じーや
~第3回発表振り返りレポート~

 私は第3回の発表を経て、卒論の題材として「ピンクレディー」を扱い、そこから 私が今まで趣味の1つとして行ってきた「女性アイドルをマネる」という事を1つの社会 現象として捉える方向で、今後卒論に取り組んでいくことが決定した。このような大ま かな方向性は決まったものの、卒論としてそこから「何を明らかにしていきたいか」と いう根本はまだはっきりしていない状態である。今回は、私の卒論がこのような方向性 に至った経緯と、第3回発表を振り返った上での反省点、これからの取り組みの展望な どを記したい。

 前回の発表振り返り(第2回振り返りレポート ) で述べたように、私は第1回の発表で好きなものとして挙げた「女性アイドル」というテーマに再び立ち戻り、第3回の発表に向けて 考えていくことにした。第1回の発表では、自分がアイドルをどのように好んできたかを 振り返る中で「女性アイドルをマネる」という事が自分の行動に長年根付いているとい う気づきがあったことを発表した。しかしその時点では、ただそのことを発見するだけ に留まってしまった。つまり、そこから「なぜ自分はアイドルをマネるのか」という疑 問を持ち、深く掘り下げることが出来なかったのである。第3回の発表では卒論のテーマ を決定することが望ましいとされていたが、それに向けてまずは「アイドルをマネる自 分」を出発点に、女性アイドルが好きである自分自身についてよく考え、客観的に捉え 直すことをしていきたいと思った。
 自分を客観的に捉え直すうえで必要なことは2点あった。ひとつは、人によく話を聞い てもらうことである。私は第2回までの発表において、自分の話を人に聞いてもらうとい うことをほとんどして来なかった。今思えば、それまで人に聞いてもらうことの重要性 がよくわかっていなかった為、それを怠ってしまっていたのだと思う。人に話をして鋭 い突っ込みを入れられることや、自分の考えを否定されることを恐れていた部分もあっ た。しかし今までの発表で、私は先生に「出発点から抜け出せていない」「自分の頭の 中で堂々巡りをしているだけで、考える段階に至っていない」「自分の中の話で終わっ ていて、それでは卒論にならない」といったような厳しい指摘をいただくことが多くあ った。そしてそのような発表になっていた原因について、「自分の頭の中のものを吐き 出して空っぽにすることをしていないから」であると、第2回発表後に指摘していただい た。その為、私にとって自分の考えを人に話すことは、自分の中だけでしか物事を考え られていなかった状況から抜け出し、自分自身を客観的に捉える為の第1歩として、必ず 行わなければならないことであった。第2回の発表後に、ようやくその重要性を認識した のである。
 その為、第2回発表からの2カ月はとにかく他のゼミ生に自分の話を聞いてもらうべく 、自分から積極的に「卒論の話をしよう」と持ちかけるように心がけた。皆快く話を聞 いてくれたし、その分自分も他のゼミ生に積極的に話を振るよう心がけた。ゼミ内でも 、これまで卒論の話をしてこなかったことは反省点として挙がっていた為、全員そのよ うな意識は常に持つようになっていたと思う。私が人に話を聞いてもらう中でわかった 事は、自分の感じていることや思っていることは、決して自分だけが思っていることだ とは限らないということだ。その例として、アイドルをイメージとして見ることが挙げ られる。私はアイドルが好きな自分を掘り下げるようになってから、自分はアイドルを 好きではあるものの、そのアイドル本人そのものが好きというよりかは、そのアイドル が持つイメージのようなものが好きであるように感じていた。つまり、どこかアイドル を生身の人間としてではなく、作り込まれたイメージとして捉えているような、冷めた 視線を持っているように感じていたのだ。そのようなイメージには、例えば「明るい」 「健気」「清楚」「ピュア」などといったものが挙げられる。そのようなイメージは、 私にとって理想のアイドルイメージであり、それらのイメージを持つアイドルを、自分 にとって理想のアイドルとして捉えていた。そして私はそのようなイメージというフィ ルターを通してアイドルを見ていて、その姿や動きをマネているのではないかと漠然と 考えていた。そのようにアイドルをイメージで見るということや、そのイメージをマネ ているということを、自分だけの話ではなく一般化して捉えるきっかけとなったのは、 ゼミ生からの言葉だった。私が先に述べたようなアイドルに持つイメージについてゼミ 生に話をした際、ゼミ生は「そのイメージは、<じーや>だけが持っているものでもな いようにも思う」と言ってくれたのである。その意見は、私にとって貴重なものだった 。何故なら、そのようにアイドルを捉えることが一般的によくあることかもしれないと 認識したことで、「何故、皆が一様にアイドルに対してそのようなイメージを持つのか 」という、自分だけの話から脱却した新たな疑問を持つきっかけになったからである。 今まで先生から「自分の切実な事を、一般化して捉えてよく考えることが大事」という アドバイスをたびたび受けていたが、私は人に話を聞いてもらうことでようやく自分だ けの中の話から抜け出し、少しずつ「アイドルをマネる」という自分の行動を一般化し て捉えるようになっていったと思う。
 もう1つ、自分の行動を客観的とらえるために必要なことは、アイドルという対象を 知ることだった。「対象をよく知らないと物事はわからない」ということを、第2回発 表後に先生から指摘をされていたが、ここへきてそのことをようやく実感するようにな った。つまり、先に述べたような「何故皆が一様にアイドルをイメージで捉えるのか」 という、一般化されたことについての疑問を探る為には、そもそも一般にアイドルとは どういうものであるかということがわからなければならない。その為には、正確なデー タにあたったり歴史的な流れを知ったりすることが必要不可欠であり、それをしない以 上は、どこまでも自分の中の想像の話しか出来ないのである。私は、第2回の発表以降人 に自分の考えを話すようになってから、自分の中の想像の話しか出来ないことが多くあ ることに気付き、それをとてももどかしく感じていた。何故なら、「おそらく~だと思 う」「~のような気がする」といった想像上の話では、論文を書くことが出来ないとわ かっていたからである。それをわかっていながらそのような話しか出来ない自分に、と てつもないもどかしさを感じていた。また、人に話すようになって初めて、きちんとし た情報を得ていなければ、説得力のある話を人にすることは出来ないことも実感した。 それらの実感から、発表までには勉強してなるべく多くの情報を得たいと思い、文献か ら情報を得ることにした。
 私が発表までに読むことが出来たのは『アイドル工学』(稲増龍夫著、ちくま文庫19 89年出版)という本1冊であった。この本を選んだ理由は、この本がアイドルを扱う本の 中で唯一学術的なものだったからである。本当は、この本の参考文献にも当たらなけれ ばと思っていたのだが、この1冊に当たるのが精いっぱいだった。さらには、この1冊で さえきちんと理解することが出来たといえる状態ではなかった。わからない部分を自覚 しながらも、時間がないからとおざなりにしてしまったことは大きな反省点である。し かし、文献を読んで初めて学術的な視点から見た「アイドル」というものに触れ、得た ものも多かった。例えば、私は先にも述べたように、アイドルそのものを人間として好 きなのではなく、アイドルとしてのその人のイメージや、その人がアイドルとして演じ ている部分を好んで見ていたり、マネしていたりする傾向があるように感じていた。そ して、アイドルも生身の人間であるにも関わらず、そのようにイメージで見てしまう感 覚に不思議さや奇妙さをも感じていた。しかし文献に当たりアイドルの歴史を知るにつ れ、日本のアイドル像が確立していくなかで、アイドルが実物ではなく虚構として受け 取られていくようになったことを知った。そしてその背景には「テレビの日常化」が大 きく関わっていることを理解するようになった。その時、私がアイドルをイメージとし て捉えている理由のヒントを、漠然とだが得た気がしたのである。もちろんこれは1970 年代前半のアイドル確立期の話であり、当時よりさまざまなメディアで溢れる今に生き る私にとっては、その契機となってきたのは「テレビ」だけではないだろう。しかし、 文献を読むことでそれらのヒントを得たことは大きく、「対象について勉強しないと物 事はわからない」という先生の言葉の意味を、この時になって少し実感した気がしたの である。しかし同時に、その本の情報だけに飛びついてしまったことも自覚していた。1 冊の本の情報しか得ていないからこそ、それがすべてのように感じてしまっていたのだ 。「本に書いてあることがすべてではない」という先生からの言葉を自分に言い聞かせ ながらも、情報とどのように距離をとって捉えていけばよいのかが、結局掴みきれない ままであった。そしてそのような文献頼りの状態は、発表にも大きく影響していた。
 発表では、これまで考えたことや調べたことをもとに、「アイドルをマネる女性たち」 を取り扱い「アイドルをマネること」を世の中の現象のひとつとして捉えることで、そこ に関係する「メディアの影響力」を明らかにしたいと発表した。文献を読む中で、テレビ 等のメディアの日常化がアイドルの虚構性に大きく関わっていることを知り、自分もその 影響を受けてマネているのだと思ったからだ。だからこそ、卒論をきっかけに「アイドル をマネる自分」というものを客観的に捉えなおし、それによってメディアに影響される自 分というものも今一度捉え直してみたいと考えていたのである。しかし、それが誤った解 釈ゆえに導き出されたものであることに、その時は気付かなかった。発表時の私は、アイ ドルをマネている自分はメディアからの影響を一方的に受け、それによって「マネさせら れている」というような解釈をしていた。それは自分の読んだ本をから得た情報を、一面 的にしか捉えられていなかった結果である。「テレビ」という日常化されたメディアをき っかけにアイドルが虚構として受け取られたという情報を、「メディアの影響力」という ありがちな言葉で片付け、自分がそれに翻弄されていると思い込んでいたのだ。発表の時 はむしろ、そうに違いないという確信さえ持っていた。これが思い込みであることを先生 に指摘されたのは合宿最終日のことであり、またその指摘を自分の中で理解するようにな ったのは、合宿が空けてしばらくたってからのことになる。
 私の発表の時のディスカッションは、あまり活発なものにすることが出来なかった。そ の原因は何より私のレジュメの出来の悪さにあったと思う。今回の発表は、第2回同様レジ ュメと目次案を配ることが必須であった。私は今回それ以外にも、発表原稿を作成するこ とにした。第2回の発表できちんと原稿を準備している人を見て、自分の原稿のない発表 に対する準備の甘さを感じたからである。しかし、原稿から作成し始めた私は、今度はレ ジュメの作り方がわからなくなってしまった。自分の書いた原稿を、どのようにレジュメ としてまとめれば良いのかが、わからなくなってしまったのである。その為、今回の発表 の私のレジュメは、原稿の段落ごとに考えたタイトルが並べられただけの、目次のような 質素なものになってしまった。今思えば、その原因は自分の書いた原稿の要点を、自分自 身がよく押さえられていなかったことにあると思う。私は以前から、発表などの際にポイ ントの伝わらない話をだらだらとしてしまう癖があり、自分自身の伝えたいことのポイン トを自分で理解出来ていないようなところがあった。つまり、人に要点を伝えながら話す ことが苦手なのである。今回に関しても、話す内容を書いた原稿の中で、聞き手に伝える べき「要点」を自分が認識していなかった為に、それをレジュメにしようとした時、何を 抜き出して作成すれば良いのかがわからなくなってしまったのだ。
 ディスカッションになって、レジュメの大切さを痛感した。思えば私自身も、人の発表 を聞くときはレジュメをなぞりながら聞くし、そこに線を引いたり書き足したり疑問点を まとめたりという作業をする。ディスカッションではそれを見ながら、違うと思ったこと や疑問に感じたことを述べるようにしていた。しかし、私の作った目次のようなレジュメ ではそのような作業をしながら発表を聞くには内容が伴っておらず、聞く側のことをまっ たく配慮出来ていないレジュメになってしまった。その点、私の作成したレジュメは、デ ィスカッション時にほとんど頼りにならなかったのである。今後はその点を改め、聞き手 が発表を聞きやすいようなレジュメを作成していかなければならない。そのため には、自分が発表を通して何を伝えたいのか、ポイントを押さえられるよう にならねばと思う。
 しかし、そんな中でも聞き手のゼミ生はさまざまな意見を出してくれた。例えば、私は アイドルのイメージに対して「清純派」という言葉を使っていたが、そもそも「清純派」 とはなんなのかという指摘をもらい、自分の中の曖昧な見解だけで言葉を使ってしまった ことを実感した。このような言葉の扱い方は第1、2回の発表でも指摘を受けており、かな り意識していたはずであった。しかし、自分でも理解があやふやな言葉をつい便利な言葉 として使ってしまう傾向がある。この時も「清純派」とはなんなのか、上手く答えること は出来なかった。
 発表後の先生からのコメントでは、口頭発表自体は準備出来ていて良かったと言ってい ただけたものの、やはりレジュメの不出来を指摘されてしまった。これについては原稿の 要点を押さえることを意識し、今後改善しなければならない。また「マネ」という行動を よく理解出来ていないことも指摘された。その時初めて気づいたのだが、私は常にマネす ることをアイドルとセットでしか考えられておらず、マネをするという動作そのものをに ついてはあまり考えられていなかったのだ。例えば子供はマネをしながら成長していくし 、マネするという動作は世の中に溢れている。しかし私は「アイドルをマネる自分」から 切り離して、一般的な「マネる」ということを単体ではきちんと捉えられていなかったの である。先生からは私の話の中で重要なのは「マネる」ということであり、その点を今後 勉強し、理解していく必要があるというお話をいただいた。
 また、私の発表はフォルムをマネることと、動作をマネることがごちゃまぜになってお り、区別がついていなかった。ここでいうフォルムのマネとは、アイドルの髪型や容姿を マネることであり、動作のマネは、アイドルの振付などをマネることである。先生にはこ れをしっかり区別したうえで、「動作のマネ」に注目していくようアドバイスをいただい た。そしてそのうえで、70年代に振付のマネが大流行し、社会現象を巻き起こした「ピン クレディー」というアイドルを題材として扱うことを提案していただいた。私にとって「 ピンクレディー」は、自分の中の理想とするアイドルのイメージとして語った「けなげ」 「清楚」などといったものとは異なるイメージの印象を持っていたため、一瞬複雑な心境 に駆られた。しかし、先生の「動作に注目すべき」という話から考えると、自分が扱うに これ以上ないくらいふさわしいアイドルのようにも感じた。その時代に生きていなかった ために実感が難しかったものの、『アイドル工学』でもピンクレディーの起こした振りマ ネ現象のすさまじさは語られており、本書をきっかけにアイドルの動作をマネるというこ とが、社会現象のようにして日本中で起きたらしいことは把握していたのだ。先生からは 、この現象がどう語られたかを見ていく必要があるとアドバイスを頂いた。それらの話か ら、「ピンクレディー」を好意的に語る人もいれば、批判的に語るひともおり、それらを 見聞することで「ピンクレディー」がどのように受け取られたかをまずは把握することが 大切であると理解した。また、合宿の最終日までに、「目次案及びタイトルの改変」「卒 論の概要文3行」「何を明らかにしたいかを考えること」の3つの課題を頂いた。
 最終日に時間を頂いたこの3つの課題に対するリベンイジタイムでの発表は、あまり出来 の良いものだとはいえなかった。この時の私は、自分がアイドルの振付などをマネること に対して「メディアの影響力」を一方的に受けているという思い込みがまだ確信のように してあった。まるで自分が操り人形のごとく、踊らされているような認識を持っていたの である。改変したタイトルや目次案、そして概要文からもそれは明確に見てとれた。先生 からは、それが勉強不足による思い込みや勘違いであることを指摘され、そのような見方 を改める必要があると言われた。しかしその時は、その意味が私には理解出来ていなかっ た。その思い込みを誤ったものだと理解出来ないのは、先生の言うように勉強不足からく るものであり、早くそれが理解出来るようにならなければと感じた。また、先生からは夏 休み中の課題として「マネるということについて文献をあたって理解すること」「ピンク レディーについてよく調べること」「序論を作成すること」の3つを頂いた。また、リベン ジタイムのあと、ゼミ生の<くぼっち>が私のところに来てアドバイスをくれた。<くぼ っち>の読んだ『メディア文化論 メディアを学ぶ人のための15話(吉見俊哉著、2012年、 有斐閣アルマ出版)』の中に「メディアというのは、単に送り手から受け手へ一方通行にメ ッセージを伝える媒体ではない」というような記述があり、それが<じーや>の思い込みか ら抜け出す参考になりそうだというアドバイスであった。この本は丁度読もうとして購入し ていたもののまだ手を付けられていなかった本だったので、合宿から帰ったらまずこの本を ヒントに自分の思い込みが勘違いであることを理解したいと思った。

 合宿が終わって最初に行ったことは、やはり『メディア文化論』を読むことであった。 まだ全体を一読することしか出来ていないが、自分のメディアというものへの見方が一面的 であったことは認識したつもりである。メディアは、自分の思っていたような一方通行にメ ッセージや影響を受け手に与えるものではなく、もっと送り手と受け手が相互に作用してい るものなのだということが本書には書かれていた。まだまだ深く本書を読めておらず、相互 に作用するということがしっかり理解出来ているかというと正直曖昧である。この点をもっ と正確に理解し、意識しながら考えることで、メディアについての誤った見方を修正しなけ ればと思う。そして思い込みではないメディアについての正しい知識をもとに、自分の取り 組んでいくテーマについて改めて考えていかなければならない。つまり、ピンクレディー やその仕掛け人という「送り手」と、それをマネした「受け手」が、どのように相互に作用 しているのかを考えていかなければならないのである。先生から頂いた「あなたはメディア に踊らされてマネしているのではない、楽しいからマネしているのだ」というお話は大き なヒントとなりそうである。つまり、私はメディアに踊らされているのではなく、自ら楽し んでアイドルの振りをマネして踊っているのだという事実を、もう一度よく考える必要があ るのだ。それが先に述べた「相互に作用している」ということを、自分の経験から理解する 上での第一歩となるのではないかと思う。発表やリベンジタイムで私が陥っていたメディ アに対する思い込みから抜け出し、見方を変えていかなければ、目次や概要文を納得いく形 に改変することは出来ないだろう。そして、自分の扱うテーマから何を明らかにしていきた いのかも、これを理解しなければ導き出せないように感じる。その為にも、今後も先生から 出された課題に取り組むと共に、メディアへの見方を修正することを意識して行っていきた い。夏休みの過ごし方が重要であるというアドバイスは、先生やOGの先輩からも聞いており 、気を引き締めて取り組まねばならないと思う。しっかりスケジュールを立てつつ、卒論執 筆に向けて実りのある夏休みだったと言えるようにしたい。