くぼっち
~第1回、第2回発表振り返りレポート~

 第1回の発表のテーマが「自分の好きな物・関心のあるもの。そして何故それに関心があるのか」 というものだった。私はまず、ゼミ生の中のだれにも負けない“好き”なものは何かと考え、女性声優 の水樹奈々さんについて発表することにした。この時はあまり深く考えずに、水樹奈々さんのどのよう な部分が大好きなのか、水樹奈々さんがどんな人物なのかということをメインで話した。結果、内容が 自分の中の率直な部分の話をするというよりも、ただの「水樹奈々さんの紹介」で終わってしまった。
 この時点で私は奈々さんについて発表できたことで満足してしまった。ただ“好き”の気持ちだけ で卒論を書くには、どうしても客観的に見ることが難しいと勝手に判断して「ここから先、“好き”とい う気持ちの壁を超えるのは難しい」と結論付けてしまった。そして、「“好き”を超えるには、学術的に 知りたい、と思う物をテーマにした方が良いのでは?」と思い、第2回発表では自分の関心について整理 しようと考えて準備を始めていた。そして、春休みの課題で行なった写真連想関心コラムから、自分の関 心を整理したものをレジュメにまとめた。目次案にはその関心を整理して、最終的に卒論にしたいと思っ た「魔法少女について」と「言葉の影響について」の二つを作った。
 しかし、このような一連の考え方で発表に臨んだことがよくないと気が付いたのが、第2回の発表 において、自分の発表の時のディスカッションや先生の講評が終了した後だ。それまで、私は「自分の関 心について、整理して向き合ってきた」と思いこんでいた。しかし実際は、自分の関心をピックアップし て最終的に「自分が卒論にしたいのは、ゼミ活動が始まる前の、1月の時から卒論のテーマにしたいと思 っていた『言葉の影響』についてです」とまとめたものでしかなかった。「魔法少女」についても目次案 を作成したものの、「今後の自分にとって、魔法少女を卒論にして役に立つのか?」と考えて、結局切り 捨ててしまっていた。
 何故「言葉に影響」をテーマにしたかったかというと、私は話すのが苦手で、どのようにすれば人 に自分の思いを上手く伝えられるかをいつも考えていたからだった。そして、「今後の自分に役に立つこ と」と勝手に思い込んで、テーマにしたいという結論に至った。しかし、「言葉の影響」について拘り続 けている私に、先生がお話して下さったのは「マス・コミュニケーション研究で、情報の送り手が受け手 を完全に操作することはできないことが証明されている。なのに、メディアについて勉強している貴女が 『メディアについて勉強していない普通の人』と同じように誰かに影響を与えるような説得をしたいと思 っているのは、勉強不足で恥ずかしいことだ」というものだった。結局私は、学術的な面からも考えずに、 ただ「このテーマをやりたい!」と言っていただけだった。大学の授業でメディアについての勉強をして きたにも関わらず、全く身についていなかったことを恥じた。
 また、レジュメに関しても、「関心を整理し纏めたのだから、これは私が全部考えたことだ」と思い こんでいる部分が大半で、「関心の整理の部分が、1時間ある発表時間を埋めるための時間稼ぎのように しか見えない」ものとなっていたことも、指摘をしていただくまでは全く気付いていなかった。写真連想 関心コラムはあくまで春休みの段階で考えたものであって、第1回の発表と第2回の発表の間の準備で考 えている部分はあまりなかった。実際第2回の発表の準備期間で考えた部分がレジュメに現れていたのは 4分の1しかなかった。他の人から見たら「時間稼ぎ」と映ってもおかしくない状態だったのだ。

 発表後の打ち上げの際に、卒業生の先輩にレジュメを見せた時の「なめてるの?」という質問が突 き刺さった。私自身は発表について手を抜いているつもりは全くなく、全力でやっていたのだが、それは あくまで「つもり」でしかなかったことがとてもショックだった。
 そこで、何故私が全力でやっていたはずなのにできていなかったかという理由を考えてみた。実は 私は、5月半ばくらいから明るみになってきていたゼミ全体の受け身の体制を「まずい」と思っていた。 そして、ゼミ全体のその状態を何とかしようと思い、みんなに心配かけないよう誰にも相談せずに、発表 の準備と同時進行でゼミの現状打破を行おうとしていた。どうすれば、ゼミ全体が受け身の状態から脱出 できるか頭を悩ませて、「まずは自分から変わろう」という結論に至った。係であった教室申請を行なっ て講読の環境を整えてみたり、講読も積極的に参加したりした。またこの頃、修正段階に入っていた、ゼ ミのチーム毎のホームページ製作も自分ができることを探して関わっていこうともしていた。しかしその 結果、自分の発表の準備が一番まずいことになっているのに全く気付けていなかった。これは、自分自身 に「何ができるか、何ができないか」が解らないまま「とにかくやらなきゃ!なんとかしなきゃ!」とい う思いだけでやってきてしまったことが原因だ。今の自分の力量ではできないことまでも一手にやろうと した結果、本当はできるはずのことまで中途半端にしかできていなかった。実際その時私が行なった行動 の結果は、発表の準備不足だけでなかった。「やろう」としたまでは良かったものの私の視野が狭かった。 「やるべきこと」の中にある「やり忘れてはいけないもの」が何かを考えられていなかったのだ。例えば 教室申請の時、メールの返信を行なっていなかったり、当日の教室のお知らせをゼミ生に共有するのが遅 かったりした。本来ならば、メールの返信もゼミ生への共有もできてこその係の仕事だったのに、できて いなかった。
 以上のことから、第2回の発表で明らかになった私の問題点は、以下の3つだ。
①誰にも相談しなかった結果、考えた「つもり」になって、独りよがりの結論づけを行なってしま っていたこと。
②目の前にある「やるべきこと」の中の「自分ができること、できないこと」あるいは「やるべき こと」の中にある「やり忘れてはいけないもの」を考えずに全部1人でやろうとしたこと。
③ゼミ生に「私自身の話」をしてこなかったこと。
 これらのことは全て「他のゼミ生に話す」ということができていなかったことに集約できる。私は、 ゼミ生のことも院生の先輩のことも好きだ。好きだからこそ、今まで沢山のことを話し、ゼミでも意見を 言ってきたと思っていた。しかし、この3か月振り返ってみると、私自身の深い部分を自分から話したこ とは1度もなかったのではないのかと思った。以前知り合いから「心は開いてくれているけれど、深い部 分を話してくれることはあまりない」と言われたことがある。恐らく、私は相手のことが好きで本当はた くさん話したいことがあるのに、自分から何をどう話せばいいのかが解らなかったということが今までも 多々あったのだと思う。そのため「みんなが尋ねてくれること」に応答していただけなのに「話している」 と思っていたのではないかと思った。
 また、卒業生の先輩からのお話で「100%話してくれなきゃ、誰も100%で返してくれない」と いうものがあった。まずはゼミ生たちと「私自身のこと」を自分から話すことが私の1番の課題だ。そし て、率直に話し合うことから出てくる自分の問題を洗い出し、検討していくことができるようになってい きたい。
 今の私は、発表を2回無駄にし、且つ他の人よりも遅れをとってしまっている。ここで焦ってしまっ ては何も良い物は生まれないが、残りの発表の機会を無駄にしないよう取り組んでいかなければと思う。 ゼミ生と率直に話すことだけでなく、身についていなかったメディアについての勉強をしていくことも個 人で課題を設定して行なっていくことにした。
 それから私は改めて、水樹奈々さんについて考えていこうと思っている。理由は、第2回の発表の 打ち上げで「“好き”の壁を越えられない」と言い訳にして逃げたことに気が付いたからだ。本当は彼女 に対して嫌いになるくらい「なんで?」と疑問をぶつけて掘り下げていく必要があったのに、それをする ことを恐れたのだ。それを行なって最終的に彼女のことを嫌いになりたくなかったのだ。しかし、1度嫌 いになったあとにもう1度彼女の魅力を見つめ直すことができた時こそ、それが本当の「好き」なのでは ないかと思う。私は水樹奈々さんを「好き」でいたい。しかし、私はまだ彼女に対しては「盲目的に好き」 というのに近いと思う。だから彼女に対して自分が「なんとくなく」抱いているのに言葉にできない感情 を言葉にできるように、徹底的掘り下げていこうと考えている。