第三回 「DJ・アーティストについて」


DJとは
 DJとは連載第一回目でも記述したように、クラブやディスコ、レイヴなどの野外イベントにおいて、ターンテーブル(※1)などの機材を使用し、楽曲を切れ目なくつなぐ選曲者である。DJと他のミュージシャンとで決定的に違う点は、楽器を演奏して音楽を奏でるのではないということだ。楽器を演奏できなくても、楽譜を読めなくても、楽曲を素材として自由につなぎ合わせることでDJプレイは成立する。
 しかし例外として、主にヒップホップにおいて顕著に見ることができる、スクラッチという技法が存在する。それは、レコードを前後にこすることで同じ部分を反復再生し、それによって発する音からリズムを刻む技法のことであり、レコードを楽器のように扱う。スクラッチは部分的に楽曲に挿入されるものであり、ヒップホップ以外にもさまざまな音楽ジャンルで耳にすることのできる技法だ。この他にもレコードを使用した特殊な奏法はいくつか存在し、それらを専門的に行う者をターンテーブリスト、またはバトルDJという。ターンテーブリストやバトルDJは、レコードやターンテーブルを楽器のように扱うことに長けた技術を持つ。そのため、楽曲をつないでいくスタイルのDJとは違い、特殊な分野のDJである。今後も技術の進歩に伴う機材の変化などにより、そのDJスタイルも変化していくだろうと考えられる。また、1985年から世界的なターンテーブリストの大会も開催されており、過去三人の日本人が優勝している分野でもある。
 このような奏法はDJの発展時に生まれたものだ。したがって、やはり全ジャンルのDJに共通して基本となるのは、二台のターンテーブルを使用し、曲をつなぐことであるといえる。
 今回はまず、このDJの起源について説明していきたいと思う。
 
※1 ターンテーブル
DJプレイにおいて、レコードを回す機材のこと。普通のレコードプレイヤーとDJ用のものとの違いは、ターンテーブルを回転させるパワーの強さがDJ用のものは強く、速度や音程を自由に変えられるという点である。近年レコードではなくCDでDJプレイをするのが主流となってきており、その際に用いられるCDをかける機材(CDJ)のことも指すようになっている。

2007年 大阪club sazae。テクノDJルーク・スレイターのDJの様子。彼の手元にある丸いものは、現在DJ機材で主に使用されているパイオニア製のCDJという機材である。

DJの起源
 第二次世界大戦中のジャマイカに、アフロ・アメリカン(※2)からR&Bが伝えられた。そして、それら輸入された音楽を、ジャマイカの人々は独自の感性で受容した。彼らのその独自の感性は、低音を強調した形で聴くという音楽再生のスタイルを生み出した。その再生スタイルに合わせて、低音とリズムを前面に押し出すように進化して生まれたのが、音響設備であるサウンド・システム(※3)だ。現在、クラブで低音を響かせ当然のようにそびえ立っているサウンド・システムの発祥は、実はジャマイカなのである。このようなサウンド・システムを生み出したジャマイカの人々は、野原や空き地などにそれらを持ち出し、踊った。こうしてダンスホールも誕生した。
 このジャマイカで育ったDJクール・ハーク(※4)は、1967年にアメリカのニューヨーク州ブロンクスに移住した。貧困街であったブロンクスは、今ではヒップホップの拠点である。そして彼は1973年には自身のサウンド・システムを持ち出し、ニューヨークのパーティーや、ブロック・パーティー(※5)などに参加するようになった。そこで音楽を聴くために黒人たちが持ち寄ったのが、レコードと一台のターンテーブルである。はじめは一台のターンテーブルを使用していたが、曲の間奏部分(ブレイク・ビーツ)だけをピックアップし、二台のターンテーブルを使って伴奏ができるということを発見し、「ブレイク・ビーツ」というジャンルが誕生した。これは、二台のターンテーブルで、ある楽曲のドラムやベースの強調されている部分を繰り返しかける奏法である。偶然に全く同じレコードを二枚回し、15秒程度のブレイク・ビーツを繰り返しかけたのが「ブレイク・ビーツ」というジャンル誕生のきっかけだ。そして、楽曲をつなぐという現在のDJプレイのスタイルの起源であるとされている。こうしてヒップホップにDJが根付き、さまざまジャンルに影響を与えることになった。
 二台のターンテーブルを使用し楽曲をつなぐというDJプレイのはじまりは、上記のDJクール・ハークによるものが起源とされているが、レコードで人を踊らせるという点でのDJの起源をたどるなら、それはイギリスにある。1940年代イギリスのウェストヨークシャーのオトレイに労働者の集まるクラブがあった。そこの経営者はアメリカのスウィングジャズのレコードコレクターで、所有するレコードをかけ、客を踊らせていた記録が残っているという。アメリカでは1950年代までこのような場があったという記録がない。そのため、BGM としてではなく、客を踊らせるためにレコードをかける起源はイギリスであり、これがDJの始まりであると唱える人もいる。

※2 アフロ・アメリカン
アフリカ系アメリカ人のこと。奴隷貿易によりアフリカから連れてこられた子孫のことを指す。アラブ系のアフリカ人は含まれない。米バラク・オバマ大統領もその一人である。

※3 サウンド・システム
音響設備のこと。下の写真を参照。

※4 DJクール・ハーク
DJプレイというスタイルを生み出した、ヒップホップの創始者のひとり。ジャマイカ移民である。

※5 ブロック・パーティー
1970年代のアメリカで行われていた、街中などストリートで音楽やダンスを行う集まりのこと。


2007年 東京 お台場。野外パーティー「BODY&SOUL」にて。サウンド・システムの上で踊る様子。彼らの後ろに見えるものもサウンド・システムである。

現在におけるDJ
 上述したように、DJは楽器の技術や音楽理論などの知識を要さない。楽曲をつなぐ技術と、選曲するセンスが問われるだけだ。そのため、練習次第で誰でもDJをすることが可能である。DJをする上で専門の機材が必要となるが、楽曲を再生するためのターンテーブルが二台とスピーカーセット、楽曲をうまくミックスするために必要なミキサーが一台あれば良い。最低限の機能と質のものであれば、4~5万円の予算で購入できる。DJ機材はクラブで使用する最高品質のものから、自宅などで気軽に使用できる簡易的なものまで幅広く販売されている。低価格なものでも質のよい機材も増えており、DJは決して敷居の高い存在ではなくなってきた。
 現在、世界各地や国内各地でDJをするプロフェッショナルDJを筆頭に、世界中でジャンル・年齢・性別を問わず、様々な人々がDJをしている。クラブやパーティーで活動しているDJもいれば、友人や仲間内での集まりや自宅などで趣味的にDJをする人まで、DJの活動範囲も様々である。DJは音楽的知識や技術がなくても可能で、技術の進歩に伴う機材の変化と共に、常に新しいスタイルが編み出されていく分野である。そのため、DJの収入だけで生活が成り立っている人はDJ人口の中で一握りであり、プロフェッショナルかアマチュアかという分類・定義は通常なされない。
 レコードのみでDJを行っていた時代は、DJプレイのために持ち運ぶレコードの数が膨大であったため、飛行機を利用し他国でプレイする際に税関で引っかかるなど、移動が大変であった。しかし近年パソコンやCDでDJをするのも主流となってきたため、DJのフットワークは軽くなり、活躍もよりグローバルなものとなっている。このようなDJ機材の変化の影響もあって、日本から海外へ赴き活躍しているDJが増加し、またより多くの海外DJが来日し頻繁にプレイするようになったといえるだろう。

http://www.djmag.com/top100
イギリスのクラブ雑誌「DJ MAG」のWebサイト。毎年、一般リスナーからの投票により、Top100のDJが選ばれる。現在2009年度の結果まで公開している。前回の連載で、日本ではトランスのパーティーが減少傾向にあると記したが、Top1、2のDJ共に何年間もトップの座に君臨しているトランスのDJである。ここから、トランスは世界規模で人気のジャンルであることが伺える。

アーティストについて
 クラブはDJだけが活動する場ではない。ダンスミュージックに限らず、幅広いエレクトロニックミュージックにとっての音楽表現の場として、DJだけでなく、独自のスタイルを追求し楽曲を制作するアーティストにとっても広く支持されているからだ。彼らアーティストは、上述したDJプレイを行わず、自身の制作した楽曲などを用い、パソコンや様々な機材を使用してライブを行う。結果、流れている音楽が四つ打ちのものであったり、彼らのセットが終わるまで音が途切れなかったりすることが多く、客のクラブでの音楽の受容の様子は、DJがプレイしている場合とあまり変わらないともいえる。DJプレイと違うところは、それが他人の楽曲ではなく、アーティスト本人が制作した楽曲やリズム、音色を用い、ライブを行っているということである。DJプレイを全く行わず、ライブや自身の楽曲リリースのみでクラブを賑わしているアーティストは多い。また、DJもライブも両方行うというアーティストも多い。このように、クラブでの音楽発信のスタイルは、DJとライブの二通りが主となっている。


次回は、パーティー・イベントについてお送りいたします。