セニョール
~口頭試問振り返りレポート~

 第4回発表を終え「ハルキストという生き方――村上春樹作品の消費的受容に関する一考察」というタイトルに決まって以降、私は雑誌の記事を元に村上春樹の熱心なファンであるなかにいるであろう「ハルキスト」 という存在がどのように村上春樹作品を受容しているのか見ていく事とした。ただ、その時点での目次案は論文の核となる部分の目次が、まだ自身が持っているイメージだけで分けているなど非常に曖昧であり 、私はそれに 焦りを感じていた。また、発表の時に挙げた文献『物語消費論』(大塚英志著/角川書店/2001年)や『動物化するポストモダン』(東浩紀著/講談社/2001年) など、自分ではハルキストにも通じるような消費の仕方をしている と感じて選んだ文献の内容が、姿かたちのあるキャラクターあってのもの であり、自分の論文に即していないと先生からアドバイスを貰ったこともあり、当てが外れたと感じてしまったところもあったのも焦りに繋がっていたのかもしれない。今思えば論文の結論に対して「当たり」をつけていたこの時点で論文を書く姿勢としては間違っている。論文は自分の望む結果を裏付ける資料をかい摘んで持ってくるようなものではなく、丁寧に集めた資料や文献に当たることで見えてくることを客観的に考えることが大切なのだと思う。


 ともかく焦っているだけではだめだと思い、まずは雑誌の資料を集めようと国立国会図書館で「村上春樹」でヒットする記事のうち、作品論を除く記事を見ていき、少しでも村上春樹のファンについて書いてあるものがあれば集めていくという作業をしていった。私が見ていくのはあくまでも村上春樹ではなく、そのファンであるとはっきりさせることと第4回発表で先生からアドバイスを受けており、作品論はファンについて書かれているものではないと判断したためであった。資料を借りて、その内容を確認してコピーの手続きをしてそれを受け取るという作業を 延々と繰り返していると、このままでは終わらないのではと焦りを感じていた。それまで自分が読んできた 雑誌『ダ・ヴィンチ』の村上春樹に関する記事が検索結果に引っかからなかったことなどからも、国立国会図書館にある記事検索だけでは資料が足りないことも何となくわかり、限りがないのではないかと感じてしまったのである。また、この間にも毎週水曜のゼミでは自身の進捗状況について報告していたのだが、毎週作ってくる目次案も未だに、何が自分の論文で大事なのか分らずはっきりとしないままであり、このまま進んでしまって大丈夫なのかという不安を持っていた。


 そうしてその不安や焦りからか私は、目次案に対して「これで進めていって間違いはない」という確信が欲しくなっていた。それは国立国会図書館での資料集めを終え、大宅壮一文庫【註1】での記事集めに移ってからも続いた。ゼミでの経過報告において「このままだと卒業論文の水準には達しない」という言葉を先生から貰う度に「じゃあ違う方法を探さなければ」と思ってしまい、結局次の週には「これをやっていこうと思う」という報告だけをする事が多くなった。「これをやった」という報告ではなく「これをやっていこうと思う」という報告だけではあまり意味がないという事を あせっていた当時は気付けなかったが今では思う。目論見だけで卒論は書けるのではなく、やった事の積み重ねで卒業論文が出来上がるということに私は考えが及ばず、「時間がないから最短コースを探さなければ」といった方法ばかりを探すようになってしまっていた。何を明らかにしたいかがわからず、その結果目次案がはっきりしない ままハルキストについて書いていってしまっていいのだろうかと考えてしまい、単なる村上春樹の来歴や村上春樹作品のヒットについては単純にそれを調べてある程度整理していけばいいので書いていたものの 、ハルキストについては書かなかった。本来なら、まず、目次案がはっきりせずともハルキストについて書いていくべきだった。書いていけば、自分の論文に足りないところが見えていたのかも知れない。


 このような結果、私は論文に集中せず自分自身の 不安や焦りばかりを見ていた気がする。論文に向き合うのではなく、自分の不安や焦りを取り出してはそれについて悶々としているというような有様だった。そうして、卒業論文のゼミ内における提出前 の最後のゼミでも芳しい報告が出来ないまま年末を迎えることになったときには、もう何をしていくのか自分にもわからないまま、機械的に集めた資料を記事の内容をいくつかに分類して整理して、繋がりのある記事同士を繋いで文章を書いているだけの状態になっていた。正直そこからの記憶はあまりない。機械的になっていたせいなのかぼんやりと机に向かって作業をしている自分がいたくらいしか思い出せないのである。

 ただ、やっとハルキストについて書き始めたころには、その発言をまとめ、自分の考えていなかった特徴である「作品の考察を好んでいる点」や「自分が一番のファンでありたい」といった発言があることにも自分との共通点 のようなもの―例えば自身は好きな作家の作品を内容に関わらず買うことがあるのだが、そこには自分がファンとして置いて行かれたくないという気持ちもあったりする―を感じて面白さを感じた。と同時に自分の論文に新聞などもっと多くの資料を加えるべきだと思ったことやこういったハルキストの発言を考察するための文献に当たりたいが何に当たればよいか見当がつかないことへの苛立ちも感じた。ここになって自分の勉強不足や努力不足が強く感じられたのである。自分の論文には文献も足りていないし資料も足りていない、ただし、そのことに気づいたのはゼミ内で仮提出とした12月25日に近くなってからだった。 じゃあどうすればとここでも立ち止まってしまい、結局25日以降は ばたばたとその他の放っておいた引用などを整える作業をするに留まった。単なる文章としても自分の論文は悪いところだらけだった。同じような話を再びし、誤字脱字については印刷する度に見つかる始末だった。6万字という字数もゼミ生の中では少ない量である。しかも自分で執筆した論文にも関わらず、話の筋が通っていない部分や重複する部分が残っていることが情けなかった。


 教務課に提出をしたときは、受理してもらえたことに対し変な感じがした。けれど、最後の方まで駄目だと思いながら書いていたから、その論文が受け取られたことに対しこのまま出してよかったのだろうか、という気持ちかも知れないがひどくスッキリしない気持であった。勿論受理されたからと言って自身の提出した卒業論文が論文として成立しているわけではない。教務課と共同研究室で受理された論文は、このあとには主査と副査に送られ、審査され、そこで初めて評価が決まるのである。

 そして、出し終えた後に行われた口頭試問では予想通り、論文の評価は良くなかった。私の論文では村上春樹の熱心なファンとハルキストの見分けがついておらず、そもそも何を明らかにしたいかがはっきりしていなかった。私は「ハルキストが村上春樹作品をどのように受け取っているか明らかにする。作中のアイテムを真似したり、自身がテーマ決定時当初から作品の考察を好む様子を見ていく」としていたものの、そのテーマと向き合うことから逃げてばかりでとりかかるのが遅かった論文のハルキストに関する部分ではそれを明らかには出来たとは言えない。また、誤字脱字もひどく、あたった資料も少なかった。


 結果としては情けないものである。けれど、これが私のいまの実力なのだなと思った。咄嗟には適切な文献を探すことはできないし、明瞭な問い立てとそれに対する論文を書いていくこともできない。そういうものを手に入れるためには、「最短コース」を探すよりも前にこつこつと文献に当たり、執筆する中で考えるという積み重ねをしていくことが何よりも私には必要なのだと痛感した 。

 卒業論文を提出してからは再び書籍を読み始めた。去年までは小説一色だったのだが、卒業論文を執筆してからは自分の興味の赴くことに対し、少しずつ新書や学術書を読んでいる 。こうしてみると内容を理解できない部分も多く、分からないことばかりで自分が如何に何も見てこなかったかがそこに現れているような気がする。まだ、途中で躓いてばかりだが、書籍にあたったり人と話したりしていくことを積み重ねて、少しずつ力をつけていきたい。


【註1】大宅壮一文庫:正式には公益財団法人大宅壮一文庫。評論家・大宅壮一(1900-1970)の雑誌コレクションを引き継いでつくられた明治時代以降130年余りの年月の雑誌を所蔵する雑誌図書館。