春休み課題の意義

私は文献を読むことが遅く、それでは卒業論文の執筆に支障が出来てしまうと思い
「早く」本を読むことそして、その内容をきちんと理解することができているか
ということを1週間に1冊のペースで読み、1000文字程度に要約するということを実践しました。
今回はその要約文を載せたいと思います。

  第1週目  第2週目  第3週目  第4週目  第5週目  第6週目



第1週目

お姫様とジェンダー−アニメで学ぶ男と女のジェンダー学入門  ちくま新書 若桑みどり 2003年

この本は女の子が一度は憧れるプリンセスと言う存在は女性を男性が考えた従順で可愛らしい少し間の抜けた理想像を作り上げ、男性とのことをただ待つことしかできない他力本願で外見重視な女性を作り上げてしまっているというように述べ、古典的なプリンセスの代表である『白雪姫』『シンデレラ』『眠り姫』を取り上げ、この作品の中に描かれている女性は悪い醜い老婆もしくは魔女が若い従順で素直な美しい少女をいじめるという形式が成り立っており、このことから女性の美しさそして若さが重要視されてしまっている現状と言うものが読み取ることができる。また、この作品の中のプリンセスと呼ばれる少女たちは自ら動くことは無くただ王子様を待ち、結婚を夢見ているだけであり、彼女たちのストーリーは「王子との結婚」というもので幕を閉じそれ以後を語らなくなってしまっている。つまり、このことで女性にとって結婚こそが幸せでありゴールであるということを植えつけてしまっている。  その半面で『エバーアフター』と言うシンデレラのリメイク映画の主人公のプリンセスは知性や強さを持った自立した女性であり、時には男性である王子を救う存在にもなる。王子も外見の美しさからプリンセスに惹かれるのではなくその強さに惹かれるのである。この映画にも古典のプリンセス同様に悪い女性が登場するがこの悪い女性たちは美しさなどの外見を重要視した人物であり、王子や男性に見捨てられた場合生きていくことのできない自立できていない女性たちである。  女性を男性よりもしたであるとみなしてしまっている現状がプリンセス映画や現在の状況から見ることができる。王子様を待つことしかできない一人で目覚めることができない女性をこれからの社会が公認していくのではなく、自立した自分で目覚めることのできる女性を増やしていくことが社会的にも重要であるのと言うことが述べられれている。

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第2週目

広告のヒロインたち  岩波新書 島森路子 1998年

広告と言うメディアの中で頻繁に登場する女性たち。それは広告と言うメディアが出来上がってから今日に至るまで共通している。  戦前においての広告の中のヒロインたちは女性向けに作られているものであってもどこか男性の視線と言うものが抜けきらない部分があった。しかし、戦後になると男性の視線よりも女性による視線と言うものを重要視するようになる。それは女性が「物を買う」と言う欲望を隠さないようになったことが大きな要因である。欲望の対象は広告されているものにもあるがヒロインへの羨望のまなざしと言うものが大きくなっていった。  広告の中に登場してくるヒロインたちは時代によって変化してくる。戦後は日本が欧米化を望んでいるということが広告に選ばれたヒロインたちから知ることができる。はじめは日本の女性の美と言うものを持っていない女性から混血の女性に変化していっている。日本の女性が持っていない瀬の高さやくりくりとした目というものへの女性の羨望の眼差しが見えてて来る。  外国の「カッコイイ」女性と言うものが取り上げられた後には戦前のような「日本人形」のような日本式の切れ長な目の女性が広告のヒロインとなる。日本人形な女性のリバイバルから女性の瞳がまるで空虚なものを見つめている生気が無いものに変化していく。こちらを見ているにも関わらずその瞳はどこを見ているかわからないという状態である。女性は見られているが見る存在ではないということが伝わってくる。  自立したヒロインを登場させる広告とは繁多に男性を応援し支える存在として登場するヒロインというものも同時に登場してくる。自立したヒロインはバリバリと働くキャリアウーマンそして一人で暮らしている今時の女性を描いているが、男性を支え応援する女性は古来の日本人女性のイメージがリバイバルされていることがわかる。また、誰に向けた広告であるかということが明確である。  広告の中のヒロインたちは時代によって社会の変動によってころころと変化していく。男性の憧れであったり女性の憧れであったり様々に変化していく。広告によって作り上げられた欲望や憧れと言うものが社会に影響しそれが流行になっていく。 さっきまで「カッコイイ」ものが一瞬にして「ダサイ」ものに変化してしまうのである。

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第3週目

女子読みのススメ 岩波ジュニア新書 貴戸理恵 2013年

『女子読みのススメ』と言う本は女性作家が書いた若い女性をモデルにした本を挙げつつ、その本の中に登場してくる女性、女の子たちの中から見える現代の『女の子』たちが抱えている問題に目を向けている文章である。  10代の女の子と呼ばれる社会的グループは学校の中や家族の中に生きていて、恋やこれからの生活と言うものに憧れを抱いている。しかし、彼女たちは学校の中ではいじめがあったり家族のなかでは「普通の」家族でいられなかったり恋愛は夢見たように上手くいかなかったりといった憧れとは異なってしまった現実の中に生活している。  この本の中であげている小説では少女たちと呼ばれる思春期の女の子たちが抱く憧れが現実とは異なっていてその現実を受け入れ「自分は自分である」ということをも受け入れたときに女の子から女性へと成長していくという物語が多くあり、実際の世界でもその様な構図で女の子から女性になっていくという考えが一般的である。  物語に登場してくる女の子たちの「生きづらさ」は物語の中だけではなく現実の女の子たちににも共通している部分も多いだろう。また、今はこの本が書かれたときよりも女の子が「生きづらい」と感じているかもしれない。時代と共に友達関係や家族関係が変化しているは事実である。実際に小説の中の少女たちの「生きづらさ」からのドロップアウトの仕方やそれによって彼女たちがどうなってしまうのかが全く異なっている。学校の体制が変われば逃げ場も変わってくるだろうし、友達との付き合いが変わったことによっていじめの方法も変わってくる。  このように時代と共に女の子たちの「生きづらさ」は変わってきているが、どんな時代であっても女の子と呼ばれている存在は日々その「生きづらさ」から抜け出そうとしてもがいている。もがき「生きづらさ」から解放されようとすることによって、「自分は自分だ」と言う感情が生まれ少女から女性へと成長していくのではないだろうか。

 

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第4週目

腐女子の社会史 女性による女性のための男性同性愛小説の社会史 Amazon Services International,inc. 大坂理恵 2015年

「腐女子」と言う言葉は日本のサブカルチャーの中ではかなり一般的になってきた男性同性愛をテーマにした作品を愛好する女性のことを指す言葉である。また、男性同性愛をテーマにしたものは漫画や小説などの「二次元」の世界だけではなく「三次元」実在する人物たちをテーマにした作品も含まれている。「腐女子」が好んでいる作品は男性キャラクター同意氏の恋愛を描いたオリジナルの「ボーイズラブ」という物と元々は恋愛感情は含まれていないキャラクターたちを恋愛関係にした創作の「やおい」と呼ばれるものの二種類に分けることができる。上記した「やおい」や「ボーイズラブ」と言うものは1980年代以降に同人誌の世界で市場を拡大していった。その過程で「腐女子」と言う言葉またはある程度の年齢にいった人では「貴腐人」と言う言葉が作られ使われるようになった。  「腐女子」のカルチャーを支える根底には戦前にまでさかのぼった「少女小説」と言う文学がある。そこでは少女同士の強烈な結びつきを描いた作品が多く作品乎様に親密な中になった少女たちの関係を「エス」と呼んだ。また、同時に少女歌劇の中から男装麗人が誕生した。これらのことは昔ながらの家族体制のなかから生まれた男性嫌悪が大きな原因であり、男装麗人は現実の男性には無い理想の王子様を体現する存在であり、厳しい家族体制の中で生活している少女たちの変身願望の具現化でもあった。  1980年代後半になると「JUNE」などの登場などによって同人誌の世界に女性が参入してくる。そこから現在に続く「ボーイズラブ」と「やおい」の文化が誕生し浸透することになる。また、現在の状態になるまでにはワープロやパソコンなどの技術の発展もかなり大きく影響している。  「ボーイズラブ」や「やおい」と言う男性同性愛をテーマにした作品が普及し好む女性が増えたのは女性の立ち位置というものが「ただ結婚して子供を産む存在」というものから変化したことや恋愛結婚の増加、性交渉=結婚と言うものが無くなり性交渉=愛情表現という形になったことが大きいだろう。そのことによって生殖を含めない同性同士の性行為と言うものは「究極の愛情表現」になり、その「究極の愛」を求める女性が好んで「ボーイズラブ」や「やおい」と言うテーマの作品は現在のような状態になったのである。

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第5週目

「かわいい」論 ちくま新書 四方田犬彦 2006年

日本人はよく「かわいい」と言う言葉を口にする。「かわいい」と言う言葉は英語で言うcuteやbeautifulであるようであるがそうではなく他の国の言葉では表現することが難しい日本独自の言葉である。  私達は一体何を「かわいい」ものとしているだろうか。キャラクターやはたまたかわいいとは遠いと思われているものでさえ「きもかわ」と言って愛好する。日本人の「かわいい」かなり幅広いものであることは今現在存在している「かわいい」と思われるものを想像するだけでわかることである。  この日本における「かわいい」文化というものは今に始まった事柄ではなく時代を遡り平安時代の清少納言からの由緒正しいと言っても良い文化である。ここから始まるかわいい文化に共通していると言えるのは「幼さ小ささ」である。この共通点というものは現在多く存在している日本発のキャラクターに踏襲されている。例えば、ポケットモンスターやハローキティである。彼らは小さく幼さがある。特に日本人の「かわいい」という考えのなかで一番重要であるのが小ささや細かさである。この小ささや細かさをかわいいと感じる文化がプリクラやおみやげ物の小さなマスコットなどに大きく影響している。つまり、日本人のかわいいの根底には「小さい」物への愛着と言うものがあるのである。    この日本のかわいいの進化系がオタクや腐女子と言われている人々の「萌え」につながている。また、かわいいの反対の言葉は可愛くないでも美しいでもなくグロテスクである。だからこそ今日の世ではきもかわと言われ愛好されているのである。つまり、私達はかわいいと醜いというものを二分割しているようであるが日本のかわいい文化の中であってはその境界線がかなり曖昧なものとなっているということである。  「かわいい」ものは一瞬にしてグロテスクなものに変化してしまう儚い存在である。その変化によって予想のできないことが起こりうる危うい世界になってきてしまっている。

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第6週目

紅一点論-アニメ・特撮・伝記のヒロイン像 ちくま文庫 斉藤美奈子 2001年

紅一点と言う言葉はよく耳にするがだいたいが「男性の中に女性がひとり」と言う意味で使われている。元々の意味は「凡夫の中に俊才がひとり」と言う意味であったが一般的には上記した意味で使われているだろう。  「男の中に女性がひとり」と言う構図は私たちが生活している社会の中では少し考えにくい構図であるが一昔前のドラマやアニメにはよくある構図である。例えば「ウルトラマン」のフジアキコ隊員や「秘密戦隊ゴレンジャー」のモモレンジャーなどがあげられる。これらの「紅一点」の女性たちが作りあげられている世界は初期の「男の子の世界」が多い。ウルトラマンやレンジャーやガンダムなどのロボット戦争ものなどの「男の子の世界」での「紅一点」たちは一体男性中心社会の中で何をしているのだろうかというと大体が男性の母であり、妻であり、セクハラの対象となるだけで他の男性キャラクターたちのような活躍はしないのである。また、彼女たちは大体が縁故採用である。彼女たちは男性からのセクハラにも動じずまるでそれが仕事のようになっている。また、「男の子の世界」は科学のようなもので敵を倒し世界を守る軍事国家かつ技術国である場合がほとんどである。「男の子の世界」の紅一点は後に紅二点から三点に女性の人数が増えていくが彼女たちの働きは紅一点の頃からさほど変わっていない。  では「女の子の世界」の女性はどうだろう。「女の子の世界」の女性は魔法少女かお姫様か魔女である。魔法少女やお姫様は「女の子の世界」にちょうど当てはまるぐらいのハイティーンまでの少女たちであり魔女は「おばさん」と言われる年齢もしくは「大人のお姉さん」ぐらいの年の人間である。「女の子の世界」は「男の子の国」とは異なり自分の周りの問題を非科学的な魔法によって解決する。  紅一点の世界と言うものはアニメやドラマの世界だけでなく子供が読むために製作されている「伝記」と言う分野にも影響している。伝記の中の紅一点たちは「女の子の世界」の主人公たちのように若い頃の話しか語られない場合が多い。例えばナイチンゲールはクリミア戦争の時に活躍した事は有名であるがこの戦争での出来事は彼女が30歳ごろまでの話でありその後90歳で亡くなるまでの60年は全く触れられていない場合が多い。  このような紅一点の状態と言うのは決して良いものではない。数や質どちらも備わった新しいヒロイン像というものが社会に進出する事によって「男の子の世界」「女の子の世界」と言うものの女性像に影響してくるのではないか。

 

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