ジャーナリズムについて―20冊読んでみて
2010.6.27
ライター:<ウエダ>



 私はこのたび、ジャーナリズム(注1)についての本を20冊読み終えました。ジャーナリズムを通じて卒論のテーマを見つける糸口にするため、取り組んだものです。これからも続けていきますが、この時点で感じた事と、これから先どうすればジャーナリズムについてより深く理解できるのか、考えた事を書かせていただきます。
 まず一番感じたことは、私の読んだ多くの本が、ジャーナリズム、それも現代(第二次大戦以降)のものを批判しているという事です。以下でその内容に触れますが、多くの本で批判がなされているということは、明らかに今の業界には何らかの弊害があるという事だと思います。
 批判の対象や弊害の原因とされているものを具体的に挙げると、記者クラブ、企業ジャーナリスト、客観報道や匿名報道、メディア・スクラムなどです。(注2〜6)そして多くの本では結論として「ジャーナリストには、私益よりも公共の利益のために生きるという倫理観が重要である」や「アメリカを始めとする欧米のジャーナリズムは調査報道に優れ、何よりジャーナリストになるまでの教育体制が素晴らしいので見習うべきだ」といった言葉でまとめられています。
 各々の著作は、面白さの程度に差はあっても、どれも読みごたえのあるものばかりでした。特に、ジャーナリズムについて何も知らなかった私にはどれも魅力的でした。その上で、これまで読んだ本と同じようにジャーナリズム批判を続けていても何も変わらないだろうと感じます。これだけ多くの本で先述したような問題を訴えても、現実はいまだに同じところで停滞しているからです。そして私自身、そのような本を読み続けていても新しい発見があるとは思えません。
 数ある批判の一つに、「アメリカは調査報道(注7)に優れていて、日本は記者クラブで得た情報をそのまま発表するだけだ」というものがあります。そして、そうなっている原因を「マスコミも一企業であり、企業の利益を優先せざるを得ない」と分析していました。その分析はとても的確だと思います。しかし、そういった指摘だけでは現状を変えていくことは難しいのではないでしょうか。なぜならマスコミに対して、倫理観の重要さを訴えることは、「利益をあきらめろ」と言っているに等しい事だからです。ジャーナリズムと金儲けは、同時に成立しないものだと思います。かといって国が税金で活動費を払えばよいかと言えば、それも違うと思います。もしそうなった場合、マスコミは国の顔色を今よりも一層伺う事になるでしょう。では、どうすれば良いのか。今の私では考えつくことがありません。国の枠組みを超えたマスコミ同士の連携により、機関を作り国家を監視するなどであれば良いのかとも思いますが、それも可能であれば実現しているはずです。
 また、日本のマス・メディアは他のメディア企業の追い落としに集中するばかり、ジャーナリズムとは、本来市民を代表して「表現の自由」を守らなければならない立場であるという意識が希薄です。それを考えると、果たして日本で発表ジャーナリズム(注8)以上の報道は可能なのか疑問に思います。このような問題の根は深く、容易に変革することは難しいでしょう。それは、素晴らしいとされるアメリカのジャーナリズムも例外ではありません。例として、最近ではイラク戦争時、アメリカの報道機関は自国の戦争を応援してしまいました。日本は言うまでもありません。一企業である限り、結局、権力(注9)や世論(注10)と対峙し続ける事は困難です。 世の中に支配的な考え方と違う意見を提示する時、顧客であるわたしたちの意向に沿わないことになります。企業としては、顧客と争うことは自分達の利益を失う可能性を持つので、世論との対峙は難しい事です。
 権力に対抗するため、憲法により強大な力を与えられてきたマスコミ。彼らが「公共の利益のため」という大義名分を振りかざせば、犯罪被害者などへの執拗な取材も正当化されるのでしょうか。芸能人のスキャンダルを追いかけ、ニュース番組で報道する意味はなんなのでしょうか。そもそも「公共の利益」とは何なのか、何のためにジャーナリズムが必要なのかについても認識が甘いのだと思います。まず、アメリカから与えられた憲法や民主主義というものを、日本は持て余しているのではないでしょうか。もっと言えば、民主主義国家というもの自体にも何か問題がある様に感じています。私も含め、世間一般にどうしてジャーナリズムや民主主義、国について関心が薄いのかも考えようと思います。そういう根本から探ってみる必要があると思います。
 近年の技術革新によりインターネットの技術が身近になりました。新たな取り組みとしてパブリック・ジャーナリズム(注11)の様に、市民が記者となり、身の回りの情報を発信していくという動きが出てきています。その試みは素晴らしいと思いますが、それは政府の不正を監視するといった報道には向かないと思います。個人での情報アクセスには限界があり、取材には費用も掛かります。彼らは薄給で、しかも彼らの試みを知っている人自体も多くはありません。そのような問題を抱えている現状がある以上、彼らにボランティア精神を強要することはできません。パブリック・ジャーナリストへの支援体制がない今のままでは、マス・メディアに取って代わる事は出来ないと思います。権力の監視は趣味の範囲で出来るレベルのものではなく、このような試みが立ち消えていくのも現状のままであれば仕方の無い事です。また、ジャーナリストをやりたい人間に任せっぱなしにするという訳にもいきません。なぜなら現状のマスコミは、そうして任せっぱなしにしておいた態度が積み重なってきた結果だからです。
 しかし、今回読んだ本の中で、ビデオ・ジャーナリスト(注12)として活躍されている神保哲生さんの本は毛色が違っていました。「映像の撮り方をこうすれば、見ている人にこんな印象を与える」といった類の実践的な内容が書かれていて、とても面白かったです。本を読み、理念としてジャーナリズムを勉強するだけではなく、実際に自分で報道ができるように行動してみることも大切だと感じさせてくれた本でした。
 これからはそういった実践的な内容の本や、ジャーナリズムの歴史や商業としてのマス・メディアの成り立ちを調べていこうと思っています(先生からもそのようなアドバイスを頂きました)。これまでのようなジャーナリズム批判ではなく、違った視点でジャーナリズムを捉えたものが今の私には必要です。ジャーナリズムの起源を知ることで、また新たな視点を手に入れたいと思います。どこか一つの意見に偏ってしまっては、ものごとを把握することは出来ません。色々な視点に立って物事を捉えることは、ジャーナリストとして大切なことです。自分に出来ることはなんなのか、それを考えるための手段として今はより多くの知識を身に付け、なにか自分でつかめるようにします。

 終わりに。
 私は、卒業後報道機関に就職することになっています。この仕事を志望したきっかけは「理不尽な世の中を変えたい」とか「知らない世界を見て回り、自分の体で実感したい」という気持ちからです。今もその気持ちはありますが、果たしてこれら先、自分は自己保身よりもジャーナリストとして正しい行動を選択出来るのか、現段階では自信を持って答えられません。ジャーナリズムについて学びながら合わせてこのことも考えていこうと思います。



以上です。次回は40冊読んだ時に報告いたします。

注1、ジャーナリズム……新聞・雑誌・テレビ・ラジオなどにより時事的な問題の報道解説批評などを伝達する活動。また、その機関。
注2、記者クラブ……官公庁で取材する報道各社の記者が共同会見の取材活動や親睦を深めるために組織した団体。日本では、クラブに入るためにどこかの組織に属していることが求められる。多くの外国人記者は加盟しにくい。特にフリーの記者の参加は認められない。また、クラブに加盟していなくては会見に出席することも出来ない。記者クラブの存在が問題というよりも、その閉鎖性が批判されている。クラブ内での秩序を優先し、外部の人間を受け入れないが大きな問題である。
注3、企業ジャーナリスト……サラリーマンジャーナリストと同意。上司の指令通りに仕事をこなすだけのジャーナリストの事を指す。原寿雄さんの『ジャーナリズムの可能性』などに登場する言葉。
注4、客観報道……日本のジャーナリズムに支配的な報道スタイル。報道対象との距離をとろうという試み。だが、取材対象の選別やどのように報道するのかといったさまざまな段階で主観が交じる事は避けられないと批判されている。アメリカでは、客観報道はされておらず、立場をはっきりと示している。例えば、支持する政党を明示するなど。
注5、匿名報道……犯罪容疑者などを匿名で報道すること。日本では、取材源秘匿と合わせて名前を隠そうとする傾向が強い。しかし、情報の信憑性を落とすという指摘もある。
注6、メディア・スクラム……報道陣が、犯罪被害者や容疑者、その家族に対して団体で執拗に行う取材。第二の被害と呼ばれる。
注7、調査報道……ある程度の期間、費用をかけて取材対象を追いかける報道。結果としてニュースになるか分からないため、利益主導のメディアからは敬遠されている。
注8、発表ジャーナリズム……記者クラブに向けて官公庁が発表した膨大なデータを、記者が要約して報道するもの。独自の取材ではなく、官公庁の宣伝になっていると批判されている。
注9、権力……ここでは、マックス・ヴェーバーの定義を念頭に置いている。以下引用。「『権力』とは、或る社会関係の内部で抵抗を排してまで自己の意志を貫徹するすべての可能性を意味し、この可能性が何に基づくかは問う所では無い」
注10、世論……ある社会集団の中で、成員一般に関する問題についてある程度の意見の一致を経て表明され、多数がそれを標準的と認めている顕在的意見。
注11、パブリック・ジャーナリズム……シビック・ジャーナリズムとも。記事を広く一般から集う形態のジャーナリズム。技術の発展により、市民が参加しやすい環境が出来ている。アメリカで出発し、韓国では市民ジャーナリズムの「オーマイニュース」が成功した。だが、権力側の不正を暴くなどの報道は十分に達成できていない。日本では「PJニュース」や「JANJAN」などがある。
参考URL PJニュース JANJAN
注12、ビデオ・ジャーナリスト……自分で映像まで扱う記者。「ビデオがみんなのものになった」ことのジャーナリズムにおける体現。テレビ局のカメラマンとは違い編集や放送まで考えなくてはならない。映像の特性について自覚し、カメラの文法(撮り方、流し方)を身につけた人。日本では神保哲生さんが先駆的存在。


読書リスト(上から私が読んだ順番にならんでいます)
『ジャーナリズムの思想』原 寿雄著 岩波書店 1997年4月発行 
『ジャーナリストという仕事』 読売新聞東京本社教育支援部編 中央公論新社2008年3月発行
『ジャーナリズムと権力』大石 裕編 世界思想社2006年12月発行
『ジャーナリズムの可能性』原寿雄著 岩波新書2009年1月発行
『ジャーナリズムの意識』渋谷重光著 ブレーン出版1985年11月発行
『ジャーナリズムを学ぶ人のために』田村紀雄 林利隆編 世界思想社 1993年7月発行
『パブリック・ジャーナリスト宣言』小田光康著 朝日新書 2007年11月発行
『ビデオジャーナリズム カメラを持って世界に飛び出そう』神保哲生著 明石書店2006年7月発行
『ジャーナリズム崩壊』上杉隆著 幻冬舎新書 2008年7月発行
『アメリカ・ジャーナリズム』下山進著 丸善ライブラリー H7年1月発行
『反骨のジャーナリスト』鎌田慧 岩波新書 2002年10月発行
『ジャーナリストの倫理』Mマティアン著 松本伸夫訳 白水社 1997年1月10発行
『ブログ・ジャーナリズム 300万人のメディア』湯川鶴章 高田昌幸 藤代裕之著 野良社 2005年10月発行
『報道の自由が危ない 衰退するジャーナリズム』飯室勝彦著 花伝社 2004年7月発行
『日本のジャーナリズムの検証』 前沢猛著 三省堂 1993年7月発行
『フォトジャーナリスト13人の眼』日本ビジュアル・ジャーナリスト協会 集英社新書 2005年8月発行
『ジャーナリズムとしてのパパラッチ イタリア人の正義感』内田洋子著 光文社新書2005年10月発行
『フォト・ジャーナリズム いま写真に何ができるか』徳山喜雄著 平凡社新書 2001年3月発行
『職業としてのジャーナリスト』本多勝一著 朝日新聞社 1984年3月発行
『ラジオ記者、走る』清水克彦著 新潮社新書 2006年3月発行