シャンクス
~第3回発表振り返りレポート~

 第2回の発表では、人から「かっこいい」と言われるととてつもなく嬉しく感じることを出発点に 、自分が「かっこいい」と思う言動を行ってきたこと、またそれを通して、自分は対する人や環境 によってふるまいを変えていると気付いたことを発表した。そして卒論のテーマとして、 「なぜ対 する人によってふるまいが変わるのか」を追究し、そこから「憧れの『かっこいい』姿になろうと している私は一体何なのか」を知りたいと考えていた。私はそこまで親しくない人とコミュニケー ションをとることが苦手で、他人からどう思われているかを必要以上に気にし続けてきている。そ のためこの第2回の発表内容は自分にとって切実かつ向き合うべき問題であると感じており、第3回 の発表では第2回の発表内容を、特に自分と「かっこいい」の関係について更に深めていこうと考え た。

 まず、第2回発表で考えきれていなかったこととして「自分にとっての『かっこいい』とは何な のか」を探ることにした。私が「かっこいい」と感じてその言動を手本にしていたのは、専ら漫 画やアニメなどのキャラクターだった。そこで実際に「かっこいい」と思い、好きになった複数の キャラクターを振り返り、そのキャラクターたちのどこが「かっこいい」のかをノートに書き込み ながら考えることにした。
 私が「かっこいい」と感じて好きになったキャラクターは、主に「活発でがさつだが物おじしな い元気な少女」と「美人で頭がきれるクールビューティな女性」の2パターンに分かれていた。小 学生の間は前者の「元気な少女」を「かっこいい」として好んでいたが、中学生になるにつれて後 者の「クールビューティ」にその対象と好みが移っていった。これはすでに第2回発表で話したこと である。ここから、それぞれのキャラクターがどんな人物でどんなところに魅力を感じていたのか を考えた。しかし「元気な少女」については第2回発表でも述べた、「前向きで何に対しても一生 懸命なところが自分にはないと感じて憧れていた」ということ以上に掘り下げることができなかっ た。それは「元気な少女」に憧れていたのがかなり前の記憶だからというよりも、行き詰って思考 が止まったら別の方向から考えてみるなどの努力が足りなかったのだと思う。一方「クールビュー ティ」な女性キャラクターについては、そのキャラクターが所属しているグループ内で指揮をとる ポジションに位置しているという共通点に気が付いた。なぜ指揮をとれるのかといえば、頭脳明晰 で身体能力(戦闘力)も他のキャラクターより高いからである。つまり、私が思う「クールビュー ティ」として漫画やアニメに登場する女性キャラクターは、他のキャラクターよりも頭が良く身体 能力も高いために統率力があり、故に優位に立って描かれることがほとんどなのである。第2回発表 で私は、「かっこいい」または「クールビューティ」と思うふるまいを、自分が相手よりも何かに おいて優位だと感じたときにするということを話した。この「優位」という点において、「クール ビューティ」な女性キャラクターの特徴と大いに関係があるのではないかと気付いたが、共通点を 見つけたことで安心してしまった。当初は思い出せる限り好きになったキャラクターを挙げて細かく 見ていくつもりだったが、「優位」という共通点が出たことに安心したため、これ以上やっても大 した収穫は無いだろうと決めつけて途中で止めてしまった。もしかしたらもっと何か発見があった かもしれないと思うと悔やまれる。どんなに地道なことでも最後までやり切る忍耐力が私には足り なかった。
 キャラクターを見ていくことをしていたのは7月の上旬だったが、その後しばらく卒論に対して何 も手を付けない日が続いてしまった。卒論で何を取り上げたら良いのかぼんやりと頭で考えてみた りはしていたが、ノートに書き込むようなこともなかった。それは考えていないのと同じであり、 ただ考えたふりをしていたのだと思う。長谷川ゼミの卒業生の卒論を借りたりもしてみたが、この とき行っていた毎日のゼミ活動に追われてなかなか読まなかった。しかしこれはただの言い訳にし かならない。第2回発表前もそうだったが、結局今回もゼミ活動の時間と卒論を考える時間を上手 く配分することができず、充分に考えた結果を第3回発表でも提示することができなかった。この まま何もやらないのはいけないと思いながらも、ゼミ活動以外の電車に乗っている時間や家にいる 時間は卒論に有効活用できるはずなのに疲れ果てて眠ってしまった。こうして毎日のように同じ過 ちを繰り返してしまったことが本当に情けない。何かやらなければと机に向かうものの、毎日考え ることも寝ることも中途半端でそのまま疲れを溜め込み、卒論について何の進歩もない生活を送っ てしまった。休むならしっかり休むという決断もときには必要だったと思う。やはりここにきても 卒論に対する私の意識は低かったと言わざるを得ない。
 この意識の低さは文献になかなかあたろうとしなかったことにも言える。私は第2回発表後、 「かっこいい」という言葉を客観的に見るために文献にあたらなければならないと考えていたため、 第2回発表から少し経ってからではあるが、事前にインターネットで「かっこいい」に関する文献 があるかどうかを探した。しかしそれらしいものは見つからず、そこで半ばくじけてしまった。 「かっこいい」を直接調べようとするのではなく、「かっこいい」に関わってきた自分のことを もっと掘り下げて「かっこいい」につながる何かを見つけたうえで、その何かに関する文献にあ たろうとした。しかし先述した通り掘り下げることもかなり進みが遅かったため、文献にあたれた のは第3回発表の1週間前だった。結局第2回発表で話した、私は相手の性別によってふるまいを変え たり「クールビューティ」という「女性としてのかっこよさ」に憧れていたりするということがど うしても気になって、文献もジェンダーに関するものを中心にあたった。しかし大学の図書館だけ でもジェンダーに関する文献は膨大にあり、一体自分はどれを読むべきなのかわからず困惑してし まった。また当然1週間で充分な読み込みもできず、第3回の発表も文献を全く活かせなかった。そ れはつまり、自分で考えるばかりで自分の範疇を越えて考えることができなかったのである。自分 が取り込まれているものについて学術的に客観視することができなければ論文は書けないと知りな がらも何を読んだらいいのかわからず、「もっと考えればわかるだろう」と言い訳をして逃げてし まった。文献に慣れておくという意味でも、第2回発表の時点で気になったものでも良いから、わか らないなりに何かしら読んでみるべきだった。
 一方で、これまでよりもゼミ生と卒論について話すことが多くなった。それは第2回発表まで話 し合うことが少なく、そのために発表前に指摘し合えたはずのことを発表のディスカッションです ることが多かったなどの反省を活かしたためである。一人暮らしをしている<サラダ>の協力のも とゼミ生数名で泊まり込み、夜通し卒論について話し合ったことも何度かあったが、他のゼミ生の 話に対しその人のためになるコメントができたかどうかは疑問が残る。ただ話を聞くのではなく、 もっと「それはどういうことなのか」「この人は卒論でどんなことがしたいのか」など疑問をもち ながら注意深く聞けばもっと何かその人のためになることが言えたかもしれない。これは第3回発 表のディスカッションでも言えることである。私の発表は一番最後だったため、自分の発表ばかり が気になりどこか上の空で聞いてしまっていることがあり、発表者のためになるようなコメントや 質問がほとんどできなかった。それは発表者に対して本当に失礼な態度であり、恥ずかしいことだ。 他のゼミ生の発表をしっかり聞くためにも、「これだけ用意してきた」と胸を張れるくらい自分の 発表準備をするべきだった。
 また合宿前に他のゼミ生の話を何度も聞いているうちに、自分はまだまだ自分自身をさらけ出せ ていないと感じるようになった。そこでこれまで生きてきてずっと気になっていた、自分が人と接 しているときにどんなことを考えているのかということを話してみることにした。それは私が「かっ こいい」女性に憧れていながら、これまで恋愛対象に考えられる男性にはとことん媚びてきたとい う話である。初めてこれを人に話したことで、今まで認めたくなかった自分を認めたこととなり、 その認めた自分の姿に何とも言い難い気持ち悪さを感じた。他のゼミ生からの反応は、「そうして 実際に媚びるように振る舞えるのはなかなかない」という様子で、もっとそれについて考えたら良 いのではないかと言ってもらった。そうして第3回発表まで1週間を切ったが、とにかくこの「今ま で認めようとしなかった自分」を掘り下げることにした。その結果わかったのが、私はどんな人に も好かれたいがために、意図的にふるまいを変えているということである。この場合の「好かれる」 というのは男女問わず恋愛的な意味である。例えば女性に対しては「かっこいい」または「クール ビューティ」な態度で振る舞い、男性に対しては「こうしたら魅力的に見えるだろう」と「かっこ よさ」と「可愛らしさ」を使い分けてとことん媚びるのだ。つまりこれまで私が憧れていた「かっ こいい」「クールビューティ」というものは、服のように身に付けられると考えていて、更にそれ をセックスアピール(異性を誘惑する力。性的魅力。同性愛者にとっては同性を誘惑する)のひとつ として用いていたのだった。更に私は人と接するときに、常に「どちらが相手の上に立って会話の 主導権を握っているか」ということを気にして生きてきたことにも気付いた。これらは第2回発表 で卒論テーマとして考えていた、「憧れの『かっこいい』姿になろうとしている私は一体何なのか」 という問題に対する私なりのひとつの結論を出せたということだった。そして私はここで生まれて 初めて自分という生き物に客観的に向き合った気がした。それと同時に、私が見る限り誰もがこう した「好かれること」や上下関係などを考えながら駆け引きをするように人と接しているようには 到底思えず、自分がこれらを考えてしまうのはひどく不思議でわけのわからないことのように感じ た。だからこそ、卒論を通してこうした自分の人間関係に対する考え方を理解したいと思った。
 ここからどうにか卒論のテーマを見つけ出そうとしたが、これまで考えてきたことが「かっこい い」という抽象的な内容であったため、具体的な題材がないことに第3回発表の5日ほど前になって ようやくはっきりと自覚した。それから先述したようにジェンダーに関する文献も読んだが、当然 付け焼刃程度で具体的な題材は何も思いつかず、そのままただどうしようもない自分をさらけ出し ただけの発表となってしまった。卒論のテーマを決定するという目標であったはずの第3回発表で こうした結果になったのは、自分がもっと卒論に真剣に向き合おうとしなかったという甘さとしか 言いようがない。第2回発表の反省であったはずの目次案も、またしてもでっち上げのものとなっ てしまった。発表後に私は長谷川先生から次の日までの課題として「今回の発表内容と関係なく ても良いから、卒論として題材になるような具体的なことを10個考えること」を与えられた。しか し夜通し考えても6つほどしか思いつかず、更にいざ皆の前で発表するとどれもまだ卒論で題材と 出来るような具体的なものではないと気付いた。こうして私は卒論のテーマを決定するどころか、 題材も見つけることができなかった。

 正直、今の私は卒論に対してかなり焦っている。第3回発表後から何を考えても自分の人間関係 についての捉え方が気になってしまい、そこに行き詰ってしまうばかりだ。また「どうしてこんな 考え方になったのか」と考えようとすると、どうしても苦しくなって嗚咽が止まらなくなってしま う。しかし言いかえれば、これが私の最も明かしたい切実な何かなのだと感じている。今度こそ 卒論に真摯に向き合って文献もできるだけ多く、しかしその内容には慎重にあたりたい。そして 夏休みをこれまでのように後悔だらけにならないよう、まずはテーマ決定を目指して全力を尽くし たい。