アニメソングにみる綻び
<しおりん>



 本書を読んでから、やたらと「夢」という言葉が耳をつくようになった。テレビの中や電車のつり革広告、就職活動の面接試験、ありとあらゆるところに「夢」という言葉が溢れている。なかでも私が特に注目するようになったのは、普段何気なく聞いているアニメソングやJ-POPだ。私はアニメソングが好きで、その時々に聞いて「カッコいい!」と思ったものを今でもよく集めている。しかしその理由は、アニメソングならばアニメの内容と合っているとかメロディーの旋律や曲の華やかさ、カッコよさに惹かれたからということが大きく、歌詞の意味や曲の構造に注目するということは、これまであまりしてこなかった。そこで、今回は私がこれまでに聞いたアニメソングの「夢」についてもう一度考え直してみたいと思う。なお、ここで言及するアニメソングとは、主には私が子供のころに観ていたアニメの主題歌や仮面ライダーや戦隊ものといった特撮番組の主題歌などである。

 これらの曲を意識して改めて聞いてみると、あの曲にもこの曲にもこの「夢」という言葉が頻繁に登場していることに気がつく。夢だけではない。「きっとできる」とか「ここではないどこかへ」とか「信じていればいつか叶う」など、どこかふわっとした、似たような言葉ばかりが目立つ。しかもそうしたフレーズは、曲の要となるサビで歌われることが多い。
 また、そうした言葉とともに繰り返されるのは「つまらない日常」「このままじゃいけない」「何もない世の中」等といった、現実を良くないものととらえる、誰かがそうした現実をつきつける、といった類の言葉だ。
 これらのことからわかるのは、今を駄目なものだと断定し、今ではない過去や未来を良いものだと主張しているということだ。
 ある曲では、この「夢」に似たフレーズが長調の明るいメロディーで歌われ、「影」や「僕らの邪魔をする」というフレーズが短調の暗いメロディーで歌われている。短調の旋律にマイナスなイメージの歌詞を乗せることで、これらの言葉は何となく悪いものであるという感覚を私たちに植え付けさせる。そのうえで、一見現実味がなくふわっとしたものに感じられる「夢を持て」などの言葉が、「影」「邪魔」といった言葉の上に短調というマイナスのイメージを重ねることによって、「良いこと」であるかのように感じられてしまう。
 しかし、ここでいう「夢」や「悪」には、よくよく考えてみれば、本当にそうであると断定できるような明確な理由は存在しない。「夢」や「希望」の対になるものとして「日常」にマイナスなイメージを付与することで、まるでその二つしか存在しないような世界を曲のなかで作り上げているのだ。このことは、「夢」を良いものとして「日常」を良くないものとする、その両方を正当化しているようにもみえる。
 しかし、そうではない曲もある。例えば戦隊もののオープニングや短調のアニメソングなどだ。アニメソングと聞くと「長調」「明るい」といった印象があるが、実際には短調の曲は数多く存在する。たとえば『美少女戦士セーラームーン』の「ムーンライト伝説」(DALI、1992)や『ドラゴンボール』の「魔訶不思議アドベンチャー!」(高橋洋樹、1986)といった曲が挙げられる。
 こうしたヒーローは、一歩間違えれば悪となりうる力を持っている。しかし彼らは「悪」とは認識されない。それは彼らが「わたしたち」と同じ人間であるからだ。彼らは両義的である自身の存在をもって、「正義」とはなにかという問題を私たちに突き付けているのである(※1)。
 短調で歌われるアニメソングには、こうしたヒーローのもつ両義性や「夢」や「悪」といった言葉のあいまいさが反映されているのではないだろうか。

 このように意識することで気が付いたのは、一曲一曲の細かなつくりよりもむしろ、そうしたことを考えもせずに、これまで毎日好きな音楽を聴きながら電車に乗って通学していた自分の姿だ。そうした時間はただ受容しているだけのものであって、なにも生産的ではない。
 膨大な数のポピュラー音楽の歌詞の中には、このままではいけないと急かすものもあれば、このままでいいと安心させるものもある。いずれにしてもそこにあるのは、私たちは何も考えずにただ受容していればいいということだ。
 ここに消費を促し、さらにそれを根幹とする資本主義社会の姿をみることができる。
 ポピュラー音楽は私たちがそれを積極的に受容し、熱狂することで私たちを資本の中に組み込んでいってしまう(※2)。私はこれらの音楽を積極的に集めていたように見えて、実は積極的に受容していたのである。また一方で、こうした音楽を集めることで自分が規定されてしまうような感覚が拭えずにいた。それが、私自身が他のものと代替可能であり、均質化していってしまうという不安につながる「綻び」であったように思う。
 では、アニメソングやJ-POPとはいったい何なのか。これらの曲はいったい何を言おうとしているのか。そのことをこれまで受容するだけだった時間のなかで、音楽を聞くことを通して考えていこうと思う。




◆注釈
※1 白倉伸一郎『ヒーローと正義』(2004) 子どもの未来社
※2 毛利嘉孝『ポピュラー音楽と資本主義』(2007) せりか書房 p.28〜29