システムと私
<島>



 私の住む街は非常に家族が多い。マンションが建ち並び、商店やコンビニが点在するような路地はなく、大型ショッピングセンターや大きな公園に、買物をしたり遊んだりする場所などの生活に必要なものがほぼ一箇所に集約されている状態だ。
 駅から直接行くことのできる大型ショッピングセンターの中には「日本でスーパーマーケットを本格的に展開した最初の企業のひとつ」(P.135 図6.4説明文)であるダイエーも入っているのだが、これの目の前にはショッピングセンターができる前に点在していた個人商店が並んでいたり、階を上がり南に進む(同じショッピングセンター内の話である)とそこにもスーパーマーケットの光景が広がっている。最初に訪れた場所に目当てのものがない場合は他の場所に買いに行く、ということを同じ建物内でできるわけだが、それを踏まえるとひとつひとつのセルフサービス式スーパーマーケットとして考えるよりも、この大型ショッピングセンターそのものがそれに当たるのではないかと思える。ここがだめならばこちらにあるかもしれない、たまたま通った道にこんなものもあったからついでに買った、など、そこはきっと誘惑と衝動買いでいっぱいだろう。まるでアトラクションのように、「その環境を愉しみなさい」と環境空間自体が言ってくる。建物に入っているお店のほぼ全てがセルフサービス方式を採用し、客は店に入ることによって、店のシステムが敷いた動線に沿って「流される」。どの世代がなにをいくつ買ったという情報を店のレジに提供しながら出たところで、そこからまた次に入る店を「ながめてまわる」のだ。

 私は今現在そんなショッピングセンターの一部にあるチェーンの定食屋で接客のアルバイトをしている。お店にはショッピングセンター帰りであろうカートに荷物を積み込んだ主婦などの客もよく見られる。場所によっては入店時に注文を承るところもある定食屋なのだが、こんな土地柄ゆえ、ファミリーレストランのように着席時またはコールで呼ばれた時に受ける。私はもうひとつ、オフィス街のファミリーレストランで接客のアルバイトを掛け持ちしているのだが、仕事場が違っても基本的な動作は変わらない。メニューや客層や、最初に持っていくものが違い時々おしぼりはないのに「持って行きます!」なんて元気に言ってしまうこともありながら、行う動作は同じだ。飲食店で接客のアルバイトをするとしたら、大抵そうだろう。
 接客時に心がけていることといえば、客がそれとなくその店のシステムを把握できるように案内をすることだ。その行動の理由は、チェーンのカフェなどが採用している “支払いが済んだら進んでドリンクを受け取り、番号札を頼りに食べ物を持ってくる店員を待つ”というふるまい方を理解しきっていない私自身が、店員の言っている意味がよくわからず右往左往するところからきているのだと思う(初めてStarbucksに入った時はドリンクが提供されるテーブルの目印の“赤いランプ”そのものがわからなかった)。
 従業員やその店をよく利用する客が“こう言う(こう言われる)ということはこうである”という前提を、来店する客の全てが理解して来るわけではない。例えばポイントカードを提示する場合、注文時よりも会計時のほうがスムーズである。トッピングサービス券は1人1枚の使用が可能なので、4名だと4枚まで使える。ご飯の種類変更と大盛りは無料なので何を選ぶか。聞かれる前に案内をすることによって、こちら側が望んだ答えをいただける可能性は高くなる。そう、私は店でのふるまい方を誘導しているのである。

 講読の発表の際、先生に「どんな客が良い客だと思う?」と質問された。悩んだ挙句「笑顔のお客さま」と言い切った私は、会話の認識レベル的にも問題はあると思うが、同時に”消費者”として客を見ていないことに、この飲食店のシステムに完全に縫合されているのだということを気付かされた。正直普段アルバイトをしている最中は先ほど答えたレベルのことしか考えていない。1人の客を“客”として見ることで私は“案内をする”と思っていたが、気付かされたあとに改めて考えてみると、私が普段行っている心がけも、そういえばオリエンテーションで見た“お客さまを迎えるところから送るまで”のようなチャートも、私たち従業員がベルトコンベアに客を乗せて流してゆくシステムの一部でしかないのだとわかる。確かにそう思うときは今までにあったはずなのだ。ただ、そのことを“おかしい”と思わないだけで。
 この違和感は、先程述べた「流され」「ながめてまわる」という二段構えのアトラクションの要素を持った大型ショッピングセンターの例に通じるものがある。私は小学生の頃から利用しているが、大学生となった今と比べると洋服屋やアクセサリーショップなど立ち寄る店舗の数は増えた。増えたことによってアトラクションに引きずり込まれていることに違和感を覚えなかった事実を、今回確認することができた。

 “自分がシステムの一部であることを認識しているはずなのにそれを違和感として捉えない”こと、それが『アトラクションの日常』を読む前の私である。今の私の素直な気持ちとしては、“おかしい”と気付いたことによって自分の物の考えなさ具合を除いてアルバイト自体にも世の中にも嫌気が差したわけではない。むしろそのようなシステムの存在に気付けたことにより目の前にある綻びを「綻び」と認識できるようになったことだけで、アルバイトをする際でもなんでも自分が起こした行動の意味や影響について考える幅が広がったはずだ。私はこれから“消費者の客”と“1人の客”を別々にも一緒にも考えることができる。“1人の客”とだけしか見れていないときとは違う考え方ができるのだ。
 今日もショッピングセンターの一部である定食屋へ行く。営業時間中は客を誘導し、閉店作業中にはその日なにが一番提供されたのかレジのデータを見てアルバイト仲間と盛り上がるだろう。データを見た私はその中で、数字を見て終わるのではなく、今日接客した客のことや売り上げなどの繋がりや関わり方について考えながら探り始める。そのような実践を続けることで、常に「アトラクション」を意識していきたいと思う。




◆参考文献
『アトラクションの日常』長谷川一 著 2009 河出書房新社