春休みの個人課題について

〈わし〉は春休みの個人課題として、「1週間ごとに宗教に関する本を一冊読み切り、要約と疑問点を呪術という観点からまとめたレポートを作成する」というものを行いました。テーマは1週目から順に、キリスト教・ユダヤ教・ヒンドゥー教・日本の新興宗教・神道・日本の土着信仰についてです。このページではまとめたレポートをそのまま掲載しています。

第一週 / 第二週 / 第三週 / 第四週 / 第五週 / 第六週 / 反省


第一週

読んだ本:Hlide Schmolzer著、進藤美智訳『魔女現象』(1993)、白水社

・要約
 魔術師や魔女は有史以前から存在しており、自然的な力と関係しているとされていた。ゲルマンやスラブにおける魔術や呪術の力を持つのはおもに女性で、使用した魔術が有害の時にのみ罰せられた。キリスト教が古代の異教の神々を征服し始めてからは、古代の祭儀は性的な放埒と同一視されており、古代の宗教において重要視されていた女性は、その攻撃の対象となった。キリスト教は女性を原罪を引き起こしたものとして見なし、男性より悪魔に誘惑されやすいとした。
 中世において、魔術による犯罪は死刑であるべきであるという考えが発生してくる。魔術的行為は、害かどうかではなく、非キリスト教的内容であるから故に罰せられるようになる。グレゴリウス9世が異端罪を特別重罪扱いにしてからは、異端者迫害が急速に広がって行った。
 また、異端と魔術の結合は当然と思われていた。魔女は悪魔との契約を結び人間と動物へ害を与えたり、キリスト教を滅ぼそうとし、魔女は悪魔との性交を頻繁に行っていた。教会において性は抑圧・敵対視されており、この点は特に強調されていた。また、サバトと呼ばれる魔女の集会においては、邪術を教えたり子供の肉を食べたり、裸体で踊ったり乱交したりといったことがなされているとされた。  迫害への拍車をかけたのが南ドイツの異端審問官インストティリスによる『魔女の槌』の発行で、これにより魔女宗派の拡大による危険・根絶の必要性が理解され、急速に広まった。ターゲットは女性に絞られ、世俗裁判所に魔女の処罰を委ねることにより、より効果的な迫害と死刑宣告が行われた。女性の堕落の原因は悪魔との契約による性的貪欲さで、男性の本能衝動は女性に責任があるとされた。  魔女裁判においては、魔術は特別な犯罪であってどんな行為も許された。密告と噂が裁判の起因であり、密告を行わないものは逆に疑われた。審問官の関心は悪魔と、それを打ち砕く拷問に置かれた。魔女が行った妖術として主に、雹や嵐、洪水など食べ物を不作にする天災を起こす天候の魔術や、農民の重要な飲食物であった牛の乳を出なくさせる牛乳の魔法、性的不能を起こす恋の魔法などが信じられていた。これらの事象の偶発などによって、一旦嫌疑をかけられると迫害から逃れることはできなかった。多くの拷問や検査は不正に行われ、魔女たちは自白に追いやられた。
 魔女裁判は聖職者などの上部構造から生まれ、また上部構造によって終焉を迎えた。16、7世紀において魔女裁判を懐疑するものたちの間では、未だ魔女や悪魔の存在は否定されていなかったが、拷問の方法や公正な裁判、魔女のサバトなどに対する疑念を持ったものが多かった。近代、描かれる魔女は年老いた風変わりな外見の、貧しい女性である。これは中世や童話のイメージによるもので、魔女裁判が行われていたときの性的なものとは異なっている。また、75年にコロンビアで最初の魔女会議が行われ、占いや水晶、惚れ薬などの品物の販売が大盛況したこともあり、現代の魔女は勝利していると言って良いだろう。

・疑問点
 疑問点は三つある。一つ目は魔女検査についてである。嫌疑がかけられた女性に対し魔女かどうかを判断する魔女検査において、しばしば不正が行われた。幾つかの検査が行われたが、その中に、魔女の軽さについての検査があった。水のなかに女性を入れ浮いたら魔女だと判別したり、秤によって重さを計測するものがあり、多くの場合は執行人によって沈まないように寸止めされたり、秤の目盛を改ざんされたりしたが、オランダ・オウデファーターの魔女の秤では、そのような不正が行われず、正しい目方をつけた。そして、何人もの無実の女性たちを救ったという。また、他の国々の魔女狩り人や聖職者からも、この秤の権威は認められていた。魔女に有利な行動を起こすとすぐに自らも嫌疑をかけられる時代において、この秤だけが公正を保ち無罪を証明することができたのはなぜなのか。
 二つ目は、カトリックとプロテスタントによる魔女裁判の有無であったり程度について。この本においてはあまりカトリックとプロテスタントとの差には触れられていないと感じたが、ここに差はあるのだろうか。また、北欧の国、オランダやスウェーデンにおいては迫害があまりなされなかったり魔女裁判の終結が早かったり、イギリスでは魔女裁判が禁じられている一方で、ドイツなどでは大変流行したと考えられるが、同じキリスト教徒の国において、その違いがあったのは何故か。気候や風土、国王の方針や宗派の違いなどに関係があったのだろうか。
 最後に、魔女の使う妖術について。魔女たちは、毒性のある植物によって作った粉薬や軟膏を用いて天候や動物を操ったり、恋の魔法においてはヒモやリボンを用いて男性を不妊にしたりしたということが行っていた。この本を読むに、随分と細かい薬草の指定、方法の指定があるが、そのような妄想・空想はどこから生まれたのだろうか。また、妖術を執り行う際に発する言葉について、この本を読む限りでは、その当時に民間で使用されていたフレーズの組み合わせによってできていたのではないかと思った。今わたしたちが魔女の呪文と言って空想するような、何を言っているか分からない、古代のことばで構成された呪文のようなものは存在していたのだろうか。

▲トップへもどる


第二週

読んだ本:ミルトン・スタインバーグ『ユダヤ教の考え方ーその宗教観と世界観ー』(1998)ミルトス

・要約
 ユダヤ教は、神・宇宙・人間についての教説、個人と社会に対する道徳観、典礼・習慣・儀式の実践、法体系、聖文字、それらを具体的に表すための制度、そしてイスラエルの民などの要素が組み合わさってできている。ユダヤ教は、神のことを知り、愛し、崇め御心を行う神に関する主張と、隣人を愛し、正義と慈しみを持って接する人間に関する主張のふたつを本質的に持っている。ユダヤ教の教典と言えるトーラーには、モーセ五書と物語、神についての概念、儀式や宗教的機構などについての制度、法典、ユダヤ人の定義が記されている。トーラーは、思想と価値観とを表した、己の本質そのものと言える。トーラーが全て真実で、神の啓示であるかどうかについては、保守的な伝統派と近代主義者との間で違いが生じているが、いずれもその権威を認めている。
 また、ユダヤ教では神に関して、神は一つであること、神は一つであって多ではないこと、神は一つであって三つではないことが断言されていること以外には、解釈は人それぞれである。神はある人にとっては創造主であり、霊であり、法を授ける者でも、歴史の先導者でもあり、そのイメージも自由である。神は人間を造り、その姿を自分自身に似せた。そのため、全ての人間は神の子であり、自分以外の他人もまた神の子であり兄弟である。故に、どんな人間でも神を分かち合っているのだから、全ての人間に敬意を払い、傷つけてはならないとされている。
 イスラエルの信仰であるユダヤ教には、イスラエルに対する信仰も含まれる。この信仰の中に、イスラエルは神の啓示を受ける民として神に選ばれたという「選民」がある。キリスト教やイスラム教の発生は、「選民」の思想を高めることになった。また、ユダヤ教では非ユダヤ人に対して優越性は認めていない。しかし、他の宗教は偽りではなく、部分的には真実であるとしている。ユダヤ教は、キリスト教徒の行動や性質について基本的には肯定の姿勢を示している。
 ユダヤ教の祈りには、黙想、崇拝、感謝、確認、服従、懺悔、抗議、探求、嘆願がある。これらの祈りは、誠実で、見せかけや偽物ではなく、生きたものでなくてはならない。また、神と現実を正しく認識し、倫理的で清くなくてはならない。祈りが正しく用いられとき、感情を解放しはっきりと表現できない考えを具体化・意志の力を奮い起こし、人格を高いレベルに引き上げる。またこの祈りは、一日三回の礼拝の他に目覚めから食事、就寝までの行動一つ一つで行われる。さらに、ユダヤ教にはいくつもの祭りと聖日、人生の節目における儀式がある。これらは、ユダヤ人の生活様式として、生活を聖化するために、あるいは鍛錬や教育として、他のユダヤ人との親交として、アイデンティティを守る生存機能として、ユダヤ人の一日にも人生にも根付いている。

・疑問点
 呪術などの面から考えた時、この宗教に呪術は存在しうるのだろうか、という疑問がある。ユダヤ教は基本的に自分も他人も、他の人種や民族、宗教でさえも肯定し、また傷つけては行けないというスタンスをとっている。さらに、これまで行われてきた迫害に対しても、抵抗と言うよりは逃避し耐え忍んできたという印象を受けた。また悪や罪についても、悪魔からもたらされたという意識はあまりないように思える。こういったユダヤ教の文化の中では、他者を呪ったりする呪文や呪術は発展しないのか。ポジティブな方向では、穀物の豊作などの祈りは、トーラーに制定された儀式や祭日がその役割を担っている。そのような繁栄であったり幸福のための祈りというのは、すべてユダヤ人の日々の生活と人生の中に織り込まれ、呪術と言うには神との関わりが大き過ぎる。また儀式なども特別だったり神秘的ではなく、完全に人間の生活リズムの中に当然として浸透しているように思える。一般的な魔術や呪術のようなものを存在させておく必要性を、ユダヤ教の考え方からは感じない。ユダヤ教において、魔術や魔術師などは存在していたのか。存在していたとすれば、どのようなものか。反対に、どういった条件下では魔術や呪術が生まれやすいのだろうかという疑問が浮かんだ。また、ユダヤ教やそれにまつわる呪文を調べる中で「カバラ」や「ゴーレム」というキーワードに行き当たったが、今回は調べることができなかった。
 また、この一冊だけでは判断することはできないが、ユダヤ教は高い道徳水準を持ち合せ、さらにキリスト教などにはあまり見られない自由さや柔軟さがあると思った。我々は神に選ばれたものである、という選民思想が、彼らの意識を高め水準を上げることに大きく関係しているように思える。このような思想や思考が生まれて来る背景には、何があるのだろうか。自然環境か、そこに居た人間たちの能力によるものなのか。

▲トップへもどる


第三週

読んだ本:J.A.デュボア著、H.K.ビーチャム編、重松伸司訳注『カーストの民 ヒンドゥーの習俗と儀礼』(1988)平凡社

・要約
 ヒンドゥーには大きく分けて四つのカースト=階級(あるいはグループ)がある。上から、司祭であるバラモンを含むブラーフマナ、軍人などのクシャトリヤ、土地所有者や商人の階級であるヴァイシャ、そして農民や雑役層のシュードラである。これらは細かく枝分かれし、職業ごとにカーストがある。そしてそれぞれのカーストは、独自の慣習を持っている。
 ヒンドゥーの間では、こうしたカーストによる区分が重要であり、見た目から行動に至るまで他のカーストと厳格な区別をつけている。人はカーストによって職分に縛られているため、生活を変えることができないが、これは利点でもある。どんなに駄目な人間にも、職分や職能を持たせられることにより、社会組織が維持されている。ヒンドゥーにとって最も重い罰則はカーストからの追放であり、カーストを失うと親戚や友人、妻子を失うこともある。また、再び元のカーストや他のカーストに復帰することは大変難しく、厳しい試練を突破しなくてはならない。また、カースト制度は古くから遵守され、他の風習の介入も難しくなっている。
 四大カーストで最も高位であるバラモンを中心に、ヒンドゥーには二つの大きな役職がある。ひとつはグルである。グルは「師」の意味であり、聖俗の権限を持っている。本来のグルはすべての徳目を常に実践し、信仰心が強く、聖なる地を巡ったことのあるような人物だが、実際には異なっている。しかし人々はグルからの恵みを信じ、グルの残り物の食事や口をすすいだりした水などをありがたがる。また、グルは呪いを持っており、呪いを受けたものには不幸が起こるということが伝えられている。もうひとつは、プローヒタである。彼らは彼らのみが発行できるヒンドゥー暦に基づいて、吉凶の日付を定めたり、お払いや祝福をし、特にヒンドゥーの元旦には王や軍事、天候などについての予言を行う。そして彼らは、結婚式や葬式などの儀式を行うためのきまりやマントラを知っていおり、他のヒンドゥーの儀式に呼ばれそれらを施す。
 ヒンドゥーの祈りであるマントラは、神自身の力をひきつけることができると考えられている。マントラは、念力や招魂、呪文として用いられ、害でも益でも、基本的にどんなことにも効果がある。最も有名なマントラは「ガーヤトリー」と呼ばれるもので、バラモンだけが唱える権利をもっている。また、同じく有名なものに「アウム(オーム)」がある。これは一にして不可分、思考の存在を表す象徴的な名前であり、存在・誕生・保持・破壊、すべての力が存在しているとされる。マントラを用いるのはバラモン以外にも、医者や産婆などがいるが、特に恐れられているのが呪術師や霊媒師である。盗品・泥棒、秘宝の発見、未来の予言などが、彼らの用いるマントラによって行われる。プローヒタによるマントラは、主に儀式において用いられる。儀式は、ヒンドゥーの通過儀礼(生誕や命名など、人生の節々の儀礼)において行われ、その折々に、プローヒタは儀式を取り仕切り、マントラを施すのである。

・疑問点
1、ヒンドゥー教における「グル」や「オーム」といった言葉を、先日テレビでオウム真理教の特集を放送していた際に耳にした。ヒンドゥー教のこれらの言葉は、オウム真理教の「オウム」や、同宗教で教祖麻原を指す「グル」と同じではないかと考えたが、ヒンドゥー教の言葉から来ているのだろうか。また、他にもオウム真理教の中で、このヒンドゥー教に関わる言葉が用いられたり、あるいは儀式や呪いの形式としてヒンドゥー教の要素が取り込まれているのだろうか。(次週の課題につなげていきたい。)
2、ヒンドゥー教において呪いの言葉やマントラなどは、グルやプローヒタといった位の高い人間、あるいは胡散臭い呪術師・霊媒師といった類の人間が特権的に使用しているように感じられた。一方で、呪力を持つ音節もきちんと発音し、使い方を知っている人であれば誰でも奇跡を起こすことができる、と言われている。しかし、本を読んだ限りでは、あまり一般教徒が用いているというようには感じられなかった。ヒンドゥー教信者にとって呪文とは、特権的なものであり低い階級のものは触れてはいけないというルールや暗黙の了解があるのだろうか。それとも、神によるしっぺ返しを恐れているのだろうか。一般的な民衆に浸透する、誰でも仕えるような呪文やまじないなどは存在しないのだろうか。
3、この本の中の例では、ヒンドゥー教徒は非常に呪いや恵みといった類の神秘的現象を信じやすいと示されていた。この原文が書かれてからはかなりの年月が経っているが、現在はどうなのだろうか。神秘現象を信じる、ということと社会の科学的発達は関係するのだろうか。西洋的文化をあまり受け入れられなかった当時と、成長が著しい現在のインドにおいて、ヒンドゥー教はどう変わってきたのだろうか。

▲トップへもどる


第四週

読んだ本:渡辺学『オウムという現象ー現代社会と宗教ー』(2014)晃洋書房

・要約
 オウム真理教は血縁と地縁が希薄化した都市化状況の中で、70年代からのオカルトブームや超能力ブーム、ヨーガなどの文化をそのまま反映し、発展した新興宗教である。教祖である麻原彰晃(本名:松本智津夫)は、1980年代、真言密教の新興宗教である阿含宗の会員になる。この宗教では、個人のカルマからの解脱、チャクラの覚醒による超能力の獲得が目標であった。84年に麻原はヨーガ教室「オウム神仙の会」を開くと、85年に神からの啓示を受け自らをアビラケツノミコト、つまり神軍を率いる光の命として自覚し、翌年にはヒマラヤで瞑想し最終解脱に至ったという。麻原が抱いていたのは様々な宗教が混じった習合信仰で、オウム真理教自体も、仏教やヒンドゥー教、道教など東洋宗教に基づいており、本尊はシヴァ神であるとされる。89年に出された宗教法人の申請書によると、古代ヨーガや原始仏教などを背景とした教義を広め、全ての生き物を輪廻の苦しみから救済することが目標であるとしている。
 オウム真理教ではシャクティーパットを施すことで弟子たちの修行を劇的に早めることができるとしていた。これは、相手の眉間に指を当て、霊的エネルギーを注入し、その人の霊的進化を助け、人体に潜在する根源的なエネルギーであるクンダリニーを覚醒させ、超能力を得ることができるというものである。またオウムには、「ポア」の概念がある。これは、魂を高い世界へと転移させるというもので、生きているものの命を奪い、麻原の霊力によってその魂の来世を良いものにする。オウム真理教においては、一般的な日常生活で食べ物の味覚や音楽の聴覚を楽しむことすら悪事となり、悪趣に生まれ変わる条件となる。現世の人々全ては悪趣に落ちる定めにあり、彼らが救済されるためにはオウムに入信して修行するか、麻原にポアされなくてはいけなくなる。また、麻原以外に本当の意味での救済を可能にする存在は無い。今まで悪業を成していな人がこれ以上悪業をなさないようにするのはもちろん、いままで善業しか積んでこなくても、将来悪業を積むだろうと成就者が判断すれば、ポアが行えるのである。
 また、オウムにおいてはヴァジラヤーナ計画というものがなされていた。ヴァジラヤーナとは、武力による救済のことで、麻原が救済の意志さえ持っていれば、罪ではなく救済になるとされる。これは大量ポアにつながるものでもある。この計画は、90年の衆議院選挙で麻原を含む信者25人が全員落選したことをきっかけにヴァジラヤーナの路線に乗り、大量破壊兵器を生産しようとする。そしてこれが、94年の松本サリン事件、95年の地下鉄サリン事件に繋がっていった。オウムのような事件を再発しないためには、現代の日本人と社会において欠如している宗教リテラシーを養うことが必要である。

・疑問点
 オウム真理教に呪術はあったのか。教祖麻原とその教えが絶対的であるオウム真理教において、それは必要ないように思う。そ教祖から贈られる言葉そのものが、呪術的であったり洗脳、催眠的要素を持っていたように感じられた。サリン事件の後も、実行した信者たちは、それは麻原によるポアであって犯罪ではない、罪ではなく善であるという旨の文言を唱えて自分に言い聞かせるよう、麻原に指示されたという。このように教祖が絶対的であるオウムにおいて、麻原以下の幹部たちが一般の信徒たちにこのような洗脳的行為を行ったり、教えを行ったりすることはあったのだろうか。
 世間を震撼させた地下鉄サリン事件から20年が経った今も、オウム真理教はアレフと名前を変え存在している。また、若者を中心として信者がふえているという報道が以前テレビの特集で組まれていた。発足当時の時代背景としては、オカルトブームであったり超能力ブームという前提がありそこから信者を信者が増えたことに繋がっているとされるが、現在もアレフに人が集まっている理由としてはどのようなものがあるのだろうか。しかも、皆サリンの事件などは知っているはずである。それを分かっていて、なぜ信者になるのか。現在の文化にも関係があるのだろうか。また、当時も有名大学の出身者や院の研究者など高学歴者が目立ち幹部あるいは実行犯として活動してきたようだが、現在においてどのような若者が信者になるのだろうか。

▲トップへもどる


第五週

読んだ本:武光誠『神道から日本の歴史を読む方法 日本人なら知っておきたい神道』(2003)河出書房

・要約
 神道は、時代に合わせて変化してきた宗教である。教えや法を持たず、その時代の新しい考え方をその時代の日本に合わせて取り入れてきた。権力者たちに利用されることもあったが、どの時代においてもその基礎は変わらない。
 そもそも神道における神とは、大和言葉の「上」が変化したもので、人間の能力を超えるものは全て「かみ」であるとされた。山や海、祖先の霊、人間が作った品物まで、あらゆるものに宿る霊魂が、人間に祀られることによって神になる。また、幾つかの系統がある創生神話に登場する、ウマシアシカガヒコジノミコトやタカミムスヒノミコト、そして皇室につながるイザナギノミコト・イザナミノミコトなどの神の名には、生命の起こりや生殖に関する言葉が使われている。これは、神道が生命力や生命の繁栄を最重要していたということを示している。これを基本の考えとして、神は祀られているその村落、土地を守っているものとされていた。  もともと、農民の村落単位や個人によって思い思いに信仰されていた神道に大きな変化が生じたのは、6世紀の大和朝廷の時代である。朝廷は、全国の支配を強化するために、天皇の祖先である天照大神(アマテラスオオミカミ)が八百万の神の頂点であるという思想を打ち出した。朝廷は、天照大神の正当後継者である天皇が各地の神を支配する立場にあるということを主張し、天皇家の祈年祭や新嘗祭といった祭祀を地方の祭りと結びつけることによって、支配を確立していった。更に7世紀には、更に渡来人がもたらした儒教の思想などを取り入れて、律令を作った。そして、儒教思想をベースに、国内の神の祭りに対する規定をつくり、祭りを王家の管理下に置いた。このような仏教の思想は6世紀初め頃から民間を発端として広まったもので、当時の人々は仏を他の神と同列に考え、また現世利益を求めた。人々は、仏や高僧に神にはお願いできない、政敵の排除といった個人的な願いを託したのである。また、江戸時代には農業が発展し富を手にするものが出てくると、金儲けなど個人的な願いを叶えてくれる福の神として稲荷など様々な流行神が祀られるようになった。しかし、人々はこのような流行神とともに、元々の地域や土地の神を同時に信仰していた。
 神道の行事は、現在でも行われている。例えば、春祭りや秋祭りなどは作物が十分に実るよう祈ったり収穫への感謝の行事であり、また夏祭りは元々は高温多湿で疫病が起こりやすい時期に疫病鎮めとして起こったのが始まりである。その他にも、結婚や葬式、七五三など冠婚葬祭の所々で神道の行事は日本人の生活に今も深く関わっているのである。

・疑問点
・神道において、願いは個人的に叶えられるものではなく、神はあくまで家族や村落といった社会と地域を守っているに過ぎなかったという。また信仰や生産力向上といった社会全体の願いは、祭りに集約されていた。よって、神道において個人的な呪いや呪文は発展しなかったのではないかと思った。それらについて、人々は仏や仏と同等の呪術を使うことができる密教の高僧に願いを託していたが、そのような呪術は大陸からやってきたスキルということなのだろうか。だとしたら、発祥はどこなのだろうか。
・平安時代の末に熊野三社を中心に修験道という仏教と神道、様々な民間信仰が混ざった新しい信仰が生まれており、修験道を身につけると病気なおしなどの呪術が使え、身につけた者は貴族や皇族にも頼られていたという。修験道は神仏習合であるため仏教の要素を持っているが、これらの呪術なども、ルーツは大陸なのだろうか。
・神道においてのまじないのような風習はいずれも自身の穢れを祓う、という意味合いを持っているようなものばかりで、マイナスの呪文は発展しえなかったように思うが、現在の日本において細かい呪いやおまじないのようなものは無数に存在している。これらの呪い、まじないはどこから生まれたのだろうか。周囲のものそれぞれに神が宿っているというアミニズム的で古代的、純粋な神についての考え方を持っているうちにはこれらは発展しないように思うのだが、比較的近代に生まれたものなのだろうか。
・神道には「祝詞」や「祓詞」というものがある。これらについて、呪文のようなものをイメージしていたのだが、どちらかというと内容は神へのお願いの言葉のようである。祝詞は呪文とはどう違うのだろうか。また、祝詞を「奏上する」というように、祝詞を読んだときのリズムはどこか音楽的な要素を持っているように感じる。仏教の読経なども独特のリズムがあり祝詞に似ているように思える。これらは神仏習合などで神道と仏教に交流したことによって、どちらかがどちらかに似てきたのだろうか。それとも、どちらも生まれたときからこのようなスタイルだったのか。

▲トップへもどる


第六週

読んだ本:宮田登『宮田登 日本を語る はやり神と民衆宗教』(2006)吉川弘文館

・要約
1、シャニマリズムと民間信仰
 神道の在り方を考える上でシャニマリズムは重要な要素である。天皇家などに伝承されているタマシズメの儀式は、新嘗祭などの際に行われる。これは、天皇に必要な霊力を外部から霊魂として付着させようという儀式で、儀式の最中御巫は、楽器の音に合わせ足音をさせたり舞ったりする。
 また、18世紀、登山が容易になってから出現し始めた、木曾や出羽三山などの山々を信仰する山岳信仰のなかにある儀式も、神懸かりの要素を含んでいることが多い。様々な儀礼を行い託宣をしていたこれらの山岳信仰の宗教者たちは、民衆の病気を治したり憑物を落としたり、社会事業なども行っていたことから、庶民に畏敬の念を持たれていた。

2、民衆宗教と民間信仰
 定着農耕民たちにとっての最も重要なことは、農耕的な世界が順調人展開することであった。それに沿って、守護霊たちを生み出してきた。しかし、都市化に伴って民間信仰の体系も変化していく。神への願いは、農耕のための雨乞い、虫除けといった地域の共同社会に及ぶものから、金儲けや病気を治すといった個人的なものに変化していった。
このように、民衆の状況や意識と民衆宗教は少なからず結びついてきた。民間の信仰の中には、宗教者が神懸かりの状況を起こし、その人物が定着した土地に信仰集団ができると言う現象もあった。この神懸かりの体験は、人間の人神化にも繋がっている。教祖の口から出る非日常の世界観が、民衆に感動を与え信者を増やしたのである。また現在にも残っている教派神道や新宗教にも、教祖のシャーマニスティックな体験を元に発展しているものが多い。

3、はやり神とはやり仏
 民衆と寺院の結びつきを示す例として、講中活動が挙げられる。近世以降の活動として、広く民衆の参詣を得る「開帳」が盛んに行われた。民衆にアピールできる縁起を仏に付すことによって、信者を得、財源を得た。開帳は民衆の生活の重要な展開を阻害する事件や災害などと関わりを持っている。社会緊張が続いたり政治・経済的な抑制により累積した民衆の願望を宗教的な救済の形で応えようとするとき、優れた宗教者が出現し、講集団の拡大、結束が起こった。
 不安定な社会の下では、様々な流行神が生まれた。例えば、不慮の事故などで亡くなり、悪霊と見なされ、祟りを鎮めるために祀りあげられた人霊なども、ときに流行しては熱狂的な信者を集めた。また幕末の混乱した世相の中では、カリスマ的性格を持つ聖や行者が登場した。このような熱狂的な信者を持つ神仏や寺社は為政者・幕府などの規制の対象にもなったが、こうした弾圧はあまり意味をなさなかったと言えるだろう。

・疑問点
・山岳信仰の一つでもある御岳講はかなり奇怪な儀式を行っていたとして、国から弾圧されたという。講や寺社、宗教者の元に多くの熱狂的信者が集い、その数の大きさが国を脅かす、危険であるとして弾圧や規制されるという例は、江戸時代などにあったようだが、このような「奇妙さ」で弾圧される例は他にあったのだろうか。そして、奇妙であるという基準は何なのだろうか。
・疫病や天災、政治体制のぐらつきなど、民衆の中に社会的不安が生じると、流行神が生まれたりもてはやされる。またこれらの神の登場は通時的であった。江戸時代程ではないにしても、現在の日本も社会的不安の多い世の中だと思う。しかし、国全体を覆うような、あるいは都市全体で巻き起こるような神のブームと言うものは感じることができない。今、そのような信仰が目に見える形で巻き起こらないのは何故か。何かはけ口になっているものはあるのか。それとももう、そのような神頼みは必要ないのか、あるいは、神頼みは年始の初詣や特定の個人的な願い(受験の合格や安産祈願など)をする場合に集約されてしまっているのか。
・民衆宗教の中でも通時的に存在していた流行神や仏は特に江戸などの都市や、ある程度栄えた地方都市に存在していた。こういった都市の中では、神への日常的な願いや日常的な儀式はあっても、日常的な呪いはなかったように感じられた。一方で山伏やイタコのような特殊な宗教の形態、奇怪・異常に感じられる儀式を持つ宗教はそれこそ山の中であったり、東北地方で栄えたという。都市以外の地方の地域のほうが、都市に比べ禍々しい呪いや呪術は発展しやすかったのだろうか。

▲トップへもどる


春休みを振り返って

第一条件、大前提として挙げていた「読み切る」ということは、毎週達成できました。自分の読書ペースを考えて、計画することができたと思います。要約について、ある程度時代の流れのあるものはまとめやすかったのですが、トピックス別のものは難しく、要約として成り立っていなかったようにも感じます。疑問点については、感じた疑問をノートにメモしておき、それを書き起こしていきました。しかし、設定したテーマに沿った疑問を、必ずしも挙げることはできませんでした。とにかく最後まで「読む」ということにまずポイントを置いて課題を行いましたが、それだけが先行してしまい、「書く」ことにあまり力を入れることができませんでした。
選択した本については、一度では理解しきれないものもありました。それは、周辺の知識が薄かったからだと思います。余裕があれば複数の本を読んだり、前提知識を得るために他の本を読んだりするべきだったと感じています。自分の興味のあるジャンルから本を選んだため、本を読むこと自体は大変なことではありませんでした。一度調べてみたいと思っていた領域のものを、この機会を借りて改めて読むことができたので良かったです。

▲トップへもどる