あっこ
~口頭試問振り返りレポート~
 1月24日(金)に卒業論文提出後の口頭試問を行った。例年長谷川ゼミの口頭試問は、院生を含む現役のゼミ生と来年度のゼミ生、そして任意で見に来てくださるOB・OGのゼミ生方が一同に会する中で行われる。これまで行ってきた4回のゼミ内発表とは異なり、発表に対して発言が許されるのは試問を受ける1人のゼミ生だけである。他のゼミ生は発言ができない。そのような空間の中で、今年も2013年度長谷川ゼミに所属する学部生10名の試問が行われた。
 私も昨年、来年度ゼミ生として、2012年度長谷川ゼミ生の口頭試問を見学していた。先輩たちは自分の試問の時間が始まると、自分の卒論を説明するために用意した原稿を読み、読み終えると長谷川先生からいくつかの試問を受けていた。私は口頭試問を受けている先輩たちから、ゼミという時間の濃密さが滲み出ているように感じていた。先輩たちと対面したのはこの時が初めてであったが、なんとなく先輩たちがもう何年も、ゼミという時間に心身を費やし生きてきたように感じたからである。そして先輩たちからそのような印象を受けると同時に、私もそのようにゼミの時間を過ごしたいと思っていた。これから始まろうとするゼミに、漠然と胸を踊らせ、意気込んでいたからである。そして時間はあっという間に過ぎ、ついに自分が口頭試問を受ける日がやってきたのだった。
 この振り返りレポートでは、口頭試問を受け、その後自分自身を振り返り考えたことについて書こうと思う。

 私は「家庭教師・吉本とは誰か――『家族ゲーム』にみる「家族」イメージ」というタイトルのもと執筆を行った。私の論文は、3つの連続テレビドラマ『家族ゲーム』に登場する家族にとって、その家族が雇う吉本という名前の家庭教師は何者なのかを明らかにするものである。3つの連続テレビドラマに登場する家族は、家庭教師の吉本を雇うことによって、考え方が変化し、同時に言動が変化していく。私はその様子を見ていて、家族にとって吉本の存在はどのようなものなのか、疑問を感じこのテーマに至った。
 論文は全6章で構成されており、第1章は序論、第2章では映画『家族ゲーム』の言説を扱い、映画公開後制作された3つの同名連続テレビドラマにおいて描かれている「家族」イメージを明らかにする。そして第3章から第5章の各章では、3つの連続テレビドラマ『家族ゲーム』をそれぞれの章で内容を文字におこし、「家族」のイメージを詳細にする。最後の第6章では、各ドラマに登場する吉本という名前の家庭教師と、家族の関係を文化人類学の「異人」の概念によって捉え、説明している。
 そして口頭試問では、私からの卒論説明が終わった後、先生から、以上の私の卒論を読み非常に残念に思ったこと、そして私自身がこの結果をよく考えること、というコメントをもらった。この先生のコメントからわかるように、私の卒論は結果として失敗に終わった。先生からは失敗に至った不足点として以下の3点が挙げられた。1点目は、章が独立しており関連していないため、論文の全体を通して何を言いたいのかわからない。2点目は、第3章から第5章ではただ映像が文字になっているだけで、「家族」イメージが何も明らかになっていない。そして3点目は「異人」の概念を持ち出すことは悪くないが、結局家庭教師の吉本が家族の何を異化しているのか明らかになっていない。
 卒論の審査は主査と副査によって行われるが、副査は試問に同席していないため、副査の審査結果のコメントは主査によって読み上げられる。そして長谷川先生から述べられた副査の「異人」の概念を持ち出したことに対するコメントは「付け焼刃」というものだった。これはゼミ生からも指摘されたことであった。私の論文には唐突に「異人」が持ち出されており、なぜ「異人」の概念が持ち出されるのか、その根拠が皆無であったため、「付け焼刃」というコメントはまさにその通りであった。この「付け焼刃」であることに気付いたのは、口頭試問の原稿を準備するために、自分の論文を読み返しているときであった。櫛比中の私は「付け焼刃」であることに気付かず執筆を進めていたのだ。先生はそのような状態に対し、先に挙げた不足点の3点目にあたるコメントを述べられた。つまり、「異人」が根拠もなく持ち出されていることにも問題はあるが、それ以上に問題なのはそれから先が考えられていないことであった。
 このことから私は、まず自分が2つの思い込みをしていたことに気付いた。1つは、「付け焼刃」に気付かずに執筆を進めていた私は、完全に「異人」を持ち出したことで考えることをやめてしまい、吉本と家族の関係を明らかにしたつもりでいたことである。そしてもう1つは、私は自分のテーマにおいて明らかにすることが「吉本と家族の関係」だと思い込んで執筆を進めていたことである。
 私はこの論文のタイトルが決まった12月上旬、先生からの指摘によって自分が「関係」という言葉を多用してしまうことに気付いた。「○○の関係を明らかにしたい」と私はよく言うが、「関係」の何を明らかにしたいのか結局曖昧になっていたのである。そして私はまたしても「家族と吉本の関係を明らかにする」というように、「関係」という言葉によって自分の問いを理解していた。先生から「吉本が家族の何を異化しているのか」と問われたとき、私が自分の論文の問いである「家庭教師・吉本は家族にとってどのような存在なのか」に対して考え明らかにすることは、「吉本が「家族」の何を異化しているのか」であったことに気付いた。実際私は第1章の序論において問いを説明するとき、何度も書き直し、納得する文章にするまでにかなり手間取った。本来ならば自分の問いの説明は簡潔にできるはずであり、そうでなければならない。何かを簡潔に説明することができないのは、自分が説明する対象を理解できていないからである。私は結局自分の問いを最後まで理解することができていなかった。先生の言葉を聞いて、一瞬思考が止まり、自分が序論において問いを説明できずにいた時の悶々とした気持ちが一気に解けていくようだった。同時に自分は自分の問いを理解することができていなかったのだと思った。1点目と2点目の理由も、問いが自分の中で曖昧であったため、章の目的が立てられていない状態が明確に表れたものだったのだ。
 口頭試問の記憶が断片的であるため、私の失敗に至った不足点を簡潔にまとめると以上の3点になった。しかし、全ての理由の根本的な問題は1つである。それは私が「異人」の先を考えようとしなかったことに明瞭に表れており、私が自分の言葉で、頭で考えようとしなかったことである。
 先生は私の論文の発表が終わった後、最初に「なぜこのテーマになったのか」という質問を投げかけた。私は「家族について考えてきたから」と答えた。しかし、私はこの「吉本は家族にとって何者なのか」というテーマを、今まで考えてきた自分の切実なことである「家族」に引き付けて考えてこなかった。理由は、このテーマにたどり着いたのは、私が3つの連続テレビドラマ『家族ゲーム』を見ていて、家族にとって吉本の存在とは何なのだろうと、漠然と疑問を感じたからであり、それまで私が考えてきた自分の家族についてのこととは全く切り離されたものだと思っていたからだ。私は発表の最後に反省点として、「このテーマを自分自身が執筆する根拠が薄い」ということを述べた。それに対し先生からは「そうやって逃げるのか、そんなことは自分で考えることだ」と指摘を受けた。先生の言葉を振り返って、私が自分の言葉で、頭で考えようとしなかったのは、私の逃げの姿勢であったことに気付いた。私は完全に、「考えない」という逃げの姿勢を恒常化していたのだった。先生が「<あっこ>はこの1年間何をやってきたのか」とおっしゃられたのは、この長谷川ゼミの1年間では自分の言葉で考えることを学ぶことであったと思ってきたが、それができていないことが、ありありと表れている卒論であったからだと今になって思う。そしてこの論文には、私自身が『家族ゲーム』に対する問いを、自分のテーマとして向き合うことを端から諦めた結果、章の目的も分からない、自分の問いの目的さえ自覚することができていない状態があらわれていた。
 「異人」を唐突に持ち出したのも、吉本が家族にとってどのような存在なのかがわからず、当てはまる適当な枠組みとして持ち込み、理解したつもりになっていたのだ。そして「付け焼刃」であることに気付かなかったことにおいても、私は再び「異人」を持ち出す前の状態、「吉本と家族の関係がわからない状態」に陥ることが怖く、自分自身を否定的に振り返ることから避けていたのだと、今振り返ると思う。そもそも「関係」という言葉を持ち出していた私は、それ以前から、自分の問いを突き詰めて考えることができていなかったのだが、私はそうして考えることから逃げていたのだった。

 このように振り返ったとき、これまで私は自分がつらくなったとき、すぐに逃げてきたことに気付いた。
 私は中学生のとき、陸上部に所属していた。私は短距離、中距離、長距離の走る種目以外に、走り高跳びの種目も練習していた。基本的に多くの部員は走る種目に出場する選手として、日々練習を積む。私もそのうちの一人として走る練習を積みながら、同時に走り高跳びの練習も積んでいた。しかし、私の所属していた陸上部は駅伝が強く、そのため部活として力を入れているのは走る種目であった。私も駅伝に出場する選手として携わりたい思いが強くあったが、そのためには走り高跳びの練習をやめ、走る練習をメインとして行わなければその想いが叶わないことは、暗黙のルールのように知っていた。そして私は悩んだ結果、走り高跳びの練習をやめ、走る練習をメインにすることを顧問の先生に告げた。そのとき私は走り高跳びの練習をやめることに対する、後ろめたさがあった。
 私と同じように、走る種目と、それ以外の種目の練習を並行して行うメンバーもいた。そのメンバーと駅伝に対する思いについて特に話したことは無かったが、自分と同じように、駅伝に選手として携わりたいのだと思っていた。しかし、自分以外のメンバーは途中で走る種目以外の練習をやめることはせず、最後まで2種目の練習を並行することを選んでいた。一方私は途中で走り高跳びの練習をやめ、そのメンバーに対して後ろめたさを抱えるようになった。私は選手として携われる可能性を失くしてしまうつらさから逃げるために自分の思いを優先させた結果、つらさから逃げるどころかより一層自分を苦しめることになった。
 しかし私はメンバーに対する後ろめたさを直視することから逃げ、走り高跳びの練習をやめることを顧問の先生に告げたのだった。その時の、「本当にやめるのか?」と私の目をみながら聞いた顧問の先生の表情が忘れられない。それは、その後ろめたさから逃げた罪悪感が自分の中に今でもあるからであり、この自分の後ろめたさと罪悪感をきちんと自覚したのは、口頭試問を振り返ってからだった。私はこの後ろめたさと罪悪感を自覚することからも逃げてきたのだった。

 私はこうして、逃げてばかりの人生を生きてきたのだと思った。そして長谷川先生が口頭試問の全体講評で言っていたように、それを報いるのは自分自身なのだと、こうして振り返って思う。私が逃げてきた結果、自分のことを考えてくれている人の思いを裏切り、自分自身も大きな後悔をした。
 同時に、これからはそのように生きたくはないと思った。自分が逃げる弱さを持っていることに対し、向き合い自覚することにこれだけ時間をかけてきたから、これからもきっと、私はつらい状況に直面したときすぐに逃げの姿勢を構え、逃げそうになるかもしれない。しかし、そのたびに、この卒論を執筆するために考えてきた自分のことや、ゼミでの活動を思い出し、自分と向き合っていきたいと思う。私は2012年度長谷川ゼミ生の口頭試問をみて、自分も良い意味で、卒論を執筆した1年後、心身を費やし疲れていればいいなと思っていた。そして今、執筆し終えた自分を振り返ると、まだまだ疲労した自分を労うことができないし、そもそもまだ疲労していないと思う。それはやはり自分が逃げて生きてきたことを自覚したからである。だからこそ、これまでの逃げてきた自分を引き受け、自分ができることとして、つらいことから逃げずに向かっていきたいと思う。