セニョール
~第3回発表振り返りレポート~

 自分の発表は、テーマをある程度決めるというつもりでいた第3回の発表と しては決して良いものではなかった。私の発表は前回からほとんど進歩の見られ ないものになってしまっていた。しかも発表の用意してきた自分としては当初そ の差のないことに気がつけなかったのだ。

 まず、発表までのことを振り返りたい。前回(第2回)の発表を終えた後、今後どうしていこうかということを考え ても考えが何も浮かばなくなってしまった。そこで私は、このゼミに入る前から 考えていた「卒論で書きたいテーマ」から、今まで考えてきたことを、順序を追 って考え始めることにした。正直第2回の発表後、では改めて自分は何を卒論で書 きたいのかということを考えたとき、何も思いつかず、自分は卒論を書けないか もしれない、本当に書きたいことがないのではと不安になっていたこともあり、 最初の頃の書きたいという気持ちを思い返したいという思いもあった。
 初めて人前で「こんな卒論を書きたい」と私が言ったのは3年終了時に行われ たゼミへの配属を決める面接だった。当時の私は「物語は人にどのような影響を 与えるか」ということが気になっていて、実際に芸術メディア系列の先生である 長谷川先生、岡本先生、古川先生には愛読していた漫画に出てきた殺人描写と同 じやり方で父を殺してしまった中学生の話や、その一方で物語療法などにも興味 があることをしどろもどろになりながらも話していたのを覚えている。それから 晴れてゼミに入ることが出来てから 第1回、第2回のゼミ内発表ではいずれも「本 」について 考えてきたことを発表をしてきた。
 ただ、第2回の発表では「自分がそうであるからこの世の中もそうである(自分 が考えていることが世の中で共通の考えである)」と考えてしまうことから抜け 出せていない。 これをどうしていくべきだろうと考えた結果、自分ではない「本 を読む人」について考えてみなければとなり、「本を読む人」の集まる場である「 読書会(注1)」について考えていこうとした。
 このように考えていく過程で、ゼミ生や友人に話を聞いてもらいもした。今回、 卒論についての話をする機会は、ゼミ生で話し合う場をつくったりに話を聞いて貰 ったり、<サラダ>が自宅を開放してくれ、皆で話す場を設けてくれたのに参加し たりと、以前よりはあったのではないかと思う。しかし、話すメンバーがある程度 決まってしまったり、話す機会を自主的に設けないなどしたのは反省点である。と もあれ、私は皆に読書会について、その内容や参加しているときの自分がどのよう な気持ちであるかといったことを話していった。
 その中で私は「敷居の高い読書会がある」といたるところで話していた。特に近 代文学や学術書など、普段自分が苦手だと思ってしまうものについて皆で意見を交 わすなどという読書会には引け目を感じていた。自分が話しについていけないとい う状況になってしまうことが怖いという気持ちがあったのである。そしてそういう 読書会に参加できる人は自分よりも「上」 と考える節が私にはあった。正直、こ のような考えを軸にして発表をしてしまったことが今回の反省に繋がるのだが、考 えを話しているときの私は、たとえば読書会に参加するときやそれ以外の集団へ「 上」「下」を強く意識して参加をしてきたように、このよう「集団のなかでの上下 」という意識が自分の行動を左右してしまうような感情であると思った。そうであ るならば、 その「身の丈の感じ方」 というものは「自分にとって切実なもの」な のではないか、と考えてしまった。そのような気持ちが言葉からも見えていたのだ ろう、読書会について話をしていく中で<きぬ>に何気なく言われた「<セニョー ル>は集団の中の序列のようなものを結構気にするね」という一言にやっぱりそう かと思い、私にとっての切実なことは「集団の中で序列を気にしてしまうこと」な のだろう、と一層思い始めそのまま突っ走ってしまった。突っ走ってしまったのは この時点で私はやっとテーマが決まるかもしれない、と思ってしまったからかもし れない。
 そこからは読書会というものを題材として、「平等なはずなのにいつのまにか出 来てしまう序列」について書こうと思って目次案などもつくっていった(目次案1)。 途中、読書会を序列というものと結びつけることに、やはり無理があったのだろうか 止まってしまうこともあったのだが、あくまでも集団内の序列ということは変えず、 急いで辻村深月の作品を題材として挙げ、もう一案の目次案をつくった(目次案2) 。どこかの書評で彼女の作品『オーダーメイド殺人クラブ』(集英社)のスクールカ ーストについて書かれていたのが頭にあり 、り、そこから発展してこのように他の 作品も題材に結びつけたのである。このように結びつけようとしている時点で、「平 等なはずなのにいつのまにか序列が出来てしまう」という自分の理論を支える材料に 無理矢理しようとしているのが伺える。

 かくして発表を迎えたのだが、このように突っ走ってしまった結果、やはり前 回の発表でゼミ生に指摘された「『本』」というイメージで本のことを語っている」 という意見と同じように、今回の序列に関しての発表も「『序列』というイメージで 語っている、何でこの序列ができるのかについて掘り下げていない」、「私がそうだ と思った序列っぽいエピソード を集めているだけ」という指摘を受けた意見に繋が った。残念なことに前回の振り返りで「あたかも本と自分との関係が『切実なもの 』見えるようにとこねくりまわしただけの発表だった」ことに気がついたと言った にも関わらず、今回も同じような発表になってしまった。さらに、私は自分の持っ ている「序列」というものを強く意識している価値観がきっと「切実なこと」だと 判断してしまい、その価値観を前提として話を進めてしまっているということに発 表を終えるまで気がつかず、周囲に指摘されて初めて気がついた。
 また、きちんと適した文献にあたらなかったのもその自分の価値観で話を進めてし まうことに拍車をかけたのではと思う。『教室内カースト』(鈴木翔/光文社新書/20 12)も読み返しはしたものの、レジュメにはほとんど反映させてこなかった。それ以 外にも人間と人間との上下関係について書いてある本はたくさんあるはずだと先生に も指摘を受けた。このようにしてできた私の発表内容には、あくまでも私の経験しか 書いておらず、そこにはロジックがないと指摘されて、これが論文に成り得ないこと を知った。
 こうしてテーマを決めるどころでない私はまず、私が途中で発表においてで取り扱 うものとして蚊帳の外に出してしまった読書会について、足を運び、見てきて、説明 が出来るようになることが課題ということになった。今の私には見たものをいままでの ように恣意的に解釈するのではなく、あくまでもどんなものであるかとらえられるよう になることが必要なのだと思う。単純だが、出来事を恣意的に解釈してしまう今の私に はきっと困難なことだろう。

 幸いなことに第3回の発表は合宿中(8月4日~6日)に行われたものであり、私は 1日目の1番目の発表と、その後また皆に話を聞いて貰う時間はあった。この発表ではだ めだ、いちからやり直して考えていかなければ、と焦っていた私はしばらく頭が真っ白 だったものの、時間が勿体ないと、今までの発表で自分がどんな経験を盛り込んできた かについてとりあえず考え始め周囲に話し始めた。 卒論のテーマ決定につながる何かに 気がつけるかもしれないという気持ちとともに、何度も同じような発表をしてしまっ たのを受け、今後繰り返さないようにしていかねばとも思ったからである。
 どのような話(特に経験) を発表内に盛り込もうとしてきたか、について考えると 、私はいつも中学時代や、その影響を受けた高校時代についての話を入れていた。何故 かというと、おそらくその中でのいじめられた、また、その影響で色々してしまった行 動などやらかしたなどの 一連の出来事を自分のなかでセンセーショナルなものとして 捉えており、毎回の発表の主張したいことがそれによって説得力を増すような気がし ていたのではという考えに至った。テーマに関する事として、こんなに自分の生活に影 響が出たのだという事実を持ってくることで、あたかも「このテーマが切実なことです 」と主張したかったのだろう。
 このほかにも周囲と話をしていくなかで、家族間での振る舞い方ふるまいかたについ てなど話したりもした。もちろん、だからといってこれらの経験をテーマに卒論を書く のかというと、文献にあたらず、考えることをしっかりしていないという状況の私がそ ういう判断を下せるわけでもない。結果今回はテーマどころではなく、非常に課題の残 る発表であったかもしれない。しかしながら、今回の発表で少なくとも今後注意してい かなければならないこととして、自分には自身の価値観を当たり前だのこととしてしま うことや、発表のテーマに合いそうな自身の経験を選んで切り貼りするようにして発表 原稿をつくり、自分の人生でもこんなにテーマが切実であったと見せてしまう傾向があ るということに気付くことができた。まずはいまの自分にとっては難しいかもしれない が、まずは 読書会というものがどのようなものか、文献の力も借りつつ、説明できるこ とが先決である。

(註1)読書会…書籍を持ち寄ったり、一冊の本をテーマとして掲げ、読んできた感想 などをやり取りするなど、本を読むことを目的とした集まり。カフェなどで開催される ことが多いが、今ではイベント(小説のロケ地めぐりなど)と連動したものなどもあり 、内容は様々。
(註2)辻村 深月(つじむら みづき)…日本の小説家。山梨県笛吹市出身。2004年 『冷たい校舎の時は止まる』で第31回メフィスト賞を受賞しデビュー。『鍵のない夢を 見る』で147回直木三十五賞を受賞。