せにょ
~第4回発表振り返りレポート~
 発表の終わりに「どうして私はやれば出来たはずのことをやってこなかったのだろう」と思った。私はゼミに限らずいつもこのような後悔をする。何度もそう思ってきてはいた。にも関わらず改善されずにここまできてしまった。昔から「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とでも言おうか、ゼミに限らずいつも何かをやり終わったあとは、苦労したことも忘れ、のんびりとしてしまうのだ。「もっとやれたのに」と思うような結果を出してしまうこと、これが私にとって今後一番改善していかなければいけないところだと思っている。
 今回10月23・24日におこなわれた第4回の発表は私たちにとって最後の発表であった。発表の持ち時間は1人1時間、私の発表にそこまでの時間を割いてもらえるということがこれで最後だということだ。当初具体的なテーマが決まっていなかった私にとっては、話を聞いてもらうことは非常に重要だった。発表の2週間前から題材は「ハルキスト(註1)」にしたいと話をしており、先生からも作業のアドバイスをもらっていた。「ハルキスト」の一部の人たちが村上春樹の作品内に出てくるものを現実に取り入れていることを私は、ニュースなどから元々知っていた。自分はいわゆる「ハルキスト」ではないものの、彼らと似たようなことをしてきたのではと思っており、そのような題材を選んだ。しかしその時の私は未だに「ハルキスト」の何を見ていきたいのか、それを通して何を明らかにしたいのかがはっきりとしていなかった。
そこで発表の準備段階ではまずそれをはっきりさせるところから考えていった。そして私は何より自身もそうであったように「ハルキスト」の一部の人たちが村上春樹の小説に出てくる食事を真似たり、音楽を好きになったりすることがどのようにされているのか見たい、それを重点に置いて卒論を書きたいとして準備を進めていった。しかし、発表の準備にあまりにも取りかかるのが遅く、かなり駆け足で目次案などを考えていってしまった。
ここで発表の準備や卒論にかける時間を用意していたら、おそらく準備されたものを見直したり、距離を置いて自分の現状を見たりすることができたのかもしれない。しかしそれをする余裕もないほどぎりぎりに作業をしていた私は、最初にはっきりさせたはずの「ハルキスト」の何を見ていくのか、ということが曖昧になっていってしまった。発表の際に用意した目次案にもそれが現れている。私はあくまでも「村上春樹」ではなく自分と共通点があると思った「ハルキスト」を見ていくとしていた。しかしながら今回の目次案は、当時私がおこなっていた「村上春樹」の関連本、いわゆる彼の作品への批評や作家論のリスト作りの際に読んでいた本を取り入れ、「ハルキスト」よりも「村上春樹やその作品がどう語られているか」の比重の方が大きいのでは?と思えるような目次案になっている。これも一度立ち止まり、振り返る時間を設けていれば避けられたことだろう。しかし作業の優先順位などを特に考えず作業し、発表に対して時間を割かなかったため見返すことが出来ず、指摘されるまで気づかなかった。
 先生からは「見ていきたいものは「村上春樹」でもなく「村上春樹への批評」でもなく「ハルキスト」であることをまず整理しなければいけない」、と言われた。どんなにその違いをクリアにしていたとしても、書いているうちにわからなくなってしまうことがあり、だからこそ常に整理し続ける必要があるという旨のアドバイスをもらった。私は特に、なんとかなると思ってしまい、ぎりぎりまで動こうとしない。結果、何をしたいのかということがぼんやりとしたまま、しかも時間に追われ目の前のことにいっぱいいっぱいになってしまうためそれに気づかずに発表の日などを迎えてしまうという傾向がある。タイトルもその傾向が表れている。私は当初タイトルを「『ハルキスト』と『僕』―『ハルキスト』はどのように村上春樹作品を読んでいるか」であった。『ハルキスト』と『僕』」という部分も非常に曖昧なまま、単に「ハルキスト」が村上春樹の小説に出てくる主人公の「僕」に憧れているという一意見を聞いたからつけたものだった。これも自分が何をこの論文で見ていきたいのかということがぼんやりとしていることを示す箇所であった。
整理の着いていない状態の中で、私は先生からテーマをもらうことになった。テーマは「『ハルキスト』という生き方―村上春樹作品の消費的受容に関する一考察」である。私はテーマをもらうということがどのような意味をもっているのかということを考えるとともに、ハルキストがどのように村上春樹を読むかではなく、ある種ファッションとして村上春樹の作品を自分の日常に取り入れている様子が重要である、ということを見失わずに卒論を書いていきたい。そして、「ハルキスト」のそういった様子を通して、自分自身の小説との関わり方についても考えることが出来たらと思っている。 今のままだと、私は確実に「どうして私はやるべきことをやってこなかったのだろう」と思う卒論を書き終えるだろう。それを変えたい。「ここまでやれた」と思って卒論を書き終えたい。先日のゼミで、「来週のゼミまでにやること」を発表した。それを普段使うノートに書いた。単純なことだが、こうすることで何度も目にし、自分が今やるべきことを今までのようにぼんやりではなく、はっきりと把握したいと思ったためである。必要なことを目に見える形にし、それをひとつひとつ着実にこなしていく。そういった積み重ねが今の私には必要なことだ。

註1 ハルキスト・・・・・・ 作家村上春樹のファンの通称。一部の「ハルキスト」は村上春樹の小説内に出てくる音楽を聴いたり、食事を再現したりする。