くぼっち
 ~第4回発表振り返りレポート~

 第4回ゼミ内発表は10月23日、24日に行なわれた。今回はその反省と今後の目標について述べて行きたい。

 夏合宿に行なわれた第3回ゼミ内発表では、本来そこで卒論のテーマが決まるはずだったにもかかわらず、私はテーマを決めることができなかった。 そして、第3回発表振り返りレポートを書いた時点では、夏休み中は「家族社会学」について調べることになっていた。 また、他にも「優等生」「反抗期」「変身願望」「認められたい欲求」といった、私が気になっている単語に関しても調べつつ、せめて8月中にはテーマを決めたいと意気込んでいた。 (第3回発表振り返りレポートはこちらhttp://www1.meijigakuin.ac.jp/~hhsemi13/index-egg/egg-works/egg-works-frikaeri/frikaeri_kubocchi3.html
 夏季集中講義が終わってから、9月2日に行なわれたフィールドワークまでの間は、「家族社会学」について本を読みながら、母と自分の関係についてどのようなテーマにしようか悩んでいた。 そして「優等生」など、他の気になる単語についても意味が曖昧にしか把握できていなかったため、どのような意味で論文などに使用されているのかを調べつつ、「自分がどんなことを書きたいのか」を考えていた。 今思えばこの時点で「家族社会学」についてあたっている文献が少なかったのだが、当時の私はそのことに気が付いていなかった。 問題は「どれだけの量を読めているか」であったのにも関わらず、私は本を一冊読んでいるだけで、何かをやった気になっていたのだ。 そして、フィールドワーク以降に他に気になっている単語と比べ、明らかに自分自身にとって切実で、向き合わなければいけない問題だと思った「母と娘」の関係についてテーマを絞った。 そして、気になる単語に関しては題材として見て行くことにしようと決定した。そして、この頃から題材は気になる単語の事柄が扱われている物語にしたいと思っていた。 物語分析に興味があったことと、物語の中で、どのように「母と娘」の関係が描かれているのかということが気になっていたからだ。 しかし、この時点で、テーマが完全に決まったわけではなかった。そして、「何を明らかにしたいのか」も分かっていなかった。 8月中にテーマを決めようと思っていたので、既に計画が崩れてしまったので少し焦っていた。
 その証拠に私はテーマが不確定であるにもかかわらず、序論を書き始めようとしていた。本当はそれをするよりも、テーマを決めるための知識を身に着けるために勉強をしていく必要があった。 しかし私は、序論を書いていけば、頭の中で考えるだけでなく、文字に起こしたことで自分の考えがハッキリしてきて、テーマ決定に繋がるかもしれないと思っていたのだ。 しかし、今まで卒論のために必要な知識を積み重ねてこなかったのだから、自分の話から抜け出すための材料が無い。 そのため、いつまで経っても「何を明らかにしたい」のか分からない上に、自分の話から抜け出せないような序論を書いていた。 長谷川先生からは「<くぼっち>は色々悩んできたと思うけれど、考えられてはいない」や「こういう個人的なことは論文にはならない」と何度も注意された。 このままではいけないとは思いつつも、いつまでたっても自分が取り組んでいることの何がいけないのかに気が付けず、自分と母の話が個人的であることは解かっているのに、どうして自分の考えから抜け出せないのかも分からないままであった。 他のゼミ生の卒論の進捗状況を聞いたり、やっている様子を見ていたりしていると、とても楽しそうにしているのを感じ始めた。 何故かというと、テーマが決まり自分の好きなことに関連していることを調べているので、その子たちの表情が生き生きしていたからだ。そして、それと相まってか進み具合がとても順調そうに見えたのだ。 そして、それを見ていると、そのうち自分が卒論で何を書きたいのか、本当に「母と娘の関係」について書くべきなのかが分からなくなってしまった。 さらに元々悩むとずっと同じことを悩み続けるタイプであったので、卒論で書くべき事について一度悩みだしたら、その状態から抜け出せなくなってしまった。 悩み事を中々人に打ち明けられない私は、ゼミ生に「自分は本当に『母と娘の関係』についてやるべきだろうか」と悩んでいることを打ち明けぬまま第4回発表10日前に突入した。 もうどうしようもないほどため込んでしまい、ギリギリになってやっとゼミ生に私が悩んでいることを話した。 ゼミ生のみんなに「<くぼっち>がここまで深く考えられてこられるものは他にはないのではと思うので、『母と娘の関係』でやっていった方が良いのではないか」とアドバイスを貰ったり、もう卒論の提出まで時間が無いことを諭されたりした。 ようやく自分が「やりたい」ことについて進むべき方向をハッキリさせたのは発表1週間前だった。
 私の目的がはっきりしたため、そこからはテーマ決めのために必死になって本を読み始めた。 本を読んで気になる単語として、「母子癒着」「友達親子」というものがあがった。もしかしたらこれがテーマにできるかもしれないと思った。 それは私自身の問題に近い物があり、一般的な問題として見て行くことができるとも思ったのだ。 そして、卒論に向けてどのような章立てが必要なのかも考えながら、目次案を作成した。 目次案は、テーマを調べるための題材さえ決まれば、今までの発表よりもハッキリしたものになった。 しかし、文献を沢山読んで知識をつけ、自分の気になる事を客観的に見ることの大切さに気が付くのが遅すぎた。そのため、発表の日までに自分が調べてきたことを殆ど形にすることができなかった。 それどころか、形にできるほどの量も行なえていなかったため、レジュメは6月に行なわれた第2回発表と同じくらいの分量しかなかった。 今回の発表で、大事なのは「やっていることをどれだけ形に残せているか」ということだと気が付いた。 そのことは、第2回の時のまだできる余地があったのにも関わらず「ここまでやってきたから大丈夫」と思って、本当は大してできていない中身のないレジュメであることにも気付かずに、自分の限界を作ってしまっていた点とは大きく異なっていた。 しかし、もう卒論の提出まで残された時間が無いだけに、たとえそれに気が付いていたとしても、発表の精度が第2回と変わっていなかったのだ。春学期でそれが良くないことだと学んだはずなのに、今回の発表でまた同じことを繰り返してしまった自分が情けなかった。
 今までの積み重ねもなく、自分の事からすら抜け出せていない。しかも、「母子癒着」という言葉は、専門用語としては存在していないことも解っていなかった。恐らく私の推測だが、母親と子供の親密な状態を簡単に一言で説明できるようにしたものなのだと思う。 こんなに基本的な事すら知らなかったのだ。そして、もう時間もないため、物語分析によって「母と娘の関係」を見て行くことを断念せざるを得なかった。物語分析は「家族社会学」とは別に、題材を分析するための枠組みを持っていなければならないのでそのための勉強も必要なのだ。 しかし、私はそのための勉強もしていなかったため、枠組みすらも持ち合わせていなかったからだ。私は長谷川先生から「友達のような親子関係がどのように語られているかを雑誌で見て行く」というテーマを頂いた。 70年代頃から、親子関係(特に母と娘)の関係は変化していった。そして、90年代には「友達親子」という言葉が生まれてきたと先生はおっしゃっていた。 私が読んだ広井多鶴子、小玉亮子共著『現代の親子問題 なぜ親と子が「問題」なのか』(日本図書センター、2010年)には「一九七〇年代に母子関係の強さが議論される一方で、その対極にある『父親不在』を強調する論が展開されていたということができるだろう」(p.282)と書かれていた。 そのため親子関係において1970年代は、大きな転換点なのではないかということは理解していていた。そこで、1970年から2013年までに刊行された雑誌の中で、「友達親子」やその言葉が現れる以前の「友達のような親子関係」がどのように扱われているのかを見て行くということになったのだ。 私自身が発表の中で「友達親子」についても触れていて、それがどう語られているかが気になっているということを先生が汲んで下さった上でのテーマだと思った。それだけに、自分自身でテーマを見つけられなかったことが非常に悔しく、先生にも申し訳なく思った。 雑誌を通して語られている「友達親子」を通して、自分自身が今まで悩んできた「母と娘の関係」を客観的に捉え直すだけでなく、「親子関係」がどのように変化し、受け止められているのかを明らかにしていきたいと思う。
 ここまでは、反省しかしていない。反省ばかりしていても、先には進めない。反省を踏まえてこれから自分はどうするかを考え、今はただひたすら「友達親子」や親子関係について述べられている雑誌をあたることに専念している。 自分の積み重ねが無いからこそ、時間が無いからこそ、少しでも自分の中に知識を積み上げていくしかない。卒業した後に、大学に論文が残っても、恥ずかしくないものを書いていきたいと思っているからだ。 今後の目標は、ひたすら書くことである。そして、その際に気を付けることが一つある。私の悪い癖で不安になったり、壁にぶつかったりすると、一人でグジグジ悩んでしまうことだ。今回はそれで大失敗したので、もう同じ失敗はしたくない。 「考える」ことと「悩む」という事が全く別の事だと解った今は、悩んでいる時間が惜しい。「考える」ためには知識が必要となる。そのために本を沢山読む。読んだ本の内容の要約や、そこから得たものは確実に私自身の知識として積み重なっていく。 一方「悩む」というのは、エネルギーを使うので何かやった気にはなるが、自分の中でグルグルしているだけなのだ。そのため、結局は行動をしていないので何も積み重ならない。卒論執筆で不安になると悩んで落ち込む機会が増えてしまう可能性がある。 しかし、悩んでいる暇がないくらいにひたすら、書き進めることを念頭に置いていこうと思う。そして今後は、「悩み」になる前にすぐに誰かに話すようにしていきたい。残り2か月は、ガントチャートを作ったり、色んな人と相談したりして、自分のやるべきことを着実に行なっていくつもりである。
 また、ゼミ全体では発表後のディスカッションについての反省がまたもや出てきてしまった。夏合宿の時は「質問の内容が、世間話じみていた」「もっと率直になれた」というものが挙がった。今回の発表では、世間話じみたものは無かったが、2日目の発表者への質問があまり活発ではなかったと思う。 2日目の人たちは既に論文が書き進められている子たちが多くいた。そのため、卒論を書いている上で必要な視点が分からないというのが一つの原因にあるのではないかと思った。しかし、分からないにしても、卒論を読む立場になった時に「ここはどういう事なのか」「何故ここはこうなるのか」という指摘はできたのではないかとも思う。 夏休みの発表の時にも同じような反省をしたにもかかわらず、今回もあまり変わっていないことが、また情けなくなった。また、私が悩んでいるのを中々言い出せずにいて、悩むよりも調べて考えることの必要性に気が付くのが遅れたことに対して、<サラダ>が「私たちが<くぼっち>に早く気が付かせてあげられる雰囲気にすることはできなかったのだろうか」と言ったことが印象的だった。 今回の場合、私がもっと早く悩みを打ち明ければ、周りの人が「気づかせてあげられる雰囲気」を作ることもできたかもしれないのに、<サラダ>に対して非常に申し訳なくなった。 それと同時に、もし他のゼミ生が私と似たような状態に陥っていた時、「気づかせてあげられる雰囲気」を作られるような状態でゼミ生と話していきたいと思った。今後、卒論執筆が個人の作業になり、毎週水曜日のゼミの時間以外は集まって話す機会が減ってしまう。 それでも、ゼミ生の多くが利用している国会図書館や大学にいる時に、お昼ご飯を一緒に食べたり、一緒に帰ったりする中で話す機会を沢山作り、完全に個人で閉じこもっている状態にならないようにしていきたい。