Calender: April,May



◆概要
 授業開始が遅れたため、4月はメーリス上でのバーチャルゼミを行なった。バーチャルゼミでは、ゼミでの役職の提案や、テクスト講読の課題などに取り組んだ。テクスト講読課題では、課題図書と自分で選択した文献を要約し、両者に共通する主題を見つけて考察をおこなった。
 5月にはHPの開設に向けた話し合いや、卒論のテーマに関する一回目の中間発表をおこなった。




◆ショートカット
<しおりん> / <ジェット> / <ワコー> / <けーたん> / <島> / <松> / <きーにゃん>





▼ゼミ長:<しおりん>

 先生からゼミ長を引き受けてほしいと連絡があった時は、「長」という立場を経験してこなかったこともあり自分に務まるかどうか不安だったが、これまでの自分がやらないことに挑戦しようという思いで引き受けた。はじめはゼミ長としてどうふるまえばいいか試行錯誤しながら、毎回の集まりに参加し最初の課題であったHPの作成に没頭していた。
 ゼミに入ろうと思ったきっかけは、自分の中でモヤモヤしていて、明らかにしたいことがたくさんあったからだ。卒論ではアニメにかかわるものを題材にしたいと思っていたが、実際に作品を見なければそれについて言及することはできないと思い、春休み中の課題としてアニメ『美少女戦士セーラームーン』の最初のシリーズと「S(スーパー)」のシリーズを視聴することを決め、実践した。「セーラームーン」を視聴している間はメモをとり、1話ずつ気づいたことや気になったことを随時記すように心がけたが、今になってそのメモを読んでみると話の内容に触れたものばかりであったり、文章が感情的になっているものばかりで、一見すると何を見てそう思ったのかがわからない文章になってしまっていた。また春休み中に読む課題図書には『幽霊 メイド・イン・ジャパン』(※1)を選び、自分の興味のあることについて詳しく知ることを目標にした。
 5月の第一回テーマ発表では、ゼミに入る前から気になっていたものを何とか言葉にしようと、なぜそれが気になるのかを考え、幼い頃からアニメを観ていたことと習い事や吹奏楽部での楽器の経験が重なり興味を持った「アニメソング」と「宇宙」「幽霊」「少女マンガ」「王子様」「変身」「ボーイズラブ」などに共通する「憧れ」という意識が気になるとマインドマップを作成して発表した。(図1)どちらも私にとっては重要で、ゼミに入る前からどちらを卒論のテーマにしようかと迷っていたテーマであった。発表後、私の興味や関心はあるジャンルを形成する約束事や決まり事といった構造に向かっているとの指摘を受けた。自分の興味がこうした構造に向かっているということは、この発表で初めて気づかされたことだった。これらのことを出発点にテーマについて考えていくことが決まった。

  
(図1) 第一回テーマ発表時に作成したマインドマップ

※1 暉峻康隆著『幽霊 メイド・イン・ジャパン』(1991) 桐原書店

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▼副ゼミ長:<ジェット>

 3年次の終わりごろから、ゼミを選択して卒業論文を書くかどうか、ということについてとても悩んでいた。大学で学んできたことの成果を論文という目に見える形として表したいという気持ちと、ゼミに費やす時間で他に何かができるのではないかという漠然とした気持ちが衝突していたからだ。しかし悩んだ末、ゼミに所属することに対するネガティブな気持ちの元は、結局のところゼミを通して困難にぶつかることから逃げたしたいという逃げの思考だということに気付いた時、困難なことだからこそ、そこで論文を書きあげたい、ゼミでの取り組みをやりきりたいと思い、ゼミに所属して論文を書くことを決めた。
 ゼミで最初の取り組みである4月のバーチャルゼミの期間には、各自が選書した書籍を読んで要約と感想文を書き、その後ゼミ生同士で批評を行うという課題に取り組んだ。私は以前講義でゲーム理論というものに触れていたことから、『高校生からのゲーム理論』(※1)を選んだ。
 今でこそ話し合いや週報の校閲などでゼミ生同士で批評を行うことは常になっているが、このころはまだ批評をすること、されることに慣れておらず、意見をストレートにぶつけず遠慮したものになってしまっていたり、ゼミ生からの批評を素直に受け入れることができなかったりと四苦八苦していた。
 バーチャルゼミの期間を終え、5月には顔合わせもそこそこに、卒業論文のテーマについての第一回中間発表の日程が決まる。中間発表では、この時点で自分が気になっているもの、卒論のテーマとして据えたいと考えているものを一つ残らず出し切ることが目的であり、私はこのころ気になっていた「大学のサークル」と、「ロマンティック・ラブ」(※2)について発表した。
 自分の発表後に先生や他のゼミ生からいただいた意見や感想は今でもよく覚えていて、特に先生の「ステレオタイプ的なイメージに支配されていて、それに沿えない自分に対して後悔のような気持ちを持っていると感じられる」という指摘は、まさにその時の私の現状そのものだった。今になってみればどちらの事柄も卒論のテーマになったわけではないが、気になっていた理由に今まで自分が触れてきた小説やマンガ、ドラマや映画などの作品から得たイメージの影響は多分にあり、それらによって作られる自分の中にあるぼんやりとした理想像と、それに振り回されている自分を肯定したいという気持ちが確かにあった。
 この中間発表をきっかけに、自身の中にあるステレオタイプ的なイメージについて卒論を書こうと考え始めたため、ここで自分の考えを吐き出せたことと、それを真摯に受け止め、様々な意見をもらえたことは論文執筆においてとても活きていたと本当に思う。

※1 『高校生からのゲーム理論』2010 松井彰彦著 筑摩書房
※2 社会学上の概念で、男女間の恋愛においては「運命の相手」と結婚をして一生を添い遂げることを理想とするもの。近代における恋愛の一種の理想として扱われることもある。

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▼web長:<ワコー>

 地震の影響で、4月はメーリス上でのバーチャルゼミから始まった。  バーチャルゼミでは、ゼミでの役職の提案や、テクスト講読の課題などに取り組んだ。特にテクスト講読課題に関しては、課題図書や自分で選択した文献を、要約したり、その内容について考察したり、複数の文献に共通する主題を見つけて考察するという、今まであまり経験したことのないものであった。私はかねてから読みたいと思っていた課題図中島義道の著書『善人ほど悪い奴はいない ニーチェの人間学』(※1)という文献を課題図書として選び、要約、考察を行なった。
 難しい課題ではあったが、ゼミ生としてのスタートラインに立ったことを自覚し、とにかくがむしゃらに取り組んだ。ゼミ生同士での執筆物への批評というものもここで初めて経験し、メーリス上ではあったが、ゼミ生一人一人がどんな考え方をするのか、どういったものに興味を持っているのかなどが、少しずつ見え始めてきた。5月になり、いよいよゼミが本格的に始動となった。いままでの文面上での集まりではなく、顔を合わせての集まりということで、より気が引き締まった。
 初めてのゼミでは、役職決めを行ない、私はWEB編集長に就任した。その時、1年間このゼミで過ごしていく中で、自分がどうありたいかを考えた。長谷川ゼミでは、HPを開設し、ブログやツイッターといったWEBツールを使って日々のゼミ活動の様子を発信していくという取り組みを行なっている。その記録は、自分たちがゼミ生として歩んでいく軌跡となり、成長の過程となる。同時に「発信する」ということは、世界中の人々の目に自分たちの活動の記録を見せるということであり、そこには大きな責任が伴う。それゆえWEBツールを使った活動記録の発信は、ゼミにとって大きな意味を持つものであった。WEB編集長という役職に就いたということは、そうしたWEB周りの作業や進行の全責任を持ち、中心となって取り組みを進めていくことになる。そんなやりがいのある役職だからこそ、とにかくがむしゃらに足掻きながら1年間を過ごすことを目標としていた自分にとって、非常に魅力的に感じたのだった。
 就任してからは、まずHP開設に向けての話し合いをゼミ生の中心となって進めていった。HP上に載せる文面やコンテンツ、デザインなどを考えた。慣れないことばかりであったが、ゼミ生同士で意見をぶつけ合う中で、一つのアイデアがどんどん良いものへと変わっていくことを確かに感じていた。HPは6月の頭を開設の目度として、継続して取り組んでいった。
 5月の半ばには、初めての卒論のテーマ発表があった。私はゼミに入る前から「麻雀」というものをテーマとして据えて論文を書きたいと考えていた。まだこの段階では、ただただ麻雀について書きたい、としか思っておらず、自分が麻雀といかに付き合ってきたか、そしていかに愛しているかということを、とにかく思い切り発表するしかなかった。中学一年の時に経験した家族麻雀が初めてであること、そして今でも家族で麻雀を打つこと、高校で家族ではなく友達と初めて麻雀を打ったこと、麻雀をテーマにしたメディア作品が沢山あること、自分の住んでいる品川区では健康麻雀という金銭を賭けない麻雀による活動が行われていることなどを発表した。発表を終えて、テーマとして麻雀を据えるということは決定した。あとは、その麻雀について何を論じるのか、そして論じた上で何を明らかにするのかということを考えていくことになった。

※1 『善人ほど悪い奴はいない ニーチェの人間学』中島義道著 2010年 角川書店

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▼副web長:<けーたん>

 私はゼミに入る際に、これを書きたいからゼミに入るという具体的なものがなかった。大学生の最後の1年間は遊ぶものというイメージが強く、ゼミに入ること自体3年次まで想像していなかったことだった。ゼミへ所属する希望の有無を選択する期限ぎりぎりになった3年次後半、いままで授業でやってきたことを振り返ったところ、どの取り組みも時間はかかるが、その時間をかけただけの充実感があった。大学の最後の1年をなにもしないまま過ごすよりも、時間をかけて学び、卒論という大学で学んできたものの集大成を書きたくなり、ゼミを選択し、卒業論文を書く決心をした。
 4月は地震の影響で授業の開始日時が遅れ、メーリングリストを使用してバーチャルゼミを行うことになった。顔を合わせないメールでのやり取りは、今年度が始まったという気持ちと、ゼミに入るという自身の新しい取り組みへの不安があった。しかし、そんな不安を忘れさせるほど、ゼミを運営していく上での係りなどの決め事、各自の春休みの課題における批評などやり取りが多く、意見交換の場があった。私はこの春休みの課題において、ゼミに入る際に気になるテーマとして取り上げた「かわいい」について深めるために、私がかわいいと思わないゴジラを見てかわいいと思えるのかどうか考えることにした。しかし、ゴジラをすべて見ることが出来ず、ゴジラに「かわいい」を見いだすことも出来なかった。

 5月に入り、ようやく初めての顔合わせとなった。第一回テーマ発表に向けての初めての発表の場である中間発表が決まった。 これをやりたいという具体的なものがなかった私は、発表までの1週間ちょっと、他のゼミ生と自分はどういうことが気になるのかという話をし、歩いている時も 自分がどういうことに惹かれているのかということを考えながら発表に臨んだ。
 中間発表では「かわいい」「駅空間・車内空間」「戦隊もの」「ギャップ」というテーマを発表した。どれも小さいころから馴染みがあり、気になっていたものだ。自分では気になっているものの、それの何に自分が気になっているのかははっきりとせず、ふわふわとしたものだったが、他のゼミ生からの質問を受け答えしているうちに、テーマ候補として挙げた「車内空間」は、私自身が小さいころから使っている「南武線」が基盤になっているということや、「戦隊もの」では、例えば天体戦士サンレッドのような地元のキャラクターが中心に気になっていると分かった。そして、「南武線」「戦隊もの」の2つには、私の中では“かわいくないけどかわいい”と感じるギャップがあり、「車内空間」に見られるゴフマン(※1)が提示した、見知らぬ人同士の間で、不要な関わりを生じさせないという意味のある儀礼的無関心に、テーマとして取り上げた4つはどこか意識としてつながっているのかも知れないということで、中間発表では「ギャップ戦隊かわいい南武線」というテーマに落ち着いた。
 この発表を終えて、気になるものを挙げても、その何がどのように気になるのかまで、今まできちんと考えていなかったと感じた。とりあえず落ち着いたこのテーマに対し、なぜ、どうしてということを考えながら、このテーマに向き合わなければならないと思った。

※1 アーヴィン・ゴフマン(1922-1982)  カナダ出身の社会学者

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▼web要員・合宿担当1:<島>

 4月のバーチャルゼミの取り組みとして私たちが行ったのは、課題図書2冊のレポート、ゼミの運営についてのメーリス上でのディスカッション、そして自分で設定した課題に取り組むことだ。私はこの課題で「歌ってみたの動画(※1)を作成する」ということに挑戦した。ニコニコ動画内でボーカロイドが流行り始めた頃から私はずっと好んでそれを視聴してきたのだが、最近の傾向として、楽曲として投稿されたものを基に作成された、イラストなどの二次創作物による影響の大きさに違和感を覚えており、1月に行われたゼミ選考の際のレポートに「VOCALOIDの二次創作性」について取り扱いたいと書いていた。そして、この課題で普段自分が見ているだけである動画というのはどのように工夫されて作られているのかを知ろうとした。今までアクセスして動画のボタンを押すだけで再生された動画が、ひとつひとついかに手間がかけられており、「すごい」と一言で評されるレベルにいくまでの完成への作り手の根性があることなどを知ることができた。
 もちろん私が作成したものの内容はお粗末なものであり、そこからさらにどう工夫すべきかということを考えるまでには至らなかったが、動画作成の過程を知るということがこの課題を通して学んだことであった。
 5月の中間発表では、先のゼミ選考のレポートにも書いたと述べた「VOCALOIDの二次創作性」についてというテーマで卒論を執筆したいと発表した。その際に『二息歩行』(※2)というVOCALOID・初音ミクを使用したオリジナル曲と、そのオリジナル曲を基に作成された動画(※3)を例に挙げた。取り扱いたい具体的な作品、具体的な題材は私にあるものの、「VOCALOIDとはなにか?」というまずその題材自体を知らない人への根本的な説明や、「なぜそれが気になるのか?」という私自身の興味の根底にあるものの説明が充分にできなかった。まず、VOCALOIDを知らない人が一体なにを知らないのか、というところもわからない状態であった。質問者の問いに対して的を射た回答をした気がしないまま、中間発表を終えた。
 ゼミ内の活動としては、私はweb班の班員として、中学生の頃から趣味の範囲でHPをいくつか作ったという経験を活かし、ゼミのHPの構成やタグ(※4)打ちなど形を作っていく作業を主に行った。経験はあるけれども、以前の自分のHPを参照していると実は間違った認識をしたまま使っていたものがあったことを発見したり、必要な表記の存在を今になって初めて知る、ということもあり、発見が多かった。
 思えばこの2ヶ月間は動画を作ったりHPを作ったりと、なにかしら作成していた期間だった。

※1 歌ってみたの動画…オフボーカル音源に録音した自分の声を合わせて作成したカラオケ動画のこと。
※2 『二息歩行』…2009年08月28日に初音ミクを使用して投稿された動画。
『[初音ミク] 二息歩行 [オリジナル曲]』http://www.nicovideo.jp/watch/sm8061508 制作者:DECO*27
※3 2009年12月21日に投稿された『二息歩行』のアニメPV。
『【初音ミク】二息歩行でアニメPV』http://www.nicovideo.jp/watch/sm9150606 制作者:akka
※4 タグ…ウェブ上に表示するページの構造やレイアウト指定を行う、その記述のための文字列を指す。

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▼web要員・合宿担当2:松

 私が長谷川ゼミに入ろうと思った理由は、大学生活で学んできたことを復習し、卒論として残したいという気持ちと、「ゼミに入ればもっと自分が成長できるのではないか」という漠然とした理想があったからだった。それまではゼミのことを真剣に考えたことはなかったのだが、3年生の後期に今まで長谷川先生の授業を受けてきたことを振り返って、本当に3年間で先生の授業を終えてしまっていいのだろうか、ゼミに入らないことはすごくもったいないことなのではないかという不安が生まれた。このような曖昧な動機でゼミに入ったので明確に書きたい卒論のテーマはなかった。そもそも卒論を書くというよりもゼミに入り、取り組みを継続することが目的だったからだ。こうして卒論に関しては全くなにも考えないままゼミの春休み課題が始まった。
 春休みは先生から指定された図書を読み、さらに自分で一冊本を選び、選んだ理由、考察、感想を書いた。その時に私が読んだ本は『心脳コントロール社会』(※1)というもので、人間の脳がいかにメディアによって簡単に動かされてしまうのか、人々の意思はどのような言説によってコントロールされるのかを書いていたものだった。この本を読んだのは自分が周りに流されやすく、どうして流されてしまうのか知りたいと思っていたからだ。この本と、2月に受けていた内定先の会社での「答えのない課題についてひたすら考える」というインターシップの影響から「常になぜそうなるのか、どうしてそうだといえるのかあらゆることに疑問符をつけて考える」ことをこの一年の取り組みにしようと心に決めたのが4月だった。
 5月の第一回テーマ発表では、「飽きる」「ダッフィー」(※2)「ツイッター」について気になっていることを発表した。自分に趣味がなく、一時的に趣味だと思えるものをみつけてもすぐに飽きてしまうこと、またディズニーシーで売っているダッフィーというクマのぬいぐるみ、ツイッターが流行していることへの違和感を覚えていることを発表した。発表を通じて、これら3つが「消費社会論」(※3)という共通のテーマを持っていることが分かった。自分にとって全く別々だと考えていた問題が一つの社会の構造設定に繋がるのが面白いと思った。とくに経済学に興味を持っていたので、このテーマで書けたら嬉しいな、とそれくらいのことしか考えていなかった。

※1 小森 陽一著『心脳コントロール社会』(2006) 筑摩書房
※2 東京ディズニーシーで限定販売されているくまのぬいぐるみ
※3 商品に本来の使用価値以上の記号的価値が付くこと。持っていることそれ自体が消費者の価値に影響を及ぼす社会

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▼GM:きーにゃん

 わたしは3年次までの単位の取得状況など諸般の事情から2年かけてゼミに所属する必要があり、その1年目として2010年度も1年間ゼミ活動に励んでいた。わたしにとって2011年度ゼミとは他のゼミ生同様に卒論執筆に向けたスタートである一方、2年間の取り組みの折り返し地点でもあった。当然2010年度でのゼミの経験を反映して2011年度のゼミに関わっていく姿勢が必要であり、GM(ゼネラル・マネージャー)という「ゼミ生ひとりひとりに目を配り、ゼミ全体の向上を考えて包括的に行動していく」役割に就くことになった。そのため春休みは、どのような点に考慮して発言や行為をすべきなのかという、自身のふるまい方を模索する日々であった。メーリングリストでのやり取りが中心のバーチャルゼミが続いたときは、文面からは相手の表情や反応を察しづらく思い悩んだ。特に、わたしには1年間の経験があるからこそ分かり、アドバイスできることを、他のゼミ生にリアリティを持って考えてもらえるように伝えるにはどうするべきなのかという点について考えることが多く、5月にゼミが本格始動してからは実際の状況を見合わせて更に試行錯誤を重ねた。
 4,5月は、今後どのように昨年度と違った視点で活動していくのかを考えながら反映する日々であり、2010年度ゼミでの1年間を今一度見直し、経験を捉え直す作業が続いた。結果、各自が積極的に取り組み、互いに話し合うことで、ゼミというチーム全体での向上につながり、それが個人の取り組みに反映されているという関係を意識させるアドバイスを行い、さまざまな取り組みも全員で卒論という目標に向かう重要な過程であることを考えさせるよう考慮した。また、わたし自身が提出物を早めに提出し、多くの発言を行い、誰よりも密度ある取り組みを行なうよう意識することで、姿勢からも伝えられるよう心がけた。
 卒論で扱いたいテーマについてはゼミに入るきっかけでもあり、昨年度の取り組み(※1)でも「自分にとって切実」であることを明らかにしてきたクラブカルチャー(※2)であることには変わりなかった。昨年度の取り組みを踏まえ、春休みの読書課題や自主的な文献調査などを通してクラブカルチャーのなにについて考えていきたいのかを模索していた。具体的には、「まだ読めていなかったクラブカルチャーに関する書籍を5冊以上読む」という目標をたて、知識の補完に励んだ。5月に行なわれた中間発表ではクラブミュージック(※3)の作者性や大量配信について興味があることを述べた。決してクラブカルチャーの音楽的な面のみに扱う領域を限定して取り組みたいわけではなかったが、自分がそのような発表をしたことも指摘されるまで気付けなかった。この発表を受けて、考えていく中で自分の視野がいつの間にか狭くなってしまうことを自覚し、その後は自分の興味や問題意識がクラブカルチャーのどこにあるのかをより模索していった。そのために昨年度の取り組みの振り返りや文献調査を行い、思いついたことをメモに残すという作業に励んだ。

※1 2010年度はゼミHPにて『連載 クラブカルチャーとダンスミュージック』に取り組み、知識の整理を行なった。http://www1.meijigakuin.ac.jp/~hhsemi10/
 また、『クラブとクラシック 私の日常』という動画の制作を通して自分とクラブとの関係性を見つめ直した。http://www.youtube.com/watch?v=TEM56X0ULAQ&feature=plcp&context=C37cc603UDOEgsToPDskKwUQhsNXxSK-_SoRre6HiV
※2 クラブ(DJが流す音楽にあわせて踊り、酒が飲める店舗)やクラブミュージックという音楽を中心に展開する大衆音楽文化のひとつ。
※3 クラブでの受容を中心に展開される音楽のこと。ハウスをはじめとする4つ打ちのダンスミュージックだけでなくチルアウトのための音楽まで多岐にわたるが、エレクトロニック・ミュージックが中心である。

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