春休み個人課題

概要
・私〈シソチョー〉は、春休みの個人課題では自分が卒論ゼミを選択するにおいて、
 卒論として扱いたいと考えていたテーマ「演劇におけるチラシ」について本を読み
 レポートの作成または実際に演劇以外のチラシを比較するなどを行いました。

・第1週目と第2週目は、他のゼミ生と足並みを揃えるために、受講していなかった
 テクスト講読で扱われた本を読み、それぞれレジュメの作成や要約を行いました。


第一週目:ヴァルター・ベンヤミン『複製技術時代の芸術』のレジュメ作成
・レジュメはこちら


第二週目:鶴見俊輔『限界芸術論』の要約
芸術の発展
1、限界芸術の理念
著者は、芸術とは、美的経験を直接的につくりだす記号と言い、潜在的には、生きるという経験全体が、美的経験によっておおわれていると述べている。美的経験はそれじしんとしての「完結性」だけではなく、日常生活からの「脱出性」をもっているため、日常経験一般と区別される。美的経験が、人間の経験一般の凝縮かつ経験一般からの離脱反逆でもあり、美的経験は一種の観念性をもっていると言える。 わたしたちの美的経験の大部分は芸術作品とは無関係にもたれるものである。経験全体の中にとけこむように美的経験があり、その領域の中に芸術がある。さらに、芸術の領域のほんの一部分としていわゆる「芸術」作品が存在するのである。 著者は、今日の用語法で「芸術」と呼ばれている作品を「純粋芸術」、純粋芸術にくらべると俗悪、非芸術的な作品を「大衆芸術」、両者よりも広大な領域で芸術と生活との境界線にあたる作品を「限界芸術」と呼びわけている。 限界芸術を考えることが重要であるのは、系統発生的に見ても地上最初の芸術であること、個体発生的に見ても人間が最初に芸術に接近するものが限界芸術の諸ジャンルにあるからなのである。

2、限界芸術の研究
柳田国男は、限界芸術の問題に学問の立場から注目し、その著作は限界芸術の考察に基礎をおいた一種の芸術論の体系であった。彼の学風によって、限界芸術の諸様式が日本人がいつかどこかでした具体的な集団生活への手がかりとして位置づけられ、そこからたぐりよせられて芸術様式の底から集団生活の実態が浮き上がった。そこからは柳田の研究から、民謡を例に挙げ、それ特有のあいまいさに注目し、限界芸術が純粋・大衆芸術にまさる重大な意味をもつという認識の基礎となったと述べている。 芸術は遊びに源をもつとクローゼ以来の説だが、衣食住を確保する実際の諸活動の倍音として、労働をたのしいものにする活動、遊びがあり、労働の中にはっきりと遊びがあらわれるにしたがって、限界芸術、芸術の最古の形式となったと考えられている。また、柳田は多くの種類の限界芸術をとりあげ、ゴシップが物語芸術の分子にあたるとすれば、モノの名前そのものが物語性をはらんでいることを明らかにした。近世では新語は無名の大衆から分化発展しという見方がたてられ、専門作家はそれぞれの時代の新語の採用には民衆が作った新しい言い回しに頼るため、現代においても純粋・大衆芸術の契機は限界芸術に求められている。言語による純粋・大衆芸術の最小粒子は民衆が作り出す限界系術なのである。 総合的限界芸術は祭であり、祭は時代の芸術の総体を生んだ集団生活の実態の集約的表現なのである。しかし、今では有名な大祭は一種の大衆芸術となっており、限界芸術として働きかける新しい小祭をつくることがわたしたちに課せられた義務である。

3、限界芸術の批評
限界芸術の諸様式は他の活動様式にぞくしている。限界芸術を考えることは、芸術そのものの観点につきながら他の活動の中に入ってゆき、人間の活動全体を新しくみなおす方向を見いだせるのではないかと著者は考えている。この章では限界芸術にたいする関心が、宗教とむすびついて発展するもう一つの例を、柳宗悦から見ていく。 朝鮮の陶磁器に関心をもった柳は、発展して日本の手仕事の伝統をさがし、日常雑器を集め日本民芸館をつくった。雑器の美は実用とむすびつき、美の発揮される場所も日常生活で雑器が用いられる状態である。用いることに中心をおく美学は茶道にひとつの体系をもつ。 柳が考える民芸は、日本に残るすぐれた中世の遺産としての手仕事の作品に限定して考えられるとしても、限界芸術は柳の考えた枠をこえて、カメラとか映画とか、あるいはまたアマチュア放送などを含むものとしてとらえられることがのぞましい。と著者は主張する。 柳は宗教への関心をもっており、それはやがて物を愛する、日常生活につかう道具を愛することをとおして、それが表現されるようになった。これらは日本の伝統に深く根ざすと「奇数の美」、「わび・さび」などを例にとり、説明している。こうした伝統に自信をもち、日本の眼で世界を見ることで世界の美しさを新しく発見し世界に示すことをすすめる柳の批評の視点は、日本の限界芸術についての論評を軸としてつくられた普遍的な美学の体系であるといえる。

4、限界芸術の創作
限界芸術の作家として、この章では宮沢賢治をとりあげている。宮沢賢治は保守主義・現状維持主義・実証主義・傍観主義とはちがった視点から地点から変革的に新しい限界芸術への道をひらく努力をした。 宮沢の芸術観は三つのモメントの把握によって成り立っている。第一に「芸術をつくる状況」は、芸術が、個人あるいは集団にとって、それをとりまく日常的状況をより深く美しいものにむかって変革するという行為であるため、状況のあらゆる要素が新しい仕方で価値づけられることで芸術の素材となる。というものである。修学旅行を例に挙げ、宮沢賢治の郷土主義的にして回顧主義的な、現実描写をいとぐちにする理想主義的文学の理念に支えられる場として修学旅行がひとつの限界芸術となったことを示している。 第二に、「芸術をつくる主体」について宮沢は芸術家ではない個人を大切にしている。「セロ弾きのゴーシュ」のようにシロウト趣味人が、限界芸術に変貌する。そのきっかけは自分の身近にある環境の中に芸術の手本を発見することにある。しかしこうした芸術家になる努力をせず、だまって働くひとに深い意味があるのではないかと考えるようになった。「存在についての芸術」であった。 生きているあいだは到底芸術そのものにはなり得ない、その故に芸術をつくる主体となりえる精神の動き、すなわち修羅がある。自分の力で道筋を切り開いていくことの中に政治や宗教があり、それらともみまがうような形での限界芸術の活動としての宮沢賢治の芸術が成立する。 最後に「芸術による状況の変革」である。宮沢において芸術は、個人が自分の本来の要求にそうて、状況を変革していく行為としてとらえられている。この変革の行為はよろこびをともない、大いなる希願にてらして自分の現在の努力を見ることで、努力が芸術的制作となる。 芸術はヴィジョンによって明るくされた行動で、科学的計画性と技術性とをもつことを必要とするかぎり、科学も技術もこのなかにとりこむ、すなわち労働であるが、明るいヴィジョンがある故に苦役ではない。これは人生をそのまま芸術と見る方法に近くい。人は自分の人生を芸術として見るようになると、自分の行動に今まで以上の表現力をもたらそうとするのである。 宮沢賢治のもっともすぐれた作品の一つは、妹の死にふれて書いた手紙である。この手紙は儀式に近い機能をもち、このような儀式の機会を新の芸術に高めたことに、宮沢の限界芸術の作家としての宮沢の特色がある。柳田・柳に見られる復古主義的心情が、宮沢によって遠い未来のほうをむく新しい革新的意志によって置き換えられたのである。


第三週目:北田暁大『広告都市・東京』を「チラシ」の観点から読みレポートを作成
劇場へ足を運ぶと、必ずと言っていいほど手に取ることになる、その時の公演や他の舞台のチラシ。チラシは広告の一種である。今回は以前テクスト講読1Aの授業内で読んだ北田暁大著「広告都市・東京 その誕生と死」をチラシに着目して今一度改めて読み返した。
 本書では、はじめに映画「トゥルーマンショー」を例に挙げ、広告の在り方とその変容、転換を見てきた。北田は広告の本質を「資本の論理(外部)と日常的な意味世界(内部)の媒介」(P.17)と表している。そもそも資本の論理とは、「時間的・空間的な差異を利用(創出)して、共同体のなかに『他なるもの』を持ち込み、そのことによって資本の自己循環(交換過程・流通過程)を成り立たせる運動の論理」(P.21)である。そしてこの後に北田は、「時間的・空間的な差異がじょじょに意味をなさなくなってくると、重要な意味をもっているのが「イメージの差異」をシステムへ持ち込む、広告と呼ばれる資本のメッセンジャーの存在だ」(P.22)と続けている。さらに北田は広告のあり方において、その歴史にも触れている。誕生直後である近代初頭の広告では、まずは商品の機能を詳しく述べることで差異を生み出していた。しかし都市中産層が勃興する19世紀末になると、言葉による機能説明はスリム化し、商品のイメージ的、記号的差異を生み出すうえで重要な役割を担うヴィジュアル・デザインが広告のなかに取り入れられていくようになった。北田はこの変化を、空間的・時間的差異が記号的なものへと移行した事態(P.28)と述べている。 わたしはこのどちらもを利用しているものが演劇のチラシではないかと考える。
 現在、わたし自身が劇場へ足を運んだ際にもらうチラシは、両面印刷が施されているものが大半である。一面はまるでポスターのようにその演劇のイメージを表す写真や絵といったヴィジュアル・デザインが採用されている。そしてその裏面は公演の情報が主に文字で記されているのである。
演劇における「差異」は、舞台のストーリーやジャンル、衣装やその公演を行う劇団の特色、そして舞台を行う会場やチケット代金、出演俳優などが挙げられるだろう。観客はそういった情報を得て、ほかの劇団や舞台に興味をもつ。しかし、こうして「差異」を感じ、興味をもつためには、「限界芸術論」で鶴見俊輔が述べていたように、それ以前に他のチラシや他の舞台を観て基準をもちあわせていなければならないため、チラシから情報得て別の舞台へ行こうかと検討をする人は、もとより舞台を観ているひとだと考えることが出来るだろう。
 それでは、なぜ演劇のチラシが両面で構成されているのだろうか。それは、ヴィジュアル・デザインだけの広告では、その舞台に対して興味をもつだけで終わってしまうからではないだろうか。車などの商品の広告がヴィジュアルだけ、イメージの差異だけで勝負できるのかといえば、機能的差異がほとんどなくなってしまったことももちろんあるが、誰しもがその使い方を説明されなくとも理解しているからである。演劇のチラシにおいては、ヴィジュアル・デザインで観客を誘惑し、文字情報で詳しい舞台の内容、ストーリーや役者、チケットの販売情報を載せ、資本の論理である交換を動機づける仕掛けを組み込み、観客へチケット購入を促しているのである。これで、先に述べたように普段から劇場へ足を運んでいる人ならチラシによって他の舞台へ行こうというきっかけになるが、特別演劇に縁のないひとをチラシによってそこへ足を運ばせることができるようになるほどの力をもっているのかどうか、疑問に残る。


第四週目〜五週目:フライヤーコレクションを読みデザインの比較 ・課題詳細へ


第六週目:『SPT08劇場のための理論誌』を読み「チラシ」に関して総合的なレポートを作成
 WebサイトやSNSなど情報宣伝を行うツールが発展する中、いまだに演劇界では紙媒体での情報宣伝が欠かせない。むしろ、チラシは作るが公演のWebサイトを作らない場合もある。そんな根強く残るチラシ文化、その役割の意味、効果、影響を知るために「劇場のための理論誌」を読んだ。
 まず、「演劇のための理論誌」とは、野村萬斎が監修を務めた世田谷パブリックシアターの理論誌である。2004年から2014年まで10年の間に、全10刊が販売されている。各号それぞれ1つの特集を組み、その特集に関連のある業界の人々が多彩な演劇論を展開していく。今回読んだ第8号では、「演劇のグラフィズム―最初に幕を開けるもうひとつの舞台―」が特集され、演劇のチラシやポスターについて、インタビューを通して、各人のチラシやポスターにおける思いや意見が書かれている。

 現在では劇場に足を運ぶと、入り口でチケットの半券とともに、その公演のチラシをはじめ、同じ劇場で上演される今後の作品や、今作に主演している役者の別の舞台のチラシなどが束になって渡される。これはだいたいどこの劇場へ行っても同じで、次に観劇する作品探しをする、または観劇の思い出としてチラシを持って帰るなど楽しみ方は人それぞれである。この演劇におけるチラシ文化について、チラシ折込代行サービスなどを行う舞台制作支援カンパニー「Next」の代表の郡山幹生は、

最初は劇場の外で各劇団の人が並んでチラシを渡していたそうですね。(中略)でもある時期になって、それは大変だし路上にゴミもいっぱい出るから、チラシをまとめちゃおうよと。束ねてあとは公演者側が配っておくから、みたいなことになったと聞いたことがあります。それが折り込みチラシの誕生ですね。(P.94)

と語っている。そして、この折り込みチラシが定着したことに関しても郡山は、

  これには劇場空間の問題も関係していると思うんです。特に小さな劇場の場合は、ロビースペースに余裕がないので、お客さんはそこでゆっくりできない。それに開演前と終演後の時間もあわただしくて、ロビーにいられる時間が非常に限られている。ラックの置きチラシなんかゆっくり見ることもできないですよね。だったら折り込みチラシの束をひとりひとりにお渡しして、開演前の10分から30分の間、客席で楽しんでもらう。それで発展していったんですよね。    僕が劇場に通うようになったころは、チラシを見るのが楽しみのひとつででもあったし。(P.95)

と話した。チラシを渡され、その束を客席で開演を待ちながら一通り目を通すという行為は、劇場に足 を運ぶ人間にとっては、当たり前の行為になっているのではないだろうか。
 映画館や美術館の場合は、置きチラシが主流であり、鑑賞者が自分の興味関心のあるチラシだけを手に取っていくが、劇場で手渡しされるチラシは、自分の関心があるものを見るだけではなく、予期せぬ 出会いを作り出してくれる。そうしてチラシをきっかけに観客はまた別の劇団、劇場へと足を運ぶのである。
また、最近は映像化される作品も増えつつあるが、1回きりの上演で、映像化されない場合がほとん どであるために、チラシを持ち帰り見返すことで、記憶にとどめておく、というひとも多いのではない だろうか。また、観劇する・しないに関わらず、単純に自分の好きなデザインのチラシをコレクション するひともいるだろう。このように演劇のチラシは宣伝とアートの二面性をもっていると考えられる。 それは、私のような観客だけではなく、演劇制作に携わる方、本誌でインタビューされている方々の多 くが同じような考えを持っており、チラシをただの情報宣伝のためのツールとして使用するだけではな く、もはや演劇の一部として考え、こだわりを持って制作されている。
 世田谷パブリックシアターの芸術監督を務める野村萬斎は、「マクベス」の宣伝用の写真撮影の時に盛 り塩を置いたら、それをきっかけに舞台でも置くようになったと話し、また、「ナイロン100℃」の主 宰、ケラリーノ・サンドロヴィッチは、自分で考えたチラシを見ながら台本を書くという。彼は同じように公演パンフレットにも強いこだわりを持っており、「これも演劇なんですよ。僕はよく冗談で、公演ができなくてもパンフレットやチラシだけはつくりたいって言う。(中略)満足のゆくチラシが完成すると、公演の第一段階がクリアできたような達成感がある。劇場で通常の興行をするだけが演劇じゃないと思っているんですね」と語った。(P.46)
 また、特殊な例では「ラーメンズ」の公演チラシは宣伝美術としての役割はない。なぜなら公演当日にチラシが配られるため、チラシの役割は「記念品」なのである。「ラーメンズ」のチラシは、観客にとってプレミアもので、多くの観客がチラシを保存しておくだろう。
 演劇人にとっても、その観客にとっても、ただその公演を観ることだけが大切なのではない。入り口で当たり前のように配られるチラシ、観客にとっては情報源や思い出として、制作側はこだわりをもって作り、更にそこから舞台美術に発展、インスピレーションを得るなど演劇における欠かせないツールと言うことが出来る。
 しかし、観客の、次に劇場に足を運ぶきっかけになる、観劇した記念、好きなデザイを収集、そのように扱われるのは、大量に渡されるチラシの中のごく一部のものだけである。郡山が言うには、エコロジーの考え方が定着してきたころ、チラシについて一度考えてみよう、と会議があり、そこでは「正直チラシをこれだけ撒いても宣伝効果が持てているのか確信が持てていない。ゴミだとか無駄だとか思われているなら、これからチラシを作るべきか作らざるべきか」と考えている演劇関係者は多かったという。(P.96)さらに、「迷っているけど、でもチラシは作らなきゃという固定観念があってつくってる」(P.98)とも言う。チラシ文化が根付いているため、未だにチラシはどの公演でも作られてはいるが、果たして効果としてはどれほどのものがあるのか、実感することは難しい。演劇のチラシは、街中で配られるティッシュとは異なり、演劇を見ない、劇場へ足を運ばない人は目に触れないため、新規観客の獲得には、効果を果たさない、閉鎖的な宣伝ツールと言えるだろう。
 編集者、都築響一は、「演劇っていうのはすごくいろんな新しい試みをするちっちゃい劇団がたくさんあるのに、このチラシのとこだけは旧態依然としてるっていうのは、僕は前から不思議な感じがしましたね。」(P.186)と話した。さらに、チラシは手配りから、劇場や劇団の負担を考え折り込み方式になったことをインタビュアーが伝えると、「負担と思っちゃもう駄目ですよ。舞台で表現する手前に、みんなに知ってもらうというのは、自分たちでやらないと駄目ですよ。」(P.190)と今のチラシ配布システムの在り方を否定した。
 我々は、チラシは劇場で配布する、配布されることが当たり前で、これが今や演劇内の文化として成立してしまったがゆえに、チラシに対して執拗になりすぎてしまったのではないだろうか。最初に述べたように、いまではWebサイトやSNSなどの宣伝ツールも存在するため、もしも宣伝だけにこだわるのであれば、チラシばかりにお金をかける必要はない。新規観客を獲得したいのであらば、なおさら他の宣伝方法を開拓していく必要がある。
 スタジオジブリの代表取締役プロデューサーの鈴木敏夫は、宣伝にも芝居にも「今」を感じさせるものが希薄になっていると言い、「ある時期大衆に支持されたものが、その役目を終えて、しかし貴重なものだから守っていこうというのが伝統芸能でしょ。それになっちゃったらつまんないですよね」(P.30)と話している。ここでは、寺山修司の舞台が今なお公演されることに関して、何故「今」その芝居をやるのか、考えてほしい。という意味で話されたものであるが、チラシについても、先に郡山の言葉を引用したように、「固定観念」または鈴木の言うような「伝統」になってしまっているのではないだろうか。演劇のチラシは、それぞれの制作者が宣伝なのか記念品なのか、どういう意図をもってつくり、宣伝ツールとして使用するならどういう方法で配布するのか、またはしないのか。情報発信できるツールや、チラシを作る技術、またその製作費を削減する方法がいくらでも存在する現在、チラシは配布されることを当然とするのではなく、その利用価値や存在意義を考え直す必要がある。