なっつ
~第4回発表振り返りレポート~

 今回のゼミ内発表は、4月に行われた第1回発表、6月に行われた第2回発表、そして合宿にて行われた第3回発表に続いて4回目の発表だった。テーマを考える段階だった第1回から、テーマ決定を目標とした第3回発表までを終え、本来ならばこの時点での発表は現在どこまで卒論を執筆しているか、という報告のようなものになるはずであった。しかし、私は第4回発表を目前にして、何も発表することがないような状況であった。

 私は、第3回発表で自分を「趣味」や肩書など自分以外のもので印象づけることへの違和感について話し、卒論では「趣味」を語るとはどういうことなのかということを見ていこうとしていた。そのとき先生からは「就活」の歴史を見ていってはどうかとアドバイスを頂いた。「趣味」を正面から扱うのは難しいため、「就活」においてなぜ「趣味」について訊ねられるのか、という観点から「趣味」を考えていけばよいのではということだった。私は当初、迷っていた。自分で題材を決めることができないということに悔しさを感じたし、先生に言われたままにやる、というのは違う、と思っていた。それは、自分の卒論のことなのに、他人任せにしているような気がしたからだ。また、「就活」自体にあまり良いイメージを持っておらず、「就活」それ自体にはあまり興味がなかった。今思えばそのような理由から「就活」を題材としてやりたくなかったため、やらない理由を探そうとしていたのかもしれない。そのようにいつまでも「就活」にするとも、他の題材にするとも腹をくくらない私は、先生から「趣味」と言っても茫漠としていて、そのまま扱おうとするのは難しいという指摘を受け、趣味について書かれたブルデューの『ディスタンクシオン』はおそらく難しくてわからないだろうから試しに読んでみるとよいと言われた。そこでまずは『ディスタンクシオン』を訳している石井洋二郎氏の『差異と欲望―ブルデュー『ディスタンクシオン』を読む―』(藤原書店、1993年)を読むことにした。しかし、『ディスタンクシオン』を読む前に読むべき本として書かれたこの本はすでに私には難解で、「趣味」というものがどんどんわからなくなっていった。そこで、やはり何か具体的なことで考えていかないと茫漠としてしまって考えがすすまないとやっと気が付いた私は、「就活」を題材にすると腹をくくった。「就活」に決めたわけは、改めて第3回発表に立ち戻ると、私は誰かに自分を印象づけたりアピールしたりするために趣味を使う、というような話をしていて、そのような趣味の語られ方が、「就活」の場面においてならば見ていけるかもしれないと思ったからである。実際、「就活」をしている友人から受ける企業によって履歴書に書く「趣味」を変えているという話を聞いたことがあり、自分をアピールする手段となっていると感じていた。
 しかし実際に「就活」の歴史について調べ始めてみると、私が選んだ就職に関する文献には趣味に関する記述がなく、本当に「就活」を題材として趣味が見ていけるのだろうか、と不安になっていった。また、もともと「就活」に関する興味がものすごくあるというわけでもなかったために、文献を読むスピードはどんどん遅くなるばかりであった。

 9月25日水曜日から後期のゼミがスタートし、私は「就活」を題材として「趣味」を見ていきたいと思っていること、そして現在就職に関する本にあたって歴史を調べているところだと、今の自分の卒論の状況を先生や他のゼミ生に報告した。先生からは「就活」といっても膨大なので、自分が卒論で扱う年代などを絞る必要があると指摘された。そして絞るのであれば、きちんとした理由が必要だともおっしゃった。つまり、卒論で「就活」を扱う場合には「趣味」という観点から考えて、それを見ていくのにふさわしい年代を絞る必要があった。
 しかし先に述べたように私の文献にあたるスピードはあろうことかどんどん低下していった。自分で卒論を書くと決めてこのゼミにはいったのに、もはや自分が何をしたいのか、よくわからなくなっていた。「就活」で書くと腹をくくったはずだったのに、いつまでも煮え切らない態度でいた。また、この期に及んで「趣味」を扱うことが、本当に自分にとっての切実なテーマなのかとすら考えはじめていた。それは、ゼミ生が日ごろから感じている家族についての悩みを出発点にしてテーマを決めようとしていたり、すごく関心のあるもの、たとえばゲームやアイドルを題材としているのに比べて、「趣味」や「就活」というのは私にとって切実でないと感じていたからである。
 そんなとき、たしか10月のはじめ頃、ゼミの後に先生から「題材は別に『就活』でなければいけないというわけではない。他のものでもいい。同じように、『就活』を調べていて、テーマとしている『趣味』よりおもしろそうなものがあればそっちを調べていけばいいんだよ。楽そう、とかそういう理由はいけないけれど、おもしろそうだと思うならばそちらをやればいい。皆、頭が固すぎる。」というようなことを言われた。
 それで1度「就活」を離れて考えてみようと思い、恋愛に関する文献を読んでみたりした。恋愛においても「趣味」が語られていると思ったからだ。たとえば、お見合いや合コン、婚活などにおいて、初めてあった異性に対して「趣味」をたずねるというのはよく見られる光景だというイメージがあった。また、「恋愛」ならば「就活」よりも興味がもてるかもしれないと思ったのである。かと言ってでは恋愛でやったほうが自分にとって切実でおもしろいのか、と言われればそうでもなく、楽そうだからという理由になってしまう気がして、改めて就活を題材とすることにした。しかし、「就活」を調べていくなかで気になっていくのは、「趣味」のことよりもむしろ、当たり前のように多くの人が大学を卒業する前に就職先を決めているような状況であったり、就活マニュアル本がたくさん出回って、就活生が皆同じようにふるまっているというような状況そのものであった。そしてそれは、私がこれまで「就活」に対して良いイメージを抱いておらず、むしろ嫌悪感のようなものを抱いていたこととつながるような気がした。そしてゼミで行った本の講読の際に読んだ『アトラクションの日常―踊る機械と身体―』(河出書房新社、長谷川一、2009年)の内容を思い出し、そのように卒業する前に就職先を決めるのが当たり前となっているような今の「就活」には、消費社会の構造が大きく関わってくるのではないかと考え始めた。それは『アトラクションの日常―踊る機械と身体―』の第10章において書かれていた話と似ていると思ったからである。

 『アトラクションの日常―踊る機械と身体―』では、第10章において、「夢みることをせまる言説」について言及している。それは、夢をみよと私たちに執拗にせまってくる言説であり、この言説においては、夢みること以外の選択肢は排除されている。そしてそこで私たちが抱く夢は消費によって簡単に叶えることができる。10章では、この言説の構造と、消費社会の構造は一緒であるとし、この言説や消費社会というのは他の可能性もありえたかもしれないという偶有性、つまりリスクを、テクノロジーによって馴致する工学主義の上に成り立っているという説明がなされている。また、10章ではこの工学主義はいまや社会のいたるところで適用されているとも言及していた。
 私は、この構造はいまの「就活」と同じだと感じた。多くの大学生が当たり前のように在学中に就職先を決めるために就職活動にいそしんでいる現状は、まるで「夢みることを迫る言説」が工学主義の適用によって夢みること以外の選択肢が排除されているのと同じように、在学中に就職先を決めるということ以外のその他の可能性があらかじめ排除されているかのようだと思ったのである。だから、卒論で「就活」の変遷を追っていくことで、そのような消費社会の構造が垣間見えるかもしれないと思ったのだ。
 そう考え初めて、しかし実際にやったことと言えばただ就職に関する本を眺めたというくらいで、私は第4回発表を迎えてしまった。結局後期ゼミがスタートした時点で報告した内容から、やったことは何も進んでいなかったのである。また、1度決めた「趣味」というものを置いておくということもこの時点では考えられず、相変わらずテーマは『「就活」において「趣味」がどのように語られているか』とした。しかしそのとき私は「趣味」に関する文献を『「趣味」の社会学―豊かな趣味人の復権へ』(日本経済新聞社、木津川計、1995年)という1冊しかあたっておらず、結局発表までに目次案と序論の途中までしか書いていないという状況であり、就職に関してはノートにメモを残してあるだけで文章としてまとまってもいなかった。それは本当に内容の薄い、私の自身の発表の中でも過去最低のものになってしまったと思う。

 この第4回発表は、私たちの最後の発表であった。本来ならば11月に最後の発表があったが、ゼミ全体として執筆の進度が遅いため、発表よりも書く時間にあてたほうがよいだろうという先生の判断からであった。だからこそ、今回の発表ではテーマを決めるために自分自身が必死になるより他なかった。しかしながら発表以前の私の卒論への姿勢はそれとはほど遠いものだった。ただ図書館にいるだけでは文献を読んだことになるわけでもないのに、少しは進んでいると思い込んでいたのかもしれない。
 発表を終えて先生からは私自身痛感していたことではあったが、何も進んでいないということが露呈した発表であったと言われた。そして、テーマに関しては「趣味」でやるのはもう時間的にも私の今の力量的にも難しいから、あきらめるよう言われた。そしてタイトルは『「就活」の社会史――新卒一括採用方式の成立と展開』となった。就職というのが日本の中でいつ頃、どういう風にはじまり、それがどのように変容していったのかというのを丁寧にきちんとやれば、おもしろいテーマだと言っていただいた。自分で決めることができず、先生にテーマを頂くというのはものすごく情けなく、恥ずかしいことであった。
 さらに恥ずかしいことは、私は先生からこのタイトルを聞いたとき、「趣味」のことでやるよりずっと自分にとって切実で、明らかにしたいと思ったことだ。日本の社会と「就活」のあり方の変容を明らかにすることは、私が3年生の冬に「就活」がはじまるその前から、なんとなく持っていた「就活」への違和感と結びついてくるような気がしたからである。自分にとって切実だと思えたと同時に、だからこそそれは自分がもっと誠実に卒論のテーマと向き合っていれば、自分で導きだせたテーマだったのかもしれないとも思った。そのように、テーマ決定に対して自分が誠実に向き合うことができていなかったということをより痛感して恥ずかしかったのである。
 そのように自分の卒論への向き合い方が甘かった私は、他のゼミ生の発表に対して鋭い意見が言えなかった。自分が自信を持ってやっていることならば、相手に何か指摘するときにも、説得力を持って言うことができる。しかし、私は自分が何もできていないために、自信を持って意見を言うことができなかったのである。また、卒論を書き進めているゼミ生に対しては、その人たちの立場に立って考えるということができず、為になる意見を言えなかったと思う。本来ならば、書き進めているが故に周りが見えなくなって突っ走ってしまっているような箇所を、軌道修正できるよう的確なコメントをするべきだったのかもしれない。やはり、相手に何か意見を言おうと思うのなら、自分もそれ相応のことをきちんとやっていないと、できないのだと思った。

 現在私は『日本就職史』(文藝春愁、尾崎盛光、1967年)を読んでいる。今はなるべく早く「就活」の歴史を文献に即してまとめるということが先決だ。それが終われば古い新聞や週刊誌をあたり、「就活」がどう語られてきたのかを見ていくことになる。今までも時間に余裕などなかったが、ここからはどれだけ時間を無駄にせず必死に、誠実になれるかにかかっている。できる限りの力を尽くしたい。