「みんな」はどのように意識されるのか〜『Non-no』40年史から〜
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 「みんな」とは一体どのようにして意識されるようになるのだろうか。そもそも「みんな」とはなんなのだろうか。自分の周りの友人、団体、それらはイメージであって一つの具体的なものとして区切ることはできない。それにも関わらず人は「みんな」の考えや行動に同調しているのではないだろうか。そう考えたことからこの「みんな」というイメージはどのようにして意識されるのかを明らかにするためこのテーマで論文を書いた。このテーマへのアプローチの為の手段として、本論では女性ファッション誌の『Non-no』(※1)を題材にした。まず、『Non-no』がどのような構造で構成されているか調べるため、2011年10月号の『Non-no』を解体し、ページを提供会社の「広告」記者が書いた連載やエッセイなどの「記事」また文章自体は記事だが服を紹介しているという点では広告でもある「記事とも広告ともとれるもの」に分けた。創刊号の1971年から2011年までの12月号まで読み、ページの配置や文の構造、具体的な言葉の使われ方などを調査した。
 そして調査の結果分かった、記事の中で使われる多様なキャッチコピーにおける言説空間、さらに読者を意図的に分けようとする読者の類型化、さらに付録やアンケートなどの読者へのコミュニケーション」の3つの観点に注目し、「みんな」を意識させる形成空間について分析した。
 以上の分析から、「みんな」は同じように行動しなければいけないという「同調」の対象としてだけではなく、類型化されある程度自分のパターンというのを決められることによって「みんな」とは違う行動をしているという「差異化」の対象としても「みんな」は意識されているということが分かった。それはつまり「みんな」を意識している自分を意識していることになる。「みんな」を意識するという行為そのものが、あるメディアによって作られたイメージであるということだ。
 今回は、対象を『Non-no』に絞ってしまったが、他にも様々なメディアが「みんな」を意識させる要因として考えられるだろう。

※1 1971年から集英社で発行されている10代後半から20代の女性向け月刊ファッション雑誌。