Calender: December,January



◆概要
 12月は各自が卒論の執筆に集中し、1月初頭の提出に向けてラストスパートを迎えた。
 提出後は口頭試問がおこなわれ、自身の卒論の取り組みを振り返り、論文の概要や明らかになったこと、反省点などを発表した。




◆ショートカット
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▼ゼミ長:<しおりん>

 12月からは、主に論文の軸となる分析の章を中心に執筆した。物語の内容に引っ張られながらも、「王子様」的キャラクターの登場シーンに注目し、共通する特徴を画面から探していくことで「王子様」が私たちにどのような見方を与えているかを模索していった。また『STAR DRIVER 輝きのタクト』(※1)など、ディズニー映画や「セーラームーン」以外で「王子様」的キャラクターが描かれる作品を視聴し、それらとの共通点や相違点を探すため、ひたすら画面を見ては執筆するという作業が続いた。
 しかし、途中で何度も「自分はいま全体のどの部分を執筆しているのか」ということが頭から離れてしまい、文章もまとまりに欠けてしまっていた。そのため、これまでに書いた文章を適宜印刷して見直し、章の順番を入れ替えるなどして、各章で何を明らかにするかはっきりさせることを考えながら、目次案を修正し全体の構成を整えた。 【目次案最終版】
 最後に執筆した考察の章では、少女マンガの歴史や精神分析に関連する文献を読みながら、なぜ「王子様」を求めてしまうのかということを考えた。
 執筆をしていると「あれも書きたい」「これも書きたい」と欲張ってしまい、思っていたよりも文字や図版の数が多くなり、そのぶん推敲や見直しをするのに時間がかかってしまった。また分析の内容にもまとまりがなく、体裁を整えるのに苦労することもあったので、推敲の期間に入ってからはすでに書いてある範囲のものをきちんと書くことに重心を置くように心がけた。提出後も「あれも書けたのではないか」「これも書けたのではないか」と諦め悪く考えを巡らせてしまうことがあった。
 執筆後は口頭試問に向けて、卒論の概要をわかりやすく伝えることを念頭に置いて、原稿の文章を考えた。何度も見返すことのできる文章と違い、一回きりの口頭での発表の場なので繰り返し同じ単語を使うなどの工夫をし、それをゼミ生に聞いてもらいながら修正点や不足点を指摘してもらい、準備にあたった。  口頭試問では高い評価を頂けたが、もう少しロラン・バルトについての文献を読むなどして構造分析そのものについての考えを深められたのではないかという指摘を受け、やはり好きなものに傾倒してしまう癖があることがわかった。
 書き終えてみて最も大きかったことは、私自身が「王子様」の「肯定」や「救済」のパターンに強く惹かれており、そのようなシーンに影響されて自分も受け身な姿勢をとっていたということだ。「欠陥」をもつキャラクターに感情移入することで、「王子様」的キャラクターを通して自分が肯定されるという感覚を得、それを求めることで「王子様」や「欠陥」という見方を再生産する、私もそのサイクルの一部になっていたのである。「王子様」的存在に惹かれてしまうということは、自分がそれを望んで受け身の姿勢になっているということでもあり、「王子様」的キャラクターをみることが、自分の姿を見ているようでつらいと感じることもあった。今回この論文を書くことを通して、これまでただ漠然と「好きだ」と言っていた「王子様」的キャラクターやその登場パターン、あるいはそれが描かれるアニメやマンガについて、これまでとは違った見方ができるようになったのではないかと思う。
 また今回は「王子様」というテーマに絞って執筆をしたが、第一回のテーマ発表で挙げた他のテーマについても共通するものがあるように感じられたので、今回の取り組みのように他のテーマについても今後考えていきたいと思った。

※1 2010年10月3日より、毎週日曜17時30分からMBS・TBS系で放送されたテレビアニメ。監督は五十嵐卓哉、脚本は榎戸洋司、制作はBONES。

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▼副ゼミ長:<ジェット>

 12月に入るといよいよ提出も目前に迫るという焦りから不安も募ったが、その不安を晴らすためにも最終的には自分で自分を奮起させ、執筆するという具体的な行動を積み重ねるしかなかった。何より、後期中間発表で得た教訓を無駄にするわけにはいかないという気持ちがあった。
 このころには『おれは男だ!』の視聴から一歩進んで、作品の受け入れられ方と、作中で登場したウーマンリブや純潔教育(※1)について調べるために国会図書館や大宅壮一文庫を回って資料を集め、執筆を行っていた。作品の当時の受け入れられ方を調べるために、『おれは男だ!』の放送期間中に発行された『週刊TVガイド』という雑誌をすべて調べていたときは時期的な焦りもあったが、こうした行動の積み重ねによって卒論を「自分が書いた」と自信を持って言えるものにできたと感じる。
 12月終わりの年内最後のゼミでは、その後の提出までのスケジュールと、その間にやるべき考察や論文の推敲、脚注や要約の作成についての話を先生から伺った。そこから提出まではとにかく必死で、頭の中は卒論に関連すること一色で年末年始を過ごした。提出も間近でやるべきことの多さによる忙しさと、何よりこのまま提出していいのか、まだまだ書き足りないことがあるという気持ちから苦しさもあった。しかしこれまで自分が執筆を通して積み上げてきたものを概要でまとめたように考察として論文の中に形にし、また推敲や最後の見直しによって論文を丁寧に磨きあげる作業には、自分と自分のテーマであり、大きな影響を与えてきた「青春」というものと執筆を通して向きあう最後の時間でもあり、苦しいけれど苦しいだけの時期ではなく、「青春」と自分と関わり方をとにかく見つめ直す期間でもあった。
 新年を迎えてなんとか論文を書ききり、ゼミ生全員で無事提出できた時は本当に嬉しかったが、とはいえ月末には論文の口頭試問が控えており、口頭試問の直前には、試問の後のコンパの下見や発表原稿の読み合わせを行っていた。
 口頭試問には来年度のゼミ生となる後輩と、卒業された先輩方など多くの人が見学に来てくださり、プレッシャーもあったけれど、その中で発表し、自分も含めて全員が合格できて本当によかった。
 口頭試問後の先生からの講評では性に関連する点の文献の少なさなど、論文の至らない点についての指摘もあったけれど、何よりも自分自身でテーマを決められず、与えられたテーマで卒論を書くことになったことと、それらを踏まえるともっと良い論文を書けたはずであり、今回の論文を自分の力だけで書けたとは思わないように、という指摘が心に残っている。今回論文を書ききることはできたものの、途中で足踏みをしてしまったことは如実に論文の出来に表れており、また自分だけで論文を書いたとは到底言うことはできない。こういった指摘をもらったことは本当に悔しいし、だからこそこの指摘を今後活かして、考えることに行動を伴わせていきたい。

 口頭試問を終え、論文の執筆には区切りがついたが、だからといって私は「青春」を完全に明らかにできたわけでは全くなく、むしろ分かった分だけ分からないことが増えた。「青春」と「若者」がなぜ結びつくのか、そもそも「若者」という存在自体が「青春」と同じイメージだけの存在ではないかなど、執筆を通して浮かび上がった疑問はたくさんあり、これからも「青春」に対して意識を向けていくだろう。また大学を卒業してからも、物事について考え、自分なりの答えを出していくことは必ずある。
 そういったときに何が必要なのか。それはまず、自分自身が行動を起こすことだと今は思う。行動の結果が実になるとは限らないし、論文の執筆においても、書いたことを後になって書きかえることは頻繁にあった。しかしそれは消したからと言って無駄になったわけではなく、そこで違いに気付いたからこそ、新しく書きなおしたものに対する自信につながった。
 このゼミで行ってきた取り組みも同様のことの繰り返しで、行動しては修正し、また行動するという試行錯誤の連続だった。それが物事を進めるうえで大切なことであると気付けたことが、ゼミでの取り組みと卒論の執筆を通して、私が得たものだ。だからこそ、悩むことは大事だけれど、そこで立ち止まったりしてしまわないようにして、これからも物事に当たっていきたいと思う。【目次案最終版】

※1 性に関連する事柄についての教育。純潔であることを尊重し、若者の自由な性行動や婚前交渉は避けることが望ましいとするものもある。

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▼web長:<ワコー>

 いよいよ卒論執筆も佳境を迎えていた。12月は目次案の改訂を繰り返しつつ、執筆を継続して行なった。最終的な目次案が決まったのは12月も半ばに差し掛かろうかというところであった。それまで、どのように論を組み立てれば自分が論じたい内容が伝わるのかということがなかなか見えず、ああでもないこうでもないと試行錯誤を繰り返していた。そこで、考えた目次案全体が見えるように、机の上に印刷したものを貼り付けながら執筆をするということを実践した。そうすることで、自分が最も論じたい部分はどの章のどの部分にあたるのか、そしてその前置きとなるのはどの章にあたるのかということをはっきりと把握させることができた。それまで目次というものを章ごとで分断して考えがちだった私も、こうした実践によって論文全体の流れを再確認し続け、自分の中に落とし込むことができた。
 目次案も定まり、麻雀の歴史、賭博麻雀、健康麻雀についても大方執筆が完了し、最終的な考察へと移った。ここでも、中間発表時に指摘された賭博と反賭博の関係性を忘れずに、あくまで中立的な目線で考察にあたるよう心がけた。しかし、途中途中で再び健康麻雀の方へ意識が流れて行ってしまったり、意識しすぎて賭博を肯定してしまうようなものになったり、事実とかけ離れた、自分の勝手な意見を盛り込んだりと、一筋縄にはいかなかった。そんな時は、書いた文章を声に出して読んでみたり、目次案を見直したり、ゼミ生に考察を見てもらったりと、迷わないように試行錯誤を繰り返した。
 そしてようやく、私の論文は完成した。クリスマスにゼミ内で各自の完成版を共有し、それから推敲を行い、表紙や要約などの付き物を作成し、ついに1月5日午後13時に提出を完了した。 【目次案最終版】 そこから19日後の口頭試問までは、自分の卒論を読み返し、今までの取り組みを振り返りながら、当日用の原稿を作成した。取り組みを通して何が明らかになったのか、反省点として残ったものはなんだったのかということを一つ一つ確認し、ゼミ生全員で原稿の読み合わせも行なった。
 そして1月24日の口頭試問当日にて、先輩や新ゼミ生など多くのギャラリーに見守られながら自分の卒論について発表を行った。講評では、調査の姿勢がひたむきであり、その内容も深く広いものであったという点で良い評価をいただいた。一方で、論文を構成する一つ一つの章のパーツに繋がりが薄く、なぜこの章があるのか不明瞭だった点がいくつかあったこと、全体の構図をもう少し上手く描き、執筆できると良かったということが反省点として挙がった。審査の結果、私を含めゼミ生全員が無事合格をいただくことができた。

 こうして執筆を終えて振り返ってみると、麻雀について論じたい、という非常に漠然とした状態から始まった私の卒論がこうして完成を迎えるまでには、ゼミでの取り組み一つ一つが大きく関わっていたのだということがよく分かる。
 発表はもちろん、HP作成にしても、テクスト講読にしても、集中講義の記録活動にしても、その一つ一つが、何かについて「考える」ということへのヒントを与えてくれた。ゼミ生と意見をぶつけ合うことにしろ、行き詰まったときに自身の経験を思い返してみることにしろ、これまで繰り返して行ってきた取り組みは全て、ゼミでの活動があったからこそ経験できたことであった。自分には何かを考えるときに、一つのことを考え始めると他のことについて考えられなくなるという癖がある。卒論執筆の過程でも、その癖がよく出てしまっていた。  麻雀という、自分と深い関わりがあるテーマを取り扱うだけあって、どうしても恣意的な見方をしてしまったり、批判的な見方が出来なかったりということが多々あった。そんな時にこそ、ゼミ生と話をしたり、自分を見つめ直してみたりすることが、先に進む糸口となった。紆余曲折しながらも、最終的に一つの結論を導き出すことができた。
 今後は、口頭試問で明らかになった反省点も踏まえて、自分がこの論文の中で行なった反賭博麻雀の位置づけについての考察に対し、あくまで一読者としての立場から疑問点や問題点を新たに見出し、またそれについての自分の考えを打ち出すことが必要である。もちろん一度だけでなく、その行為を何度も繰り返していくことで、自分の反賭博麻雀に対する考えを深めてゆき、同時に視野を広げていくことが重要であると考えている。
 卒論に関する取り組みはこれで終わるが、何かを考えるという行為はこれから死ぬまでずっと続いていくものである。そんな時に必ず役に立つ考え方を、この一年間では身につけることができた。まさに当初のまま、がむしゃらに走り続けてきたが、私にとって本当に得るものの多い、何にも代えられない一年間となった。ここで得たことを、今後の生活の中でも存分に活かしていきたいと考えている。

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▼副web長:<けーたん>

 資料も集まり、タイトルも『カーネル・サンダース人形はどのように立っているのか KFC東京都23区内悉皆調査』と決定し、店舗で収集してきたカーネル・サンダース人形の資料を元に、執筆に集中した。店舗巡りをしている際に偶然出会った日本・ケンタッキー・フライドチキン株式会社の広報の方にカーネル・サンダース人形についてどのように扱っているのか、どのように思っているのかといったお話しを伺い、会社の社史も頂いた。このことは、執筆をする上で昔の店舗の写真など大きな手助けともなった。
 実際にまわってきた店舗で見てきたこと、気付いたことを書くのにも時間がかかったが、周辺地図や店舗の地図を手で書き、それとカーネル・サンダース人形の写真を店舗ごとのカタログにしてまとめるのは一苦労だった。しかし、うだうだしている暇はない。目の前のものに集中して、取り組み、着実に終わらせていかなければ提出には間に合わない。締切までの残り時間を常に考えながら、最後まで取り組んだ。
 年が明けて印刷も終わり、168ページの厚みのある卒論が完成した【目次案最終版】。こんなにも大量のページ数 になったことは、当初卒論で何を書くかふわふわしていた時には想像もつかなかった。無事卒論を提出することが出来たときは、提出したという安堵と、もう提出してしまったのか、まだまだ書き足りない気持ちがあるがこれでよかったのかという不安があった。実際に店をまわったときは全力だった。全力でまわったことは、本文を書いていても感じたが、自分を信じて卒論を書き進めるうえで大きな力となったと思う。
 その後口頭試問を迎え、1年前初めて次期ゼミ生として傍聴していた際の光景を思い出した。先輩は限られた時間のなか、はっきりと自身の言葉で自身の卒論の概要についてよくまとまっており、何も知らない私にも卒業論文の概要が伝わる発表だった。私もこんな風になれるのだろうか、こういう論文を書き上げることが出来るのだろうかと、1年後の自身の姿を想像しながらこの発表を聞いていたが、ついに自分の番が来た。
 口頭試問前日には、読み合わせ原稿の書き直しをしたが、いままでの過程を知らない人に対しても伝わるような文章を書くのは、文の比重をどこに置いて話すか、説明していても言葉足らずになり難しかった。何度も読み直し、他のゼミ生にチェックを入れてもらい、また読んでは直しを繰り返した。この事前準備があったからこそ口頭試問はパニックになるほど緊張しないで済んだが、この緊張感は忘れられない。
 口頭試問では、物事に引っ張られてしまう「ベタ」であるということを再認識する結果になった。しかし、この卒論を書いている中で物事を素直に見ることで、いろいろな発見をすることが出来たし、ここを伸ばしていくと良いというアドバイスを頂いた。
 口頭試問が終わり、卒論提出後に感じていた不安は少し消えた。しかし、まだまだいろいろなことを見ていく必要があり、それについて深く考えることで、また違った見方をすることが出来るかもしれない。卒論を完成させたからといって、卒業論文に関する内容はもちろん、まだまだ足りないし、もっと日常に対して近すぎて見れないものに対して、卒業するともう近くにはゼミ生や先生はいない中でも自分自身で距離をとり、いろいろなことを素直に考えていきたいという気持ちに変わった 。
 卒論完成させるまでには多くの人の協力があった。この1年で1番長い時間、一緒に過ごして話し合ったゼミ生、ヒントをつかめるような環境、アドバイスをくれた先生、先輩、他にも多くの人に叱咤激励してもらった。私一人の力では、自分自身が引っ張られている考えや、見落としていることなどに気付くことが出来なかった。  卒論を完成させることで、継続し、一歩一歩積み上げていくこと、流し受けずに常に考えること、1つのことを深く考えることなどのたくさんのことを学ぶことが出来た。多くの人に感謝したい。
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▼web要員・合宿担当1:<島>

 本来ならば資料は手元に集めきり、ひたすら卒論を執筆するだけの期間に突入しているのにも関わらず、この頃やっと私は卒論のアプローチ方法であるコメント分析をするという決断をした。
 本文、という形として存在しているのは書きかけの序論くらいで、文字としてあるのは8月から9月にかけて書いた6本のレポート、先月書いた1万字の「要素」のレポートのみであった。コメント分析をするためにはどうしたら説得力を持たせられるのかということを考えながら目次を立て、ひたすらそこに手元にある文章を当てはめていき、文章として成り立たせられるようにと書き直した。コメント分析に用いる動画の選択について、先生から「自分がおもしろいと思えるものを」という助言をいただいていた。そこで、投稿当時である2009年から気に入っていた『恋距離遠愛』というVOCALOIDを使用したオリジナル曲の動画、同じ曲ではあるが違うVOCALOIDを使用した動画、また2011年11月になって人間の歌声で作成、投稿された動画という、ベースは同じ曲であるが少しずつ違った動画を選択した。ちなみにこの『恋距離遠愛』は、5月の中間発表時に例として挙げた『二息歩行』と同じ作者である。提出した後にその事実に気付き、偶然のようであるけどももしかしたら私の中にこだわる何かがあったのかな、と少し笑ってしまった。
 コメントは3作の動画で合計4万弱あった。最初のコメントから見ていくにしてもただ見るだけではもちろん意味などないので、それらをいつでも確認できるように、画像編集ソフトウェアを使用して画像化し、それを基に書き込まれたコメントがどのような目線から書かれているのか、どのような意図をもって書かれているかなどを見ていった。
 執筆している最中はよく欲が出たことを覚えている。「これを説明するにはこのことも入れなくては」「この部分はもっと膨らませることができるだろう」と考えはするが、現実的に考えて時間が足りない。もう少し早く気付いていれば、と後悔も激しくしたが、今自分がすべきことというのは後悔をすることではなく目の前の目次に沿って卒論を完成させることであり、後悔するくらい足りないと思えた部分に気付けて良かったではないか、と自分を励ました。その励ましも追いつかなくなったとき、投げ出してしまう自分の姿を思い浮かべたことも、実はあった。しかしそんなときに思い出したのは、1年前のゼミ選考の面接で、今までのグループワークの中では常に人に助けてもらい考えるいろいろなきっかけをもらったのに、自分が人に返せているとは思えない、という話をした際に先生からかけられた、「卒論を書いて恩返しをしようか」という言葉だった。この現状は人に助けられてばかりで、ゼミ選考のときにお話したときから変わってはおらず、先生、ゼミの先輩、親、友人、果てはゼミに関係のないサークルの後輩にまで心配をかけさせてしまった。私がゼミにいてなにが一番したかったのか、ということを考えたときに、ここで投げ出してしまっては私はもうなにも達成することはできないと感じた。書き上げたときは思いきり泣いた。
 論文の提出を終え、その後の口頭試問時に論文の概要を発表したが、原稿をまとめる際に見返すとやはり内容は非常に不足していて、自分の意見に寄ってしまっている部分が次々と出てきて危うく反省ばかりするところであった。しかし私がしなくてはならないのは反省だけではなく、反省すべき点に気付けたことを自覚し、ではどのようにその反省点を生かしていくのか、ということを考えることだ。果たして恩返しができたのか、というのはなかなかに疑問なところだ。しかしこの一年で経験し積み上げたものというのは、これからなにかしら考えることであったり決断しなくてはならないなかで、物事や自分の状況を確認したりすることに非常に役立つだろう。私の場合特にアウトプットの大事さ、伝えようとしたり考えたりするときには必ず相手という「人間」がいることを意識していかなければいけないと考えている。これからニコニコ動画やボーカロイドだけでなく、問題視することを避けてきた事柄が、もしかしたら避けることができたときから形を変えて私の前に現れるかもしれない。そんなとき、逃げるのではなく、その立ち向かわなくてはならないできごとに向き合うことでこの経験を活かしていきたい。 【目次案最終版】
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▼web要員・合宿担当2:松

 『Non-no』を読む中で、時代ごとにそれぞれ紹介するファッションの説明内容や文字の量に違いがあること、また時代ごとの特徴があること、現在に近づくにつれプロモーション活動やキャッチコピーが多様化することに気付き、面白いと思ったため、これらを中心に分析することにした。こうして『Non-no』自体について多角的に迫ることが出来、卒論の文章量はどんどん増えていった。またこれらの特徴を「キャッチコピーの言説空間」「読者の類型化」「コミュニケーション活動」の3つに分け分析した。
 こうして『Non-no』の資料は大量に増えていったのだが、何を参考文献にすればいいのかが分からなくなってしまい、思うように論文が書けない日もあった。例えば『Non-no』において心理テストの内容が多いということに興味をもったのはいいのだが、そのまま心理学の本を読んだのでは、私が明らかにしたい「みんな」はどのように意識されるのかというテーマにたどりつかない。要はなぜ心理テストというものに「みんな」が興味をもつのか、またもたせるような仕掛けが出来たのかということを調べなければいけないのである。
 こうして心理学や、コミュニケーション活動についての経済的な専門の知識は増えていくのだが、それが肝心の「みんな意識」がどのように作られるのかについて迫る内容なのかというとあまり繋がっていないことに直前になって気付いた。よって『Non-no』のどのページを使えば主題に迫れるのか分からなくなってしまったり、余計なページを大量に載せてしまったら、それこそ『Non-no』というメディアに流される読者という立場と一緒になってしまうのではないかと思い、安易にページを増やすことを躊躇してしまったりした。それでもあきらめず、ゼミの中で今読んでいる参考文献について語り、それが私の卒論の主題とずれていないか、ゼミ生や先生に確認をいただきながらなんとか書きすすめた。このように右往左往しながらも考察として、「みんな」を意識すること繰り返し、作られ続けていること、また「みんなを意識するということ自体が意識されているということ」を書き、論文の執筆を終えた。【目次案最終版】
 こうして振り返ってみると改めて分かるが、私は自分が一度こうだと思ったらそのまま突っ走ってしまい、曖昧なまま突っ走った結果をゴールだと思いこんでしまうことが多々あった。それは今回の卒論に関してもそうだが、それは普段の取り組みに対してもいえる。周りの情報に一度でも納得してしまったらそれについてよく考えず、行動してしまうのである。こうした行動が「流されやすいわたし」「みんなを意識して行動してしまうわたし」というのをそのまま表しているのではないかと思った。
 口頭試問後の講評では、私のこういった「物事の見方」についてあらためてご指摘をいただいた。「問題意識が曖昧なまま突っ走ってしまうこと」を社会に出る前にもう一度反省しよく考えていきたい。私が4月に立てた「常になぜそうなるのか、どうしてそうだといえるのかあらゆることに疑問符をつけて考える」こと、そしてこの一年の取り組みを通して気付き、浮かびあがった課題についてよく考えることの大切さを今度こそ守っていきたいと思った。
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▼GM:きーにゃん

 いよいよ執筆も残り1ヶ月となった12月初頭、歴史的に整理して見つめ直すといった取り組みや、クラブカルチャーそのものの要素をまとめるといった作業の着地点が、『アディクトの優劣感』(※1)というパーティーの描写がある日本の小説を取り上げて考察するという方向にようやく定まった。この決定も遅すぎたうえ、1日でも執筆をさぼると自分の課した目次を書ききれない恐れがあり、全く余裕がなかった。それでも自分が扱おうと決めた範囲は広く、執筆に時間がかかり、小説分析にとりかかったのが12月の半ばであった。とにかく書きすすめなければという一心で1週間のほとんどをパソコンの前で過ごし、食事や休憩を忘れてしまうほどに没頭し、痛む身体に湿布を貼って取り組んだ。ここまで打ち込んだのには残り時間が少ないというだけでなく、自分の2年間の集大成が目前に迫っているというプレッシャーと、なによりクラブカルチャーに対する思い入れや熱意が原動力となっていた。また、文献調査や執筆の過程で、自分がクラブカルチャーのどのような点に最も関心を寄せていて、考えていきたいと思っているのかといったことが徐々に以前より明確になってきたことも、最後まで前向きに執筆に取り組めた要因であった。クラブカルチャーに対するわたしの関心とは、副題の「??音楽・ダンス・テクノロジー」に反映されているように、クラブカルチャーを成り立たせている要素であるクラブミュージックやそれらを取り巻くテクノロジーが、どのようにパーティーピープルと関係しているのかという点にあるのではないかと分かるようになったのだ。
 年内最後のゼミの後、先生に話しを聞いてもらいアドバイスを受けたことから小説分析の取り上げ方を再考し、ほとんどを書き直した。この時点で20万字近い量を執筆していたので、展開できる考察や分かったことも膨大な量になり、クリスマスまでに考察を書き上げるために寝る時間もなくなるほどであった。クリスマスが終わったら脚注や図版などの付き物の追加と、全体の推敲という仕上げの段階に入ったが、ここからが本当に大変なラストスパートであった。わたしの卒論は歴史的な整理やクラブカルチャーそのものを構成する基本的な要素をまとめるという作業が中心となって構成されていたレビュー論文的な形態であっため、多くの引用文献注を要した。しかし、執筆に夢中でその都度引用文献注をつけるといった作業を放置していたため、1文1文に引用文献注をつけていく作業は果てしなく、結果的に引用文献注と補注合わせて1200箇所以上を3日間ほとんど寝ずに作業した。また、推敲も全部で22万字近い本文を読み見返すだけで半日ほどかかり不十分な点が残ったうえ、推敲して読み返すうちに変更や加筆したくなる箇所が浮上し、印刷直前まで脱稿に踏み切れなかった。気付けばクリスマスイブから1月4日までほとんど外出しないでひたすら執筆する日々であったが、印刷所にて2部400枚以上の全文を手にしたときはその量に自分でも驚いた。1月5日に提出を済ませたときは、わたしの2年間の取り組みがついにここまで来たということがとにかく嬉しかった。
 提出後も口頭試問のために卒論を読み返し、不足点や振り返りを行なった。ときにはあれもこれもこうすればよかったのに、とか、あれはこうだったのだろうか、など日に日に考えが交錯しながら我慢出来ず修正を加えてしまったこともあった。自分は卒論でどこまで取り組めたのか、自分の卒論の取り組みは何だったのかを考え原稿を作成し、本番に挑んだ口頭試問では、講評が胸に刺さった。全体として高い評価をつけてもらったが、自分でも自覚していたようにやはりいくつかの課題や不足点が指摘された。その中で、「クラブカルチャーに特有のスラングや言い回しなどの表現と思われる箇所についての説明が少々希薄である」という指摘があった。わたしは自分が小さな世界の範囲でしか物事を考えていない視野の狭い点があり、それを自覚し、そこから一歩でも脱するためにこの卒論に取り組んだが、やはりクラブカルチャーの内部感覚でしか見られていない点が多く残っていたということである。その点についてはすでに自覚しているということもあり、一層意識的に取り組むことで改善していく所存だ。今後は、卒論で得た自分の関心を軸にこれからもクラブカルチャーに関わり、この経験をダンスフロアに反映して実際のクラブシーンからクラブカルチャーを考えていけるようになればと思う。具体的には、何らかの形でクラブカルチャーについて考えたことを文章としてアウトプットする機会のある環境に身を置き、卒論の取り組みを継続させていきたいと思っている。
 わたしは兼ねてからクラブが多い東京の大学に進学を希望しており、明治学院大学に入学するきっかけとなった面接でも「クラブカルチャーが好きだ」ということを主張していた。クラブ好きで進学を実現した一方で、クラブに行き過ぎて留年もした。しかし、クラブカルチャーに対する情熱があったからこそ卒論という目標を見出し、ゼミでの活動に取り組み、ここまでやってこれた。ゼミでは1年目、2年目と自分とは違う興味や考え方を持った多くの人たちと日々話し合い、意見し、指摘し合い、疑問をぶつけ合ってきた。わたしの卒論とは、今年度のゼミ生とのやり取りだけでなく、昨年度のゼミ生とのやり取り、これまでの経験、クラブカルチャーへの思い入れ、全てが詰まったものであると言える。このような貴重な機会を過ごした2年間は本当にダイナミックで充実していた。この経験を基盤に今後も本気で考え、全力で取り組む姿勢で物事に向き合っていきたい。【目次案最終版】

※1 池間了至『アディクトの優劣感』文芸社 2005年

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