『「王子様」とはだれか―『セーラームーン』の構造分析―』
<しおりん>



 この論文では、アニメ『美少女戦士セーラームーン』(※1)の構造分析を通して、本物の王子ではないイメージとしての「王子様」とはだれかという問題を明らかにした。
構造分析をするにあたって、まず「セーラームーン」のアニメ全200話を視聴し、今回論文で扱う範囲を第4シリーズである「SuperS」に絞り、分析の対象を「王子様」的キャラクター、シチュエーションの描かれる第158話と第149話とした。また構造分析には理論が必要となるため、ここではその理論としてロラン・バルトの『物語の構造分析』(※2)を用いた。
 全体の構成として、まず第一章では論文を書く経緯やバルトの理論、全体の構成について述べ、第二章では文献やアニメ作品において、どのようなものが「王子様」のイメージとされているのか、第三章では『美少女戦士セーラームーン』という作品について、原作、アニメ、ミュージカル、実写版の4つの媒体についてその概要を述べた。第四章では第158話の分析をおこない、「エリオス」というキャラクターを出発点とし、「王子様」的キャラクターの「美少年」「白色」「乗り物」という特徴と「手を差し伸べる」というふるまいに着目した。第五章では第149話の分析をおこない、フィッシュ・アイというキャラクターとセーラームーンに焦点を当て、「ぼかし」「空間」「光」と「王子様」の現れる空間に着目し、「王子様」の相手役となるキャラクターの「見上げる」というふるまいについて述べた。最終章となる第六章では、これまでの章を踏まえて、なぜ「王子様」を感じてしまうのか、「王子様」とは何者なのかという問題について考察した。

 それまでの章でわかったことは、まずセーラームーンの物語には「シンデレラ」や「美女と野獣」などの昔話にみられるような「立場の不均衡を是正する」「欠如が解消に向かう」というパターンが使われているということ、また、そこに描かれる王子はその欠如を解消へと導く機能をもっていること、さらに「シンデレラ」ではその欠如や不均衡が、男性のもつ権力に頼らなければならなかった女性たちの「社会的な立場」であったのにたいし、「セーラームーン」ではそれが「失恋」や「落ち込む」といったようなことに変化しているということがわかった。
 そして「王子様」という存在は、少女マンガにおいて恋愛や「普通の女の子」が主人公として描かれるようになった1960年代に登場した存在であり、少女マンガにおける「ブスでドジでダメな主人公が憧れの彼のハートを手に入れる」というパターンのもとになった。
 また、読者や視聴者が「欠陥」をもつキャラクターに感情移入することで、キャラクターを通して自分が肯定されるという感覚を得、さらにそれを求めようとするというサイクルを作り出す存在であること、「王子様」は神や仏のような強大な力を持っており、その力によって欠陥をもつ者を肯定したり救済したりするが、一方では「死」へ導くという面も併せ持っていることから、「王子様」という存在は「救済」と「死」という両義性を持っている存在であること、以上のことを本文では明らかにすることができた。

※1 『美少女戦士セーラームーン』は、1991年から1997年まで月刊誌『なかよし』にておよそ5年間にわたり連載された、武内直子の漫画を原作とする作品である。翌1992年から放送が開始されたテレビアニメ、通算500回を超えるミュージカル公演、実写ドラマ化など、幅広い展開を見せた。
※2  ロラン・バルト『物語の構造分析』(1979) 花輪光訳、みすず書房