東浩紀『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会』を読み、まとめる。



●なぜこの課題を選択したか
元よりこの文献の存在は知っていました。
これほどの知名度がある本であるならば、メディア文化論を学んでいく上で避けて通れないだろうと考え、課題として採用しました。



●要約
本書の目的は、オタクに価値を認めない人、オタクについては特定の集団だけが語ることを許されていると考えている人、その双方どちらにも加担しないような立場から、オタク系文化について当たり前に分析し、批評出来る風通しのよい状況を作り出すことである。

「シミュラークルの全面化」と「大きな物語の機能不全」を軸として

・ポストモダンではオリジナルとコピーの区別が消滅し、シミュラークルが増加する。ではそのシミュラークルはどのように増加するか。
・近代ではオリジナルを生みだすのは作家だった。ポストモダンでシミュラークルを生みだすものは何ものか?
・ポストモダンでは大きな物語が失調し、「神」や「社会」もジャンクなサブカルチャーから捏造される他なくなる。近代ではそれらが人間の人間性を保証していたが、ポストモダンに生きる人間はどのように生きていくのか?

の問いに答えていく。

・ポストモダンではオリジナルとコピーの区別が消滅し、シミュラークルが増加する。ではそのシミュラークルはどのように増加するか。
→シミュラークルは、データベースの水準の裏打ちがあって初めて増加していく。具体的には、オタク文化において、二次創作(シミュラークル)は原作と同等に扱われるが、それら全てがデータベースに反映されるわけではない。シミュラークルの下には、良いシミュラークルと悪いシミュラークルを選別する装置=データベースがあり、つねに二次創作の流れを制御している。そして、その過程でシミュラークルは秩序だてられ、増加していく。

・近代ではオリジナルを生みだすのは作家だった。ポストモダンでシミュラークルを生みだすものは何ものか?
→従来は、オリジナルの作品を作家が作っており、作家は神だった。しかしポストモダンの時代においては、データベースからシミュラークルが作り出される。したがって、この時代において作家の代わりに神となるのは、データベースとなっている萌え要素である。

・ポストモダンでは大きな物語が失調し、「神」や「社会」もジャンクなサブカルチャーから捏造される他なくなる。近代ではそれらが人間の人間性を保証していたが、ポストモダンに生きる人間はどのように生きていくのか?
→大きな物語が失調したポストモダンの時代では、社会性が形骸化する。大きな物語が存在した時代は、人びとはそこに心の拠り所を求めることが出来た。だが、それが失調した時、人びとは共有出来るものを失った。その代わり、データベースから個々に小さな物語を読みこみ、それぞれが即物的(動物的)に欲求を満たす。そして誰の生にも意味を当てることなく漂っていく世界の中で、繋がりを見いだせないまま人間は生きていくことになる。



●終えてみて
・結局、この本全体を通して何を言いたかったのかがよくわかりませんでした。
オタクが社会のポストモダン的な流れと沿うようにして誕生し、消費活動を行っていることはわかったのですが、それがこの本の全てではないと感じます。上の要約では、明らかに全てを拾えてはいません。
本書の何を以って「オタク系文化について当たり前に分析し、批評できる風通しの良い状況」と言っているのかが掴めず、未だ消化不良と感じています。読み直してみることと、著者の別の文献を読んでみることで、また新たに読解のレベルが上げられるのではないかと思います。

・本書で提唱された「データベース消費」は、他の文献(例えば我々が前期プロジェクトを行うに際して講読した広告=都市東京/北田暁大著)にも引用されている考え方です。このことからしても、本書をわからないままにしておくのは勿体ないことだと思うので、きちんと理解するための講読をしていかなければならないと考えています。