スーパーマーケットの持つ様々な姿について
<ワコー>



 『アトラクションの日常』の講読を終え、私には一際頭の中に残るものがあった。それはスーパーマーケットでの買い物についてである。一人暮らしを始めてから、自分の足で近所のスーパーマーケットに買い物に出るようになった。それはまさに私にとって、いちいち気に留めるほどの事でもないような、しごく日常的な実践であった。だからこそ、自分が当たり前のようにスーパーマーケットで買い物することが、取替えの利く一つのユニットにまんまと仕立て上げられ、スーパーマーケットの不自由なシステムに縫合されていっているということなのだと分かったときの衝撃は大きかった。
 『アトラクションの日常』の中にもあった典型的スーパーマーケットは、「直線誘導主義」「商品関連誘導主義」の二つを柱とする「ワンウェイ・コントロール理論」に基づいて店内レイアウトがなされており、買い物の最後にはキャッシュレジスターが砦のように待ち構えていて、落とした金銭を軸として客の情報を管理する。
 だが、そんな大小ある典型的スーパーマーケットの中にも、特殊な形態を持つものもあるのだ。今回のレポートでは、そうした種類のスーパーマーケットを二つ挙げ、論じていきたい。



〜スーパーまいばすけっと 東中延店〜
 一つ目に挙げるのは、東京都品川区にあるスーパーまいばすけっと東中延店(以下、まいばすけっと)である。まいばすけっとの特殊な点は、4章「ながめてまわる」5章「買い物する」でも出てきた、バザール性を持つ“商店街”と共存しているというところにある。
 まいばすけっとは、中延商店街(なかのぶスキップロード)の一角に店を構える。隣接店には弁当屋や青果店、向かいにはパン屋などがあり、店頭では客と店主が明るくコミュニケーションを取り合っている。そんな典型的バザール空間のなかに、スーパーマーケットが一軒だけあるのだ。
 店内レイアウトは<店内図T>にあるとおりである。大型スーパーマーケットほど広くはないが、中には様々な商品が並ぶ。やはり入口すぐそばにはカゴが置いてあり、客たちはそのカゴを取ってユニットへと変貌し、アイスクリームから冷凍食品と大外をぐるりと回ってから、菓子やパンの棚を見るため一度引き返し、また大外の動線に乗り、レジへと一直線に歩いていく。
 一人の買い物客(主婦・40代くらい)をこっそりと追ってみた。上に書いた通りのルートを進み、カゴをいっぱいにしてレジを通過し外にでた。ここまでは、自由なようで不自由なセルフサービス方式の買い物を楽しんだだけであるが、彼女はまいばすけっとを出た後、隣の青果店の女主人と気さくに話を始めたのである。そこで試食用の皮付きオレンジを2、3個ほおばってから、女主人に勧められたであろう無花果を購入し、今度は隣のパン屋へと入っていった。
 この光景を見ると、果たして彼女はバザール型とスーパーマーケット型のどちらを買い物における身体技法の利き足としているのか疑問に思わずにはいられない。いや、どちらというよりかは、おそらく両利きなのであろう。これは、商店街が立ち並ぶバザール都市東京だからこそ見ることができた、異様な光景だったのかもしれない。

<図T スーパーまいばすけっと 東中延店 店内図>



〜フードセンタートミダヤ 鏡島(かがしま)店〜
 二つ目に挙げるのは、私の地元の岐阜県岐阜市にあるフードセンタートミダヤ鏡島店(以下、トミダヤ)である。ちょうど実習で帰省したので、地元のスーパーを見に行こうと足を運んだところ、ここにも面白い特徴があることに気付いたのである。
 それは、店外にもまた店が出ているのである。伝わりにくいかもしれないため、<店内図U>と以下の説明を参照してほしい。
 駐車場から道路一本隔てたところに店舗がある。といってもいきなり入口があるのではなく、屋根のついた150uほどの空間がある。そこを越えると、ようやくスーパーの入口がある。店内自体は典型的なスーパーマーケットという感じであるが、注目したいのは出口を出てからである。先ほど書いた屋根のついた空間は、出口からしか中に入れないという特別な作りになっている。そこには、できたてのお好み焼きやたこ焼き、串カツ、どて煮などの食べ物や、婦人服、地元岐阜県産のとれたての野菜や果物などを売る店が、週替わりで並ぶのである。ここでの買い物もまた商店街のようなバザール型のタイプのものであり、売り手と買い手のコミュニケーションが必須となってくる。
 スーパーマーケット型とバザール型が混在しているならば、まいばすけっとと同じではないかと思うかもしれない。しかし自分が行った時に店を出していた焼き鳥屋の方の話を聞くと、面白いことが分かった。そこで店を出す場合、利益の何割かをトミダヤに払わなければならないのだ。トミダヤの敷地内で行われる商売であるため、場所代を取るのは当然だろう。しかしその空間で売られるものを見てみると、トミダヤの店内では買えないものばかりが並んでいるということが分かる。
 客たちは、店内で買い物を済ませて店を出たのち、今度はその屋根付き空間でしか買えない、美味しそうなお好み焼きや焼き鳥、服などを買う。トミダヤで買い物を「終え」たと思いながらも、実はまだ客の身体はトミダヤからは解放されていないのである。店内にて客の消費を操るだけでなく、店外を使っても客を足止めする様子は、大げさではあるかもしれないが、まるで這っても這っても抜け出せない消費社会のアリジゴクのような印象を受けた。小さい頃から頻繁に行っていたトミダヤにもこうした側面があるということに今まで気付けなかったことは、考えてみれば恐ろしいことである。

<図U フードセンタートミダヤ 鏡島店 店内図>



 今回の調査から何が導き出されるだろうか。両店とも、確かに特殊な面を持ち合わせた形態であるということは分かる。だがよく考えてみると、両店ともに典型的スーパーマーケットでもあることには違いないのではないだろうか。
 もう一度店内図に目を向けてみる。特にトミダヤの<店内図U>の方に注目してほしい。
 野菜、果物、鮮魚、肉などの毎日の食事に欠かせない生鮮食品は、店内の周辺通路に配置されており、客が最大距離を移動しなければならないような仕組みがはっきりと確認できる。そして店内中央部に設置された特売品やパン、生鮮食品の配置されているのとは反対側の通路に設置された納豆や米、菓子を求めて一旦生鮮食品ルートから離れ、それらをカゴに放り込んだのちにまたルートに戻る。最後に10個並んだレジに入り、金銭を落とし店内を出る。規模は違えど、商品の配列や、例に挙げた女性の行動からも、まいばすけっとでも同じことが言えるだろう。
 やはり両店とも、典型的スーパーマーケットの形態を持っているのである。では、両店の持つ特殊さというのは、果たして何を意味しているのだろうか。それは「愉しさ」の増強剤であると私は考える。
 アトラクションの日常にもあったが、買い物はやはり愉しいものだ。その裏側にシステムへの縫合やワンウェイ・コントロール理論などの真実がありながらも、どうしても買い物をしているときはそれらに気付く事はできず、あふれるほどの商品を眺めて回りながら、自分が気に入ったものだけを購入するという優越感の強大さに溺れてしまう。二店に見られる特殊さは、そうした愉しさの肉付けをするとともに、先に述べたシステムや理論をさらに客の目から遠ざけるのである。まいばすけっとやトミダヤは、典型的スーパーマーケットの構造を基準としながら、バザール性との共存や店外での買い物ができる環境を持つといった特殊さを、買い物する愉しさを増強させるためのものとして装備する。そうしてさらに厚くなった「真実を隠すための壁」の前に、客は立ちつくすしかないであろう。
 では、私は今後どうすべきであろう。幸い、講読を終えた私には壁の奥を見透かせる可能性が備わったわけだ。ならば、どんなに厚い壁が立ちはだかろうが、私はその壁を見透かしてやろうと思う。そうすることによって、買い物を一粒で二度おいしいものへと変貌させるのだ。たくさんの商品をながめてまわり、自分の欲しいものだけを購入できるという「愉しさ」と、店側が戦略のために設けた壁を見透かすという「愉しさ」の両方に溺れるために、明日からまたスーパーマーケットへと足を運ぼう。そして店員からの「ありがとうございました」という挨拶に、満面の笑みで「こちらこそ」と返そうと思う。




◆参考・引用
長谷川一著『アトラクションの日常〜踊る機械と身体〜』
 2009年 株式会社河出書房新社
倉本初夫 渥美俊一著『日本のスーパーマーケット』
 1961年 株式会社文化社
平野恵理子著『スーパーマーケット いらっしゃいませ』
 2006年 株式会社ソニーマガジンズ
スーパーまいばすけっと東中延店(店内図T)
フードセンタートミダヤ鏡島店(店内図U)
 ※フードセンタートミダヤは、株式会社フードセンター富田屋が岐阜県大垣市を中心に岐阜市に展開するスーパーマーケットチェーンである。1962年9月、一号店開店。