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~第1回、第2回発表振り返りレポート~

 4月24日・26日に、卒論に向けた第1回ゼミ内発表をおこなった。第1回ゼミ内発表において 長谷川先生から出されたお題は、「自分は何が好きか、何に興味があるのか、それがどういうものか、 どのように面白いのか発表せよ」というものだった。わたしはこのお題を受けて、これまでの人生を通 して自分が好きだと思ってきたモノや、尊敬する人物などを中心に話したいものを複数取り上げた。具 体的に挙げた項目を書き出すと以下のようになる。
 ジャズ/都市空間への憧れ/気になる人物/「サブカル系」「アート」への違和感
 これらの項目について自分が感じていることや、その項目に挙げられているモノや人物がどのよう な点で好きなのか、なぜ尊敬しているのか、どのあたりが気になるのかなどを話した。またそれらが、自 分のなかでどのように関連しているのかもなるべく話せたらと思い原稿を作成した。
 また、以上の項目のなかで、何となく気になるけれどちょっと気に入らないようなモノにも焦点を あてて取り上げた。たとえば、「サブカル系」や「アート」という言葉についての違和感である。発表 準備をしている当初、それらを取り上げるつもりはなかったのだが、いつのまにか話したいこととして、 自然にレジュメに反映されていたものだった。「憧れる気持ちもある一方で完全には好きになれない」 という複雑な気持ちが予てからあり、そのように自分のなかでずっと渦巻いていたものを、みんなにき いてほしいという想いが強かったのかもしれない。
 発表している最中は、初めての発表ということで緊張もあった。だが、今まで自分自身のなかで考 えながらも、人に話すことがなかったようなことを話しきいてもらえる機会に少し高揚していたように 思う。普段誰にも話してこなかったようなことをゼミ生のみんなにきいてもらうことが若干恥ずかしく もあり、同時にきいてもらえることが非常にありがたい場であるように感じた。そのため、話している うちに「もっと話したい」「もっときいてほしい」という気持ちが強くなり、原稿に用意していなかっ たことも自然と口から発せられて、自分のなかでは比較的話したいことを話すことのできた発表であっ たと思っている。

 第1回発表が終わり、次の第2回発表までは約1カ月半の時間があったが、私はその期間でやるべ きことにいっぱいいっぱいになってしまっていた。私たちは第1回の発表終了後、4月から引き続いて ゼミ全体の関心地図の作成をおこない、5月からはゼミのホームページの製作、アトラクションの講読 を始めた。いま考えると、この期間に次の第2回発表にむけて、自分の発表テーマをより深く探ってい く必要があったのだが、そのように考える余裕を持つことが難しかった。それがなぜだったのかいまふ りかえると、今までに経験したことのない忙しさに身を置いていたことで、すでに満足してしまってい たのだと思う。これだけ活動に取り組んでいるのだから、1ヵ月半後にはどうにかなっているだろうと 少しばかり期待をしていた自分がいた。しかし、発表が目前に近づいた6月初旬の時点で、自分のなか に発表したいことが見当たらない状態を実感した。なんとなく、「これだけやっているのだから、時間 が過ぎれば自然と出てくるのでは」という思いがあった。しかし、それはただ与えられたことだけをや って、その先に何かが得られるのを待っていただけで、自分で何とかしようという気持ちがあまりなか ったのだと感じる。そのため結局は「他力本願」な姿勢だったと思う。

 6月13日・14日の第2回ゼミ内発表は、積極的に準備にとりかかることができず、準備期間 は数日間のみであった。そのため、いざ何を発表しようかということを考えたところで、4月に考えて いた時点から変化するようなことはほとんど思い付かなかった。原因はやはり、この1カ月半の間自身 のテーマと向き合っていく時間が圧倒的に少なかったことにあると思う。
 第2回発表で先生から提示されたのは、「卒論を書くことを念頭において自分はどうしたいのか、 どういうテーマで取り組みたいのか」というものだった。それを受けて私は、「卒論は文献にあたりな がら書いていくもの」という認識を持っていたため、自分の発表テーマと結びつくような文献を探そう と考えた。そうして私は発表において、前回の発表から引き続いて自分が最近気になっていることや考 えたことと、自分の興味に関連すると思った文献からの引用を取り上げた。文献から引用することによ って、卒論に一歩近づくのではという思いがそのときはあった。発表で取り上げた文献は以下のもので ある。
① 『音楽は自由にする』(坂本龍一著、新潮社、2009年)
②『戦後日本のジャズ文化』(マイク・モラスキー著、青士社、2005年)
③『行為と演技』(E.ゴッフマン著、誠信書房、1974年)
 ①、②の文献は、60~70年代の若者について触れた個所を引用し、自身が興味を持っているそ の時代の若者について触れたいと思った。③の文献は、「パフォーマンス理論」の授業をきっかけに知 り、「相手から見られる自分の印象をどう演出しているのか」という自分の問いに引っかかったため、 取り上げた。
 だが、実際に発表をきいて意見をくれたゼミ生からは、「挙げられている文献になんの関連性があ るのか、これを挙げてなにが言いたいのかわからない。」「60年代、70年代の若者文化を調べて、 結局なにを明らかにしたいのかわからない」という意見をもらった。たしかに、付け焼刃で持ってきた 文献からの引用をただ並べただけになってしまったと思う。文献にあたる以前に必要だったのは、まず 自分が卒論で取り上げたいテーマをもっと掘り下げて考えていくことなのだと思った。

 4月から今までの3カ月間の活動を通して、ホームページの製作やアトラクションの講読など、 先生が用意してくださった一連のプログラムを進めていく過程でよく考えて取り組むことが、最終的に 卒論を書く力へとつながっていくのだと感じている。実際そこから日々学べることが多くある。例えば 複数の作業を順序良く進めるためにスケジュールを組むことや、客観的な視点をもってホームページや 関心地図を製作すること、講読で読解力を高めることなどが挙げられる。しかし、それだけでは足りな いのだ。自分の卒論のテーマは自分で向き合って自分で考えていかねばならない。そしてそのテーマに 対して、どのような角度で調べたり考えたりしていくのかというアプローチのしかたを考えるのも、自 分自身だ。
 これまでの2回のゼミ内発表を終えて、いま私が感じているのは、テーマ決定までの時間が残り少 ないという焦りだ。次回の発表は8月4、5、6日に予定されている夏合宿でおこなわれる予定である。 それまであと約1カ月しかない。この1カ月間で、本来進んでいるべきはずだった分の遅れを取り戻すつ もりでやっていかねばならない。それまでにやっておきたいことが、いくつかある。
 1つ目は、「自分の頭の中に渦巻いているものを随時書き出し整理すること」。先にも述べたとお り、まだ私は自分が卒論で取り上げたいテーマの土台がハッキリとしていない。それについて考えよう と思うと、頭の中であれもこれもといった感じでいろんなものが思い浮かんできてしまう状態だ。だか らまずは、思い浮かんだものをひとつひとつ書き出していき、それらをさらに深くみていくことが必要 であると思う。
 2つ目は、「メディア研究系の基礎となる本や自分の興味のある人物やモノについて書かれた文献 をあたってみること」。メディア研究系の本を読むことは、自分が卒論でどんなテーマを取り上げるに せよ、それを「どういった角度からみていくか」という点において必要な知識や考え方になってくると 思うからだ。また、自分の興味のある人物やモノについての本にもあたってみることで、その興味を深 く掘り下げることに役立てたいと思う。ただし、第2回の発表のように文献の内容だけ先に持ってくる だけでは意味がないので、まずは自分が卒論で取り上げたいテーマの土台をハッキリさせてから、それ に関連する文献を探していきたいと思う。
 3つ目は、「ゼミ生同士でよく話し意見交換をおこなうこと」。第2回の発表を通していちばん強 く感じたのは、1人で考えるだけでは盲目になってしまっている部分が多くあるということだ。たとえ ば発表内のディスカッションで、「なぜ60年代、70年代を取り上げたいのか、それを取り上げてど うしたいのか」という質問を投げかけられた。しかし、私のなかでは「その年代が気になる」ことが当 たり前になってしまっていて、なぜそれを卒論で取り上げる必要性があるのか、といったことを全く考 えようと思わなかった。1人で考えることももちろん大切ではあるが、客観的な視点で自分の興味を見 ていくことも必要だ。そのために、ゼミ生に自分の話をきいてもらって質問を投げかけてもらったり、 自分も他のゼミ生から興味・関心のあることをきいて疑問を投げかけていったりしたいと思う。
 これらのことを実践することによって、自分のなかでテーマを整理し深めていくことをしながら、 ゼミ生とよく話すことで自分のテーマを客観的に見つめていきたい。次回の発表までに残された時間は 少ないが、今回の反省を活かして少しずつ、自分の卒論テーマになる土台を積み上げていきたいと思う。