なっつ
~第3回発表振り返りレポート~

 合宿で行われた第3回の発表を振り返るために、まず第2回発表を終えてから第3回発表のためにどう 考えていったのかを振り返ろうと思う。第2回発表で私は、「オタクへのあこがれ」と「女子力への 違和感」について話した。そこでは切実なことを話そうと心掛けたつもりであった。しかし、発表 を終えて先生や先輩方の指摘で気が付いたことがあった。「オタクへのあこがれ」について「何か すごく好きなことがあるということが自分を確立できるということだ」という思い込みを持ったま ま話してしまっていたということだ。
(詳しくは第1・2回振り返りレポートを参照してください。                                                       http://www1.meijigakuin.ac.jp/~hhsemi13/index-egg/egg-works/egg-works-frikaeri/egg-works-frikaeri.html)

 そこで合宿での第3回発表では、自分の中で当たり前だと思い込んでいることを客観的に見るために、 なるべく「なんで」「どうして」と疑問を持ちながら考え、より率直な発表をしたいと心掛けた。 その過程で、ゼミ生や先輩にお話を聞いてもらうことができた。なぜゼミ生と話すことが必要か と言うと、ひとりで考えていては客観視することが難しいからだ。そのため、お互いに話をして 「それはどうして?」とつっこんでいくことが重要だった。第3回発表に向けてゼミ生同士でよく 話すことができたのは、第2回の発表まではゼミ生同士で話すということが不足していたので、 その反省を活かしてのことだった。
また、第2回発表を終えたあとの質疑応答の際、ゼミ生から「卒論をすごく書きたいという気持ち が見えてこなかった。」という意見や「<なっつ>はどうして卒論を書きたいのか」という質問を もらったことを思い出し、具体的に、卒論を書くために発表があるということを意識しながら、自 分にとって本当に切実なテーマを考えていこうとした。
まず、第2回で発表したテーマをもう少し考えていくことにした。まず「オタクへのあこがれ」の 前提となっていた「何かすごく好きなことがあるということが自分を確立できるということだ」と いう思い込みについて、なぜそう思い込んだのか考えた。考える過程では「自己紹介」や「就活」 、自分の過去の経験などを振り返ってみた。また、そのように考えていく中で、それまでは自分の 中で当たり前となっていたことに違和感を覚え始めた。つまり、自分以外のもの、「趣味・肩書・ 所属」などで自分を紹介したり印象付けたりすることに疑問を抱き始めたのである。同時に、にこ れまで私がしてきたのと同じように、何も疑問を持たずに趣味や肩書によって自分を紹介している 人はたくさんいるのではないかと思った。そこでツイッターの自己紹介欄を眺めていると、自分の 趣味や所属を羅列する人が多かったため、趣味や肩書などで自分を紹介することが当たり前になっ ている人がたくさんいるのだと思った。そしてそのことから、第2回発表までの私と同じように、趣 味があることで自分を確立できる、趣味は持っているべき、と考えている人が多いでのはないかと 考えてしまった。「YAHOO!知恵袋」で「趣味」と検索してみるといくつか「趣味がほしい」という ような投稿が見つかり、ますます「趣味があることで自分を確立できる、趣味は持つべきものだと 考えている人が多いのではないか」という自分の考えが正しいように感じてしまっていた。しかし このときはまだ、それもまた私の思い込みであるということに気付くことができなかった。
とにかくこのような考えから、第3回発表では、自分がわかりたいことは「人を、その人の所属 や立場、肩書、趣味で判断しようとするのはなぜか」、「趣味が持つべきものとして語られるの はなぜか、どのように語られているのか」とした。発表では今述べたような、第2回発表からどの ように考えてその考えに行きついたのかということを話した。具体的にはまず「オタクへのあこが れ」を出発点として、なぜ何か好きなものがあるとそのことで自分を確立できると思い込んでいた のかを考えたということを話し、それには自己紹介の経験が関わっているのではないかと話した。 新学期などで自己紹介するときには必ずと言っていいほど趣味・特技が聞かれることや、就活の時 に提出する履歴書に必ず趣味特技を書く欄が設けてあることなどによって、私は趣味・特技によっ て自分を相手に印象づけなければならないと感じていた。また、みんなに受け入れられるため、そ の反対に自分が他の多くの人とは違うということを示すために、自分を印象づける「趣味・特技」 や「肩書」がほしいと思っていたのではないかということを話した。しかし、そのように考えてい く過程で、自分を、自分以外のもので印象づけることに違和感を覚えはじめたということも話した 。同時に、違和感を持たずに当たり前に自分を紹介するものとして趣味や肩書を使っている人がた くさんいるのではないかと思い、前述したようにツイッターの自己紹介欄を例に挙げ、「趣味」と いうものが持つべきものとして語られているという偏った思い込みをしたまま発表を終えた。先生 からは、考えている部分と、丸投げしている部分があると言われた。発表を終えるまでは、自分の 思い込みで話しているということに気づいていなかったが、指摘を受けたとき、自分が発表の中で 多用していた「趣味」という言葉について全くよく考えていなかったと気が付いた。また、具体的 な題材については何も考えられていなかったことが、改めて浮き彫りとなったような気がした。

 第3回発表に向けて考えていく過程では、先に述べた通り、ゼミ生や先輩に話を聞いてもらう ことができた。その時は真剣に話し合っているつもりでいたし、第2回発表より成長している ような気がしていた。しかし、第3回発表を終えた今、卒論を書くという意識が少し低かったよ うに思う。もちろん、卒論のテーマを決定したいという思いから話し合っていたわけではある が、相手の話を、相手が卒論でなにをやりたいのかということを考えながら聞くということは できていなかった。それは、とにかく卒論について話さなければということだけに目が行って しまい、逆に言えば話をしているという状況にどこか安心していたからだと思う。「相手の話 を、相手が卒論でなにをやりたいのかということを考えながら聞く」というのは、第3回発表が 行われる前に先生から発表を聞くときに注意すべき点として言われたことだ。このことを言わ れた時にも、それまでの自分の姿勢は少し真剣味が足りなかったのではないかと思った。また 、講評のときに院生の<まゆゆ>からも質疑応答の様子が世間話的だと指摘された。それは、 発表以前の卒論についての話し合いの姿勢と同様、とにかく話をすること自体に精一杯で、そ の内容にはあまり目を向けられていないということが原因のひとつではないかと個人的には思っている。
卒論に対する姿勢というのは私の個人的な取り組みにも表れていた。たとえば、第2回発表 を終えて、文献の扱い方などに関しても反省があった。私は第2回発表の準備をしているとき 、学術的な根拠を持たない本を読み、その内容を鵜呑みにしてしまった。そこで次の発表で は学術的な文献を読んで準備をしたいと思っていた。そのはずが、結局今回の発表に向けて文 献を使って勉強するということができていなかった。たしかに忙しさはあったが、早くから文 献を探すなどの準備をしていればよかったことである。実をいうと今回の発表の準備をしてい る時、何について文献を読んだらよいのかわからないという状況に陥っていた。まず、今回私 は発表で「趣味」という言葉を多く使ったが、「趣味」という言葉をよく考えずに曖昧なまま 多用し、また、「趣味」というものの捉え方がすごく一面的であるということについて気づい ていなかった。だから、「趣味」に関する文献にあたるべきであったということにも、発表する 前の時点では気づいていなかった。文献を読まなくてはいけない、でもどんな文献にあたればよ いのかわからない、つまり「何がわからないのか、わからない」というというような状況であっ た。それは、考えることをやめていたからだと、今思う。先ほど述べたように第3回の発表を終 えて先生からは「考えているところと、丸投げして考えていないところがある」という指摘を受 けた。私はおそらく「自分を自分以外のもので印象づけるということへの違和感を抱きはじめた 」ということに何か安心してしまって、それ以上考えることができていなかったのかもしれない 。これまで当たり前となっていたことが、そうではなかったという気づきのようなものを得たこ とで、満足したのだと思う。でも実際には、そのような段階では到底卒論など書けない。私はま だ、自分の思い込みの中で「趣味」というものを語っていたのであった。
また、卒論のテーマを決定するためには、何を明らかにしたいのか、そしてそれをどのような方 法で明らかにしていくのかということも考えていかなければならない。しかし私は具体的な題材 などを何も考えることができておらず、もはや考えることを放棄してしまっていた。発表前にゼ ミ生に話を聞いてもらっていたときにも、自分以外のもので自分を紹介したり印象づけたりする ことの違和感については話すことができても、何を題材にしていきたいのかを考えることができ ていなかった。卒論を書くにあたって、題材についても早急に考えていかなければならないこと は明白であった。しかし焦る反面、ゼミ生ともこれまでより話し、自分で「卒論」について考え る時間も増えたのだから、考えても出てこないものは出てこない、というような諦めのようなも のもあったと思う。

 私の第3回発表の最大の反省点は、適当なところで満足し、諦めてしまったことである。今、 この発表振り返りレポートを書いていても、本当に情けないことだと思う。もっと一生懸命に なれるのに、もっと考えることができるのに、どこかで満足し、限界を決めてしまっていたよ うに思う。結局卒論のテーマを決定することができなかった私は今、「趣味」について思い込み から脱却するために『差異と欲望―ブルデュー『ディスタンクシオン』を読む―』(石井洋二郎 、藤原書店)を読んでいる。同時に題材となるような具体的な事例について考えていることころ だ。今回の発表での遅れを取り戻すべく、夏休みを有効に使って、しっかり考えていきたいと思う。