Calender: August,September



◆概要
 8月の初頭に夏期集中講義の本番を迎え、その後は夏合宿でのテーマ決定に向けて準備を進めた。夏合宿では3日間各自のテーマについて話し合いをおこなった。
 夏合宿を終えてからは、9月下旬の秋学期の始業まで各自の課題に取り組みつつ夏休みを過ごした。




◆ショートカット
<しおりん> / <ジェット> / <ワコー> / <けーたん> / <島> / <松> / <きーにゃん>





▼ゼミ長:<しおりん>

 8月初頭に行われた集中講義では先生の助手を務めた。一年前に受講していたときは課題に取り組むことで精一杯だったが、運営する立場になり他の運営者や受講者など講義全体を見渡さなければならなくなったとき、先生と運営者の中継係となる自分はどう動けばいいかを常に考えた。このことは集中講義に限らず、普段のゼミの場でもいえることであり、まずは自分が積極的な態度を示すことが重要なのだと気がついた。この集中講義を通して、ゼミ長として自分がするべきことは何なのかが明瞭になったと思う。
 集中講義を終えてからは合宿に向けての準備に取り掛かった。以前考えついた「越境」という言葉を手掛かりにテーマを『セーラームーンにみられる越境について』とし、目次案を作成した。合宿ではこれまでに視聴した「セーラームーン」の中から、男性が女性に変身するシーンや動物が人間に変身するシーンなど、自分が気になっているシーンをいくつか選んでゼミ生たちに視聴してもらいながら自分の中にある「越境」について発表した。しかし、見せた映像のなかではタイトルに挙げていたような越境性は弱く、自分のなかで「越境」を作ってしまっていると指摘を受けた。発表後ゼミ生や先生に話を聞いてもらうなか、私は「越境」という言葉の意味を深く考えず、自分でも曖昧なまま使用していたことがわかった。また自分の中でしっくりきたその言葉に引っ張られ、「セーラームーン」という作品を好きだという気持ちだけで考えてしまっていた。再度考えた結果、手探りの状態ではあったが、自分はなぜ「越境」と思ってしまったのかということから、「セーラームーン」という作品が私自身を含めた視聴者にどのような見方を与えているかということに辿りついた。最終日はそのことを発表し、構造分析という方向性をつかむことができた。
 合宿後は夏休みの残りの期間を利用して、それまでに視聴していなかった「セーラームーン」の残りのシリーズ、「スターズ」と「R(アール)」を含めた全200話を視聴し、各シリーズのあらすじを作成し、目次案の改訂をおこなった。 【目次案1】
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▼副ゼミ長:<ジェット>

 8月の頭に3年生の夏期集中講義のお手伝いをゼミ生全員で行った。集中講義では講義の進行の補助をし、時には3年生の話を聞くといった現場でのお手伝いを担当した。昨年自身が受講した時と与えられたテーマは違ったが、テーマに対してどうすれば自分たちなりの考えを出すことができるのか、そのためには何よりも自分たちが実際に体験してきた、具体的な経験が必要であることが3年生を間近で見ていくことで分かった。
 集中講義を終えてからは夏合宿に向けて卒論のテーマと、合宿への準備に取り掛かったが、ここで集中講義お手伝いを通して気付いた具体的な経験をもとにテーマを考えていこうとする姿勢が大きなヒントになった。そこで自身のステレオタイプ的なイメージの源はなんだろうと考えた時、これまで読んできた小説やアニメ、漫画などが思い当たり、また自分自身が「青春」というものに強く惹かれていることが分かった。夏合宿ではそれらのことを踏まえて「青春」について、今まで読んでいた小説の中の、私が思い入れのある作品を題材として卒論を書きたいということを発表した【目次案1】
 発表では中間発表の頃と比べて題材や解き明かしたいものが、それぞれ小説と「青春」として具体的になったものの、対象とする題材の幅が自分の気になっている小説では相応しくないことが分かり、最終日までの話し合いの結果、論文ではTVドラマ、漫画、映画などの媒体で「青春」を取り上げたものに当たり、それらを題材として「青春」というものを考察すること、そして夏休み中の課題として、「青春」に関連する作品のリストづくりを行うことが決まった。
 合宿から帰ってすぐ私は夏休みを利用して、9月の半ばごろまで以前読んだ漫画の内容に触発されてバイクで日本一周の旅行を行ったが、そこでの体験はそれまでにマンガや小説で読んできた物語とは別次元のものだった。
 起こる出来事だけを文字にすれば旅先で地元の方にご飯をごちそうになったとか、山の中で野宿をしたとかいうように、物語でも出てきそうな出来事に思えるけれど、自分の中ではその体験もすべて自分だけのもので、触発された漫画や、それをもとに作られていた自分の中の「青春」像とは明確に異なるものだった。
 このことは旅行から帰ってきた直後は強く自分の中に根付いていたものの、夏合宿でテーマが決定したことや、旅行から帰ってきたことによる安堵感が重なって、その後私は思考停止状態に陥ってしまい、結果的に旅行を通して得たことを論文で活かしきれなくなったことは悔やまれる。
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▼web長:<ワコー>

 8月の最初には、3年生の夏期集中講義が行われた。6月から積み重ねてきた準備の成果を発揮する場となった。いざ本番となると、必死に話し合う3年生にカメラを向けるのを躊躇してしまったり、動きながらの撮影で映像がぶれてしまったりと、様々な壁にぶつかった。しかし、準備段階で数え切れないほどイメージトレーニングをしたおかげで、要所要所でなんとか対処しながら、3年生の活動をしっかりと記録に残すことができた。
 一年前、自分たちも3年生と同じように集中講義に参加していた。その時には、考えが行き詰まったら、とにかく自分の経験や身近な人が経験したことなど、具体的なことがらを出し合いながら考えを深めようとしていた。それによって話し合いも盛り上がり、ほかならぬ自分たちだけの考えが生まれた。今年度の3年生も同じだった。抽象的な話ばかりで考えが進まず頭を抱えていた班が、具体例を出し合うことを始めてから雰囲気が変わり、一気に話し合いが活発になり、最終的に自分たちだけの考えを打ち出していった。一年前でははっきりと気付けなかったことが、記録する側に回ることによりはっきりと分かった。そして結果的に、そのことが自分の卒論に対する取り組みにも影響をもたらした。
 その時は、麻雀について考えるにあたってあまり具体的な経験を持ち出して考えようとはせず、まさに頭を悩ませている目の前の3年生と同じ状況であった。だからこそ、自分と麻雀が付き合ってきた今までを、具体的な経験とともに思い返してみた。そして麻雀に関する知識も不足していると感じ、麻雀博物館へと展示調査にも赴いた。頭の中だけでなく、自分の身体で経験したことから麻雀を考え直そうとした結果、何となくではあるが自分の論じたいことが見えてきた気がした。とはいってもまだ鮮明にはならず、そのまま8月半ばの夏合宿を迎えた。
 夏合宿では、レジュメとその段階での目次案を用意して、麻雀の歴史とその魅力について論じるという方向で発表に臨んだ。5月と比べてだいぶ考えも整理され、知識もついたが、まだまだ茫漠としているというコメントをいただいた。まだ狭い視野で、麻雀の綺麗な面だけを自分の見たいように恣意的に見ているに過ぎなかった。合宿中の3日間は、ゼミ生に自分と麻雀がどう関わってきたのかを、良かったことも悪かったことも全て吐き出すように話し尽くした。そこで見えたことが、自分が金銭を賭ける麻雀に対して違和感を持っているという、一つの鍵であった。自分にとっての麻雀像は、金銭を賭けない家族麻雀によって形成されていたため、金銭を賭ける麻雀にはどうしても違和感を持ってしまう。しかし麻雀というゲームには賭けの要素は不可欠であり、私の麻雀像はある種特殊なものであるということが分かった。そこで、賭けない麻雀というものを、家族麻雀から探ってゆくという方向性を見出した。3日間、ほとんど一睡もしないでゼミ生たちと話し通して、なんとか論文の方向性を見出すという収穫を以って、夏合宿は終了した。夏合宿後には目次案も立て直した。【目次案1】
 夏休みは合宿にて明らかになった課題点を洗い出すことと、ひたすら知識をつけることに力を注いだ。何度も国会図書館1に通いつめ、雑誌から新聞まで、麻雀に関する資料をひたすら読みあさったが、賭博関連のものは多くあるが、家族麻雀に関する資料は非常に少なく、資料集めに限界を感じていた。そこで、賭けない麻雀としてもう一つ自分が注目していた健康麻雀に焦点を当てることに変更し、健康麻雀から賭けない麻雀の様相を探ることに方向性を変え、引き続き資料集めに奔走した。
 また夏休み中には、記録班で集まって夏期集中講義のHP作成も行なった。私はディレクターとして、主に映像編集を行なった。10時間近く撮り貯めた映像の中から、8分間のショートムービーをつくるという大変な作業だった。まず撮り貯めた10時間分の映像を一通り見返し、更にその中からショートムービーの素材となる映像部分を切り取り、つなぎ合わせる。フィールドワークの時におおよそのやり方は把握していたが、その何倍もの時間をかけて、コツコツ編集作業に勤しんだ。3年生が必死に頑張った証を残すのだから、少しでも良いものを作り上げようと私たち記録班も必死になって取り組んだ。
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▼副web長:<けーたん>

 8月を迎え、3年生の夏期集中講義にお手伝いとして参加した。7月のフィールドワーク、そして他にも機材の準備や、当日の進行について準備してきたが、自分たちが受講した集中講義からあっという間に1年が経ってしまったと改めて感じた。まだ、その時の記憶を鮮明に覚えている中、今年の集中講義は運営者としての参加となった。集中講義では初めのうちは自分のことを話さなかった3年生が徐々に自分のことを話すようになり、次第に話が鮮明になってきて、各班の活動からも一人一人がどういうことをしてきて、その子にとってそれはどういうことなのかといった「顔」がわかるようになった。ひたすら考えている後輩を、カメラを通して見ていると、ノートにずっと向き合ってメモする姿、身振り手振りで必死に伝えている姿など、いろいろな姿を見ることができた。向き合っている当人は気付くことが出来ないが、カメラを通すとこういう姿の自身を見ることが出来る。
 また、この姿を見て昨年の自分を思い出した。その時は、先輩から軽いアドバイスを貰いながらも自分の話をすることがいかに大切なのかにあまり気付けてはいなかった。ようやく集中講義のお手伝いを通して、どうして自分の話をするのか、その具体的な話がどういう力をもっているのかということが分かった。そして、具体的に自分の話をすることは、自分自身の切実なものをテーマにする卒論を書くことにもつながっていることだと感じた。
 最終日には、集中講義が行われた3日間を通して撮った写真でショートムービーを作成して上映した。昨年受講していた時もあっという間だったが、今年もあっという間だった。受講生だけではなく、お手伝いとしても昨年の自分自身を客観的に見ているような気がし、自分を客観的に見る難しさなど学ぶことが多かった。

 このことを考えながら、あっという間に夏合宿を迎え、2回目となる卒論のテーマについての発表が行われた。中間発表で発表したことから大きく変わり、この発表では、「キャラクター」を取り上げ発表し、「キャラクター商品」、「ご当地キャラクター」、「あだ名」を題材にして、「個性」「キャラクター」について考えたいと発表し考えていた。このように中間発表から内容が大きく変化したのには、6月の就職活動が影響している。自己PRについて考えているうちに、「個性」について考えたいと感じるようになったからだ。この発表で、「個性」と「キャラクター」について考ええることになり、改めて列挙した題材を見直して重点をどこに置くのか考えることになった。
 そこで、目次案の見直しを図り、合宿最終日に発表をすることになった。「なんで」「どうして」この「キャラクター」についてやりたいのか、その中でも思いを込めて明らかにしたいと考えるものはなにかと何度も進んでは立ちもどり、また進んでは違うところに行ってしまったりしたが考え続けた。
 夏合宿での再発表で、ゆるキャラ(※1) に焦点を絞り、「ゆるキャラとはなにか」 について考え、それを卒業論文のテーマにすることに決定した。夏休みには、ゆるキャラカタログを作成し、自分がゆるキャラと思ったキャラクターを写真に収めることになった。【目次案1】  いままで切実なテーマが決まっていなかった私は、ある程度の方向が出来たことで少しほっとした。
 夏合宿の帰り道では今まで意識していなかったから見えなかったたくさんのキャラクターに出会った。その多くが私にとってはゆるキャラに感じることが出来て、全部写真におさめ、資料を貰ったりした。パンフレットの端に小さいキャラクターが載っていたり、 電車を待つホームに描いてあったりと、本当にたくさんのところにキャラクターがいることに、決まってからほんの少ししか経っていない間に怖気づいてしまった。この状態から抜け出せないまま、序論を書きすすめた。

※1 ゆるいマスコットキャラクターを略したもの。

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▼web要員・合宿担当1:<島>

 8月初めの集中講義、私は記録班として運営に参加した。デジタルカメラを持ち、3年生がどんな話・状況の中でどんな表情・仕草をしているのか、ということを意識してシャッターをきるようにした。写真は録画したものと違い、あとから見返したときに「これどういう状況の中でいつ撮ったんだっけ?」というものが出てくる。その状況を説明してくれるのは、写真の中に写ったものでしかなく、たいていこの疑問が浮かぶのはその材料が少ないときである。3年生たちの話の内容から距離を置くことのできる私たち記録班が、いかに内容に吸い込まれないようにその「場」を記録することができるか、ということを常に考えていた期間だった。
 夏合宿には「VOCALOIDのイメージについて」というタイトルの目次案、レジュメを作成して臨んだ。春学期の「二次創作性」というところから、VOCALOID界隈でどのようなことが起こって流行になったのか、ニコニコ動画だけでなくアニメなどにも影響を与えている、というように広げてみたつもりであったが、当時の目次案を見ると序論の次にいきなりVOCALOIDが登場しているなど、章立ての甘さに考えの浅さが露呈している。5章に至ってはなぜか参考文献・URLという文字が並んでいるおかしな状態だ。章自体の少なさもさることながら、私はどのような流れの中にボーカロイドが存在しているのか、ということを考えられず、ただ現象として今目の前に存在している「VOCALOIDというものはどう扱われているのか」を説明しているに過ぎなかった。ちなみにこの説明というのも、やはり5月から成長しておらず、相手がした質問に対する回答というのは回答といえるものではなかった。質問者との会話のレベルがかみ合っておらず、私とボーカロイドの距離はゼロに近いほとんど一体化しているような状態だった。私は同じ視点からの話しかしていないことにまだ気付いていなかったのだ。集中講義の際、3年生と距離を置くことを考えていたはずなのに、自分のテーマになるとそれが全くできなかった。
 夏合宿が終わった週から9月の始業までの間に私はレポートを書いた。「VOCALOIDについて」「初音ミクについて」「歌ってみたについて」「経験その1 ニコニコ動画、VOCALOID、歌ってみたを知るきっかけ」「経験その2 母と音楽と私とVOCALOID」「経験その3 曲との関わり方」の6本である。これは私が題材との距離を把握するため、そして質問に対する回答ができない、頭の中で考えていることを口にすることができないというアウトプットすることができない状態を改善するために夏合宿最終日に決定した課題だ。目標は1,600字以上。レポートの内容としては前者3本は知らない人に対してもわかるような説明、後者3本はそれらにまつわる私自身の経験談である。レポートを書くことが苦手だと思っていた私は1本目を提出する前からまず文字数を越すことができるかどうかという点で不安だった。しかし毎週、「誰がどのようにわからないのか」ということを意識して書いて提出することで、回を追うごとに文字数も増えていき、今まで言われていた「距離が見えていない状態」というものがVOCALOIDとボーカロイドを一緒のものとして考えていたこと、それがさらに「VOCALOIDとはなにか」という説明を迫られたときに要領を得ない回答しかできないことに繋がっていたのだとやっと自覚することができた。【目次案1】
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▼web要員・合宿担当2:松

 8月は集中講義の手伝いから始まった。私は記録班担当として、集中講義のビデオ撮影を務めた。参加する立場から手伝う立場に変わったことでまず私が感じたことは、いかに講義に参加する立場だった自分たちの視野が狭かったのか客観的な目線から理解できたことである。あるテーマについて自分では深く考えているつもりでも抽象的だったり在り来たりな結論に達してしまい、それがどうしてそういう結論に達してしまったのか理解できないのである。他の班や先生からアドバイスをいただき、ようやく自分たちの視野の狭さに気づくのだ。このような考えるプロセスの変化を客観的な立場から見れたことは大変よい機会だったのだが、ビデオ撮影に夢中だった私は、夏合宿が終わるまでそのことに気付かなかった。それくらい夏合宿は私にとって大きな転機になるものだったのだ。
 こうして初めて題名と目次を発表する夏合宿の発表8月の中旬に行われた。結局、卒論については殆ど考えをすすめられなかったのだが、『シェア』(※1)という本が気になったことから「ダッフィー」と「ツイッター」の二つの表面的な違いを見て、これからは「共有」と「所有」の二つの消費システムに分化する新しい消費社会が来るという卒論を書きたいと発表した。【目次案1】
 結果はこれまでの経緯からも推測できるように散々なもので、卒論自体が色々な本の寄せ集めにすぎないこと、それを勝手に自分が作りだしたアイデアだと思い込んでいること、まさに新書の流行の意見に流されているにすぎず、とてもじゃないが卒論とは言えないことなどを指摘された。恥ずかしながら指摘されるまで私はこれらのことに全く気付いていなかった。そして他のゼミ生が資料を充分に用意していること、話し合いを重ねていて、自分のテーマについて真摯に向き合っていることにとても衝撃を受けた。もしかしたら私は長谷川ゼミのゼミ生として一番してはいけないことをしてしまったのではないかと思わされた。
 発表を終えた夜、ゼミ生全員に私が今までダッフィーやツイッターに対する「みんなの間で流行しているのに自分がその流行についていけないことに焦りを感じていた」「みんなの話題についていかないといけない、遅れていると思われるのが怖い」という正直な自分の気持ちを話した。そうすると、自分の今までの人生の中でそうした体験がいくつもあること、また私以外にもそう感じる人がいるということが分かり、「みんなの話題」「みんなについていかなければならないと思う気持ち」が、本当の私の気になっていることなのだと気付いた。
 この時、なぜ長谷川ゼミでは話し合いが幾度も行われるのか、一人一人が先生の前だけでなくミ生全員の前で発表し、全員で議論するのはなぜなのか、この話し合いを通してようやく気付くことが出来た。ゼミに入って本当に良かったと一番感じた時であり、もしかしたら成長というのは自分の長所を伸ばすことというより、自分の短所、悪い所に気付くことなのかもしれないと強く思った。
 夏合宿ではテーマや目次を焦って決めるよりも落ち着いて自分が本当に卒論でやりたいことを夏休みの間に考えていくことに決まった。
 9月はたまたま友人とディズニーシーに行く予定があったので、この機会にと自分がどう周りと接しているのか、友人達がダッフィーに対して、どのような会話、行動をとるのか注意深く観察した。するとやはり「お揃いで買おうよ」「せっかく来たんだから」と周りを気にする発言や行動、それがダッフィーの購買理由に繋がっていることに気付いた。9月はこれらの友人との行動の記録、また自分が幼少期からどのように「みんな」を意識しているのかをレポートに書き、ゼミ生全員から意見をもらった。ゼミ生も「みんな」を意識している体験をしていたことからこの「みんな」を意識するという事が私だけでなく、一般的にもありうることなのだということに気付いた。

※1 レイチェル・ボッツマン/ルー・ロージャス著『シェア<共有>からビジネスを生み出す新戦力』(2010)NHK出版

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▼GM:きーにゃん

 夏期集中講義では、当事者として参加した1年目、お手伝いとして参加した2年目に続き3年目の参加となった。わたしたちにとっても学びの場であるが、主役は3年生であり、運営側の不手際で3年生の学びが損なわれるようなことがあってはいけない。そのために6月から準備し、備品の確認や資料の整理、当日の流れを想定してのリハーサル、といった出来る限りの事前準備を重ねた。本番では、始めは曖昧でステレオタイプ的な意見ばかりだった3年生が、具体的な自分の話しをすることを通して考えるという作業へ発展する様子を見て、具体的なエピソードから糸口を見出すことがやはり重要だと感じた。わたし自身もこのことを夏期集中講義や昨年度の取り組みにて学んできたが、今年度の参加を通して、何が具体的な話しなのかという出発点に「気付く」瞬間が大切なのだと思った。これは、他のゼミ生と関わるときのGMとしての視点や、自身がテーマに向き合う姿勢に反映していった。
 『アトラクションの日常 踊る機械と身体』講読後レポートを受けて考えを進め、夏合宿ではパーティー(※1)の現場やパーティーピープル(※2)のふるまいを調査するフィールドワークを通してクラブカルチャーを見ていきたいと発表した。クラブカルチャーはパーティーという場で進行するからこそ、現場を見ることが重要だと思っていたのだ。しかし、ここでも中間発表と同じ視野が狭い状態に陥っていた。中間発表ではクラブミュージックの音楽性ばかりに論点が偏っていたが、今回はパーティーという場ばかりに論点が偏ってしまい、クラブミュージックから遠ざかっていた。わたしが最終的に知りたいのはクラブカルチャーの全体像であるのは確かであったが、そのためのアプローチ方法が定まらないままであった。この頃は、自主的に整理や調査を行なってきた経緯からクラブカルチャーについては昨年度よりも分かるようになったと思っていたために、クラブカルチャーについて考える次の段階へ進みたいと思っていた。しかし、今思えばそれも時期早々な思惑で、自分の視野の狭さも自分がそれだけ狭い世界で物事を考えていたからだった。
 論点が定まらないということも、フィールドワークを実施してみて糸口を掴むしかないと感じ、夏合宿後は早速クラブに出向いて時間ごとに人の出入りや行動、会話や音楽の様子などについてメモをとり、クラブの見取り図を作成して人々のふるまいを追った。せっかくの休み期間だから普段は足を運べない海外のクラブの様子も見てみたいと思い、フィールドワークを兼ねてスペインのイビサ島やロンドン、ラスベガスなどに足を運んだ。しかし、爆音で周りの会話は聞き取れず、クラブは暗いため人々のふるまいを追いきれなかったうえ、パーティーに参加しながらパーティーピープルと適切な距離を置いて観察するという姿勢を保てず、充分な成果をあげられなかった。それでも、フィールドワークで自分が得た全てを整理してなんとか卒論に取り入れようとしたが、夏合宿からあまり進歩していない状態での序論提出となった点は否めなかった。それどころか、念願だったクラブ旅行を実行した余韻に浸る日々がしばらく続いた。【目次案1】

※1 クラブやイベントスペース等で行なわれるクラブミュージックを扱うイベントのこと。
※2 パーティー愛好者のこと。他にパーティーアニマルやパーティーフリーク、パーティーキッズなどの呼称がある。

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