【発表概要】
私は第2回発表終了から第3回発表の間にゼミ生と話し合いを重ねる中で、“親の離婚”を出発点にして卒論を書いていきたいと思うに至った。そしてそれまでの過程と、第2回発表から
自分がどのような姿勢でテーマについて考えようとしてきたのかを振り返った。また、“親の離婚”という観点から、「少女マンガの主人公の設定としてなぜ“親の離婚”が用いられるのか」について疑問を感じてきたことを述べ、これを明らかにしたい旨を発表した。
【振り返り】
私たち2013年度ゼミ生は、栃木県那須郡那須町にある「リゾートホテル ラフォーレ那須」
にて、8月4日(日)から8月6日(火)
にかけて2泊3日の夏合宿を行った。3日間のうち、1日目と2日目では夏合宿の目的である「第
3回ゼミ内発表」を行った。最終日の3日目は、発表後長谷川先生から課題をもらったゼミ生が、課題に対する発表を行う「リベンジタイム」*1が行われた。そしてこの第3回発表における目標は各自の卒論テーマ決定であり、各々が夏休みにやるべきことの展望をたてることだった。
そして私、<あっこ>は今回の第3回ゼミ内発表において、第2回発表からこの第3回発表までの間に自分の卒論に対して考えてきたことを時系列に沿ってまとめ、その振り返りを発表した。理由は、“親の離婚”を出発点にして書いていきたいと思うに至った「過程」を、ゼミ生と先生に発表し伝えたいと思ったからだった。
私は、2回あったゼミ内発表において異なる関心事を扱った。第1回発表は「これまで自分が服とファッション雑誌とどうつきあってきたか」、第2回発表は「母校『神奈川県立鎌倉高等学
校』にある母校愛への違和感について」であった。どの発表も「自分にとって切実なこと、だと思った」ものを関心事として扱い、それについて考えたことを発表した。しかし、第2回発表に
対する先生からの講評は、「その違和感は卒論でどうこうというものではなく、自分の中での問題では」というものだった。私は、発表した関心事は「自分にとって“切実”なことだと思った」
ものであったため、「自分にとって“切実”なこと」とはどういうことなのか、第2回発表以降次第にわからなくなっていった。
けれども、その中でたどり着いた“親の離婚”という出発点は今までの関心事とは違っていた。今までは「これなら自分にとって“切実”なことになりそう」という基準で関心事を見つけてい
たのに対し、今回の関心事は私が親の離婚を経験した後、なんとなく感じていた「少女マンガの主人公が幸せを掴みとる図式の中に、なぜ主人公の親が離婚している設定がされているのか」と
いう違和感を<シャンクス><もこ>に聞いてもらい、2人の質問によって引き出されたものだった。そのときの私は、自分が持っていた「“切実”かどうか」という勝手な基準で考えてきた今までよりも、「これを出発点にして書きたい」という気持ちがとにかく大きかった。そのため
第3回発表では、卒論で「離婚の話」を扱いたいということを発表しようと思ったのと同時に、「なぜこんなにも離婚の話で卒論を書きたいと思ったのか」という自分に対する疑問から、自分
がどのように卒論に対して考えてきたのかを振り返り、発表したいとも考えた。
“切実”というキーワードを手掛かりに、関心事を模索していた自分を振り返ってみると、私はずっと「誰でも“切実なこと”は持っている」と思っており、それを前提にして自分の関心事
を探る際に「この関心事は“切実”か、否か」という振り分けを行っていたのだった。つまり私は“切実”という言葉に対し、ものすごく漠然とした“切実そう”“切実らしい”といったイメ
ージを持っていた。私があてはめようとして持っていた“切実”という言葉は中身のない、からっぽなものであった。
また、「離婚の話を関心事として取り上げる」までに行き着いたのはゼミ生に話を聞いてもらったからであった。そのことから、「誰かに自分の話を聞いてもらうことの大切さ」を強く感じ
たことも踏まえた発表をしたいとも思った。そこで「誰にどんな話をして、どんなことを指摘されたか」と具体的に盛り込んだ原稿をつくり、第2回発表での先生の講評を聞いて思ったことや、
ゼミ生や先輩方に話を聞いてもらう中で考えたことを織り交ぜながら、第2回発表終了時までの振り返りを行った。
私は「自分だからこそ、このテーマを扱った理由を、説得力を持って言える卒論を書きたい」と思ってきた。それは歴代の先輩方が「自分だからこそ書けるものを書きたい」とブログや振り
返りの文章で述べているものを目にし、漠然と「自分だからこそのものを見つけること」に魅力を感じ、自分もそういう卒論を書きたいと思っていたからだ。そしてその「自分だからこそ」を
先輩たちは見つけてきたのかもしれないと、タイトルのみで失礼ではあるが、先輩方が書いた卒論のタイトルを見て、感じてもいた。
だから私は、この「離婚の話」を出発点にしたい、という思いでいる。「親の離婚」は実際に両親が離婚した時の当時の私にとって大きなことであり、現在に至るまでやはりどこかでずるず
ると気にし続けてきたことだった。しかし、「親の離婚」を経験した自分の中から何を見つけ、研究対象として扱っていくのかを分かっていない。自分が親の離婚を経験した中で自分がどう思
ってきたか、という話しかしておらず、先生の言葉でいう「自分の話から抜け出せていない」というのがこの状態なのだろうと感じている。
「“切実”かどうか」という曖昧な基準で考えずに、そこから出発して「書いていきたい」と思ったから、第3回発表で扱い、どれだけ自分が書きたいと思っているのかを伝えたいと思った。
だからこそ、今まで「切実なもの」を無理やり見つけようとしていたこと、気になってはきたけれども卒論を考える上での関心事として扱うことをためらっていたことも含め、“親の離婚”に
ついて考えてきたことは「全部」言いたいと思っていた。けれども自分が卒論を書くことで「何を明らかにしたいのか」が分かっていない私は、「親の離婚の話」をどこまで扱えばいいのか分
からなくなっている。それには、自分が「全部言えなかった」出来事も関わっている。
合宿3日目*2、那須塩原駅から宇都宮駅に向かおうとするとき、<サラダ>から「リベンジタイムの時、第3回発表で<あっこ>の両親が離婚するまでに<あっこ>が思ったことを盛り込ま
なかったと言っていたけど、どんな過程だったの?」と質問をうけた。これは私が那須塩原駅にて行った「リベンジタイム」にて、私が言っていた「自分の発表の中には両親が離婚するまでの
過程についてのことは盛り込んでいなかった」という旨を聞いて、<サラダ>が聞いてきてくれた質問だと思う。しかしその時私は「壮絶だった」と言い、それ以上は言わなかった。電車の中
で聞いてくれたことに対してちゃんと答えず申し訳ないと思いつつも、それ以上言わなかったことに対し、私は複雑な思いでいたのだった。
私は「少女マンガの主人公の設定としてなぜ“親の離婚”が用いられるのか」について疑問を感じてきた。そのため発表準備の段階では、卒論を書く上で自分が明らかにしたいこととして「少
女マンガにおいてなぜ主人公の設定として“親の離婚”が描かれるのか」という問い立てをしようと考えていた。そしてこれについて考える上では、両親が離婚する過程を考える必要は無いと
思っていたのだった。両親が離婚する過程は母と父の問題であって、私の問題ではないと考えていたからだ。だから、そこに踏み込んでも「自分だけの話」に埋没してしまうだけではないか、
とも思っていた。しかしその中で卒論に結び付ける疑問を探すために、とりあえず「過程」も含め振り返りをさらに進めようとしていった時、もし「両親の離婚の過程」を振り返る必要がある
のではという考えに至ったら、その話を誰かに聞いてもらう必要があるかもしれない。でも、自分が話せるかと言ったら、<サラダ>に聞かれたときに言えなかったように、話せないだろうし、
できれば話したくない、と思ってしまう。母と父が、知らないところで「過程」の話を話し、それを聞いた相手に両親がどう思われるか、私は責任を持つことができない、と判断するからだ。
しかし、そう思っている私に、もはや初めから自分の問題ではない「親の離婚」を扱う資格があるのだろうかと、宇都宮駅で<サラダ>に質問されてから思うようになった。経験に踏み込め
ば、いつかは触れなければいけないことになる可能性もありうるだろう。今その疑問を持ちながらも、「少女マンガ」で感じた違和感を手掛かりに、論文で扱うための具体的なモノを探そうとしている。