VOCALOID-PVに描かれるオリジナル人物への違和感について
<島>
“VOCALOIDを使っているからVOCALOIDキャラクターのイメージをその曲に付与しなくてはならない”という規定もないし、二次創作の場においてオリジナルキャラクターの介入がありうるというのも理解しているつもりだ。しかしVOCALOIDオリジナル曲においての“オリジナルキャラクター=曲”の等式に私は違和感を覚えた。なぜ違和感を覚えるのか?私はVOCALOIDという存在に何を感じているのか?というところからテーマに挙げようと思った。
ディスカッション時はとにかく質問者がどんな答えを求めているのかわからない、ということで頭がいっぱいになったが、おそらく私の中のVOCALOIDというものがしっかりと固定されていないことが大きいだろう。自分が好きなものなのだから知っていて当たり前、なものがいかにあやふやなものであり、またテーマとして挙げたい身としていかに論点が不明瞭であるかがわかった。
発表を終え改めて自分の発表を振り返ると、ひっかかりを感じた1作品をレジュメで取り上げ、それは“PV”として仕上げた作品であったために“VOCALOID-PV”として考えていたわけだが、よく考えれば私が着目したい“オリジナルキャラクター=曲”の等式には必ずしもPVを前提とした作品だけではなく静止画のものも多く存在している。動画か静止画か、というところに比重を置きすぎるのも良くないとわかってはいるが、考える枠として決まりがなさすぎる範囲で発表を行ったことを自覚した。
発表を終えて感じたこと。もやっと思っていることを聞いてもらえて良かったと思えたことと同時に、果たして本当にこれが自分にとって切実なものであるのか、という、よりもやもやもやっとしたものが湧き上がったのも事実だ。 そこで終わらせないためにはやはり、VOCALOIDやニコニコ動画という分野の知識がない人に対してもきちんと理解のできる説明ができるようになること、またそれを踏まえた上で、今回の発表のテーマとして自分はなにを土台にして発表したかったのかを改めて考え直すこと。そしてもちろんVOCALOIDをそれだけとして見続けるわけではなく、私の違和感に繋がる何かを常に模索できるように視野を広く深く持つことが今後の課題だと考えている。 最後に、先生に指摘された、「これだけ知ってる自分はすごいだろう」という位置に居直らず、また私はこの“好きなもの”を通してなにかを明らかにしたい、ということを、例えば夏合宿の際にテーマが思いっきり変わったとしても肝に銘じていきたいと思う。 |