夏合宿の発表



▼準備から発表にいたるまで、その反省

興味のあるものや好きなものが多く、これまでの発表では自分の意見すら含まれていない発表を繰り返してしまいました。しかし前回の発表で行われたディスカッションにおいて、「青春もの」が好きなのではないかと気が付き、それをテーマにしてみようと考えました。そこで自分が好きな小説、映画、ドラマ、アニメを書きだしてみると、自分と同じくらいの年ごろもしくは年下の人たち(とくに学生)が青春をしている作品に嗜好があることが分かりました。しかしそこで、ある疑問が生まれました。「青春、とひとことでまとめてしまっているが、青春とはなにか?」。
自分の中高生の頃を振り返ってみると、部活動や人間関係、将来のことに悩みながら生きていた自分自身に対し「あの頃は青春していたな」と思うことがあります。実際に、当時は家族やまわりの大人から「青春していていいねえ」等言われていました。しかし当時の私は自身のことを青春していると実感することはありませんでした。そこで私は青春とは振り返ってはじめて実感するものなのではないか、と仮説を立てました。
そこから以下の疑問を立て、発表を行いました。 ・青春とは、それが既に過ぎ去ってしまったひと達がイメージとして構築する(した)ものではないか?
・そのイメージはどう構築されてきたのか?
・青春というイメージを想起させるものはなにか?学校生活?学生?部活?汗と涙?
・青春という言葉そのもの、青春っぽい、というイメージは商品として売り出すための戦略なのではないか?

発表を終え、先生からのコメントは「なにを言ってほしい?」というものでした。つまり、先生から私の発表に対しては何も言うことがない、ということです。「やる気はないわけではないが、進める気が全く見えない」とご指摘を受け、私は今までの自分の卒業論文に対する姿勢を見直しました。思い返せば、発表内容も、考えなかったわけではありませんが、前回の発表から脊髄反射のようにあまり考えずに出したものでした。「どうしよう」と悩む割には行動には移さず、頭のなかでもやもやと考えるだけで時間を使い、合宿直前になって慌ててレジュメに起こしていました。悩んだものは片っ端からメモにとっておくべきであったと思います。「途中の過程がまったくわからない」と先生も私に言いました。頭のなかではなく、実際に文献を読んで考える、考えたことをメモをして整理することで、自身の意見を具体的なものにする。この作業がすっかり抜け落ちていましたと思います。
自分がなにをしたいのかよく考える。考えるとは、ただ頭のなかでもやもやすることではありません。それは考えた気になっているだけです。文献を読み、手を動かし、自身の考えを論理的に述べられるように、夏休みは取り組んでいこうと思います。