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~目次(最終版)・概要~

「坂本龍一」というイメージはいかに作られたか――1978年~1986年
A discourse analysis on images of Ryuichi SAKAMOTO:1978-1986

第1章 序論
 1-1 坂本龍一と私
 1-2 イメージとしての「坂本龍一」
 1-3 先行研究
 1-4 本論文の構成

第2章 ミュージシャン、文化人としての坂本龍一
 2-1 スタジオ・ミュージシャン期―1974年~1977年
 2-2 YMO世界制覇期―1978年~1980年
 2-3 YMO分離期―1981年~1983年
 2-4 ソロ活動期―1984年~1986年
 2-5 国際的音楽家期―1987年~1989年
 2-6 NY移住者期―1990年~2000年
 2-7 社会活動期―2001年~2013年
 2-8 本論文で取り上げる時期

第3章 YMOの「彼ら」―1978年~1980年
 3-1 新しい音楽の時代
  3-1-1 現代都会人の音を模索するグループ
  3-1-2 テクノロジー・サウンドの現場
  3-1-3 期待を外すレコード
 3-2 世界で人気!
  3-2-1 海外で一足先の人気を博す
  3-2-2 世界制覇前夜
  3-2-3 世界制覇の旅へ
 3-3 日本での人気
  3-3-1 ‘80年音楽界の「新たな光」
  3-3-2 病的な黄色い魔術師たち
  3-3-3 異能な3人の男たち
  3-3-4 ナウいヤングに人気!社会現象にまでなるYMO
 3-4 最先端ブームのリーダー
  3-4-1 西洋のフィルターを通した「エキゾチック」
  3-4-2 80年代は「テクノ」の時代
  3-4-3 精密機器とともに商品化されるYMO
 3-5 天才たちの裏側
  3-5-1 YMO・坂本の意外な一面
  3-5-2 “天才的”な売り上げの裏側

第4章 YMOの「教授」―1981年~1983年
 4-1 実験的な音楽家
  4-1-1 シンセサイザー音楽の草分け的存在
  4-1-2 クラシック界の希望
  4-1-3 アヴァンギャルドなミュージシャン
 4-2 教授のマルチな取り組み
  4-2-1 『い・け・な・いルージュマジック』
  4-2-2 他ジャンル歌手のプロデュースが話題に
  4-2-3 哲学者とわたりあう若者
  4-2-4 『戦場のメリークリスマス』
 4-3 YMOの変形と散開
  4-3-1 変形していくYMO
  4-3-2 YMO散開
 4-4 「YMOで崇拝される人気」から「マルチ人間としての人気」へ
  4-4-1 YMO人気を牽引する“教授”
  4-4-2 高感度でマルチな“ネアカ”人間
 4-5 タレント、芸能人として
  4-5-1 芸能人コーナーに登場する
  4-5-2 女性に好かれる知的アイドル
  4-5-3 イイ男同士の対談
  4-5-4 知的芸能人としてモノ申す
 4-6 坂本教授のスキャンダル
  4-6-1 海外進出するミュージシャンの裏事情
  4-6-2 駅張りを断られたポスター
  4-6-3 矢野顕子と「テクノっぽく」入籍

第5章 アーティスト坂本龍一―1983年~1986年
 5-1 アカデミックな音楽家
  5-1-1 教授が語る「新・現代音楽」
  5-1-2 知的印象の『音楽図鑑』
  5-1-3 ポストYMOは『80年代未来派』
 5-2 YMO散開後のプロパガンダ
  5-2-1 アイドル映画を残して散開
  5-2-2 解散してもYMO
 5-3 メディア・クロス的活動
  5-3-1 編集長になった教授
  5-3-2 ナム・ジュン・パイクと「オールスタービデオ」
  5-3-3 パフォーマンスする教授
  5-3-4 フランスで作られたドキュメンタリー映画
 5-4 熱烈な期待とは裏腹な掴みどころのなさ
  5-4-1 新たに問われる「坂本龍一」
  5-4-2 不本意な若者たちの神
 5-5 女性に好かれる坂本龍一
  5-5-1 女性アイドルからのラブコール
  5-5-2 ブラウン管に登場する
  5-5-3 コンセプトを持つ男
  5-5-4 遊び上手なタレント的存在
  5-5-5 矢野夫人との円満な家庭生活

第6章 まとめ
 6-1明らかになったこと
 6-2不足点と展望

参考資料・URL一覧


【概要】

 本論文は、坂本龍一のイメージが、いかにつくられたかを考察したものである。
 坂本龍一は1952年東京都生まれのミュージシャンである。坂本は、1977年東京芸術大学大学院修士課程を修了し、1978年にソロ・アルバム『千のナイフ』でデビューする。また同年、細野晴臣、高橋幸宏と共にYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)を結成し、日本はもとより海外でも人気を集める。その後1983年にYMOは解散し、坂本はソロで活動していくことになる。それ以降坂本は、音楽活動の他に、書籍の出版や現代アートの作家と共同でパフォーマンスなどを行っていく。坂本はその学歴と多様な活動形態によって、「マルチなアーティスト」として注目を集めていく。
 本論文は、上記のような坂本の活動の流れをふまえ、坂本龍一のイメージが雑誌・新聞記事でどのように語られ、変遷していったのかを見ていく。それによって、坂本龍一のイメージがどのような様相で構成されているのかを明らかにすることを目的とする。その際、イメージを見ていく期間をデビューした1978年から1986年に設定する。