてゆけばよい」とのことでした。それからわたしは自分自身の問題意識のなかでテーマをみつけようとしてゆきましたが、ここでもなかなかおもうように方向性を定めることができませんでした。おそらく、軸が決まったことで多少なりとも安心してしまったのだとおもいます。わたしはまた自分の問題意識をノートに書き上げ、思考を整理し、自分と向き合う作業を行いました。わたしが論文のテーマと具体的な方向性を決めるまでにおこなった作業はほんとうにこの繰り返しでした。この作業は毎回ほんとうに苦しく、なにしろ自分の過去やおもいを洗いざらい書き出してゆくものですから、毎度毎度自分の傷を広げているようなおもいでした。けれども、いまとなってはその作業をなんどもおこなったことが、いまのわたしに繋がっているとおもいます。
 具体的なテーマと方向性が決まってから、いよいよ執筆をはじめたのですが、ここからがたいへんだったことのふたつめになります。具体的な方向性が決まったのが11月の中旬で、そこから更に問題意識を掘り下げ、先生とも相談しながら調査方法を決めていったのですが、なにしろ時間がもうわずかしか残されておらず、できることも限られていました。時間は限られているけれど、ここまではやりたい、そのおもいから卒論を進めていましたが、計画通りに進められた日は一日ありませんでした。またわたし自身の問題意識がぎゅうぎゅうに詰め込まれた論文でしたから、執筆するのが苦しい時期もありました。「自分自身の問題意識を論文は別問題なのだから、自分のことは一旦横に置き、いまは論文としっかり向き合いなさい」と先生からもアドバイスをいただていましたが、自分のこころをコントロールするのはとてもむつかしかったです。もともと自分自身を客観的に考えて計画を立て実行してゆくのも苦手だったので、結局論文は提出日の朝まで書き続けていました。なんとかここまではやる、というところまでは書き上げることはできましたが、内容面での薄さや論文の体裁面でも不備がたくさん残っており、ここがおおきな後悔としてのこっています。
 けれども、口頭試問ではテーマ設定にいたるまでの経緯にかんして、主査であった長谷川先生に褒めていただけました。テーマが具体的に決まるまでは表層を漂っていて紆余曲折していたが、自分をごまかさず向き合えたことは〈シンシン〉の強さである、と言っていただけたときはほんとうにうれしかったです。もっとはやく自分自身を向き合えることができていれば、論文のできももっと違ったものになっていたかもしれません。しかし論文を通じてたくさん迷ったり苦しんだり、遠回りしながら自分と向き合えた時間は、わたしにとって必要なものであったのだとおもいます。また先生からは文章の書き方についても評価していただきました。わたしは以前より文章を書くのがすきでしたが自分の文章に自信はありませんでしたから、とてもうれしかったです。そうして、先生は口頭試問の最後に、これからもがんばってね、とわたしに言いました。そのとき、卒論の提出はゴールではなくスタートであること、わたしはまだスタート地点に立っただけなのだということに気付かされました。わたし自身のなかにある問題意識についてこれからも向き合い、また自分が考えなければならない大切なことから逃げずに、がんばって生きてゆこうとおもいます。