ショートカットメニュー
書記HP作成班ディズニー担当合宿コンセルジュ会計レクリエーションマネージャー
レポート回収ブログ管理人ゼミ長ギャラリーに戻る

◆長谷川ゼミ卒業論文要約・目次掲載について◆

 目次案【暫定版】発表から三ヶ月後、長谷川ゼミは卒業論文を全員無事に提出しました。ついに、この場にて目次案【決定版】及び要約を皆様にご覧にいれることができます!
 この目次案には、ゼミ生にとって「これ以上愛するものはない!」というものや、「今まで生きてきた中でこれが切実!」ということがぎゅっと詰まっています。そして【暫定版】と見比べることでゼミ生の葛藤や、それを乗り越えてのそれぞれの結果をご想像いただけるかと思います。
 また、要約もご覧いただくことで内容も大体わかるかと思いますので、目次案と併せて見てみてくださいね!

◆キーワード一覧◆

 卒業論文のテーマにおけるキーワードは以下の通り。一覧で見ると多岐に渡っているのがわかります。
 クリックするとその目次を見ることができます。

・路上コミュニケーション ・書体 ・アニメオープニング
・「まつり」 ・伊集院光 ・同人活動(東方)
・テーマパーク(ディズニーランド) ・ナンシー関 ・コスプレ
・犬を飼うこと ・新新宗教(幸福の科学) ・ボーイズラブ

◆卒論要約・目次◆

※全ての文書の無断転載・引用を禁じます。

◇路上で井戸端会議が起こるわけ 〜場所-モノ-ふるまいとの関係から〜◇

書き手:ヘルプデスク(書記)

■要約

 本論文は、なぜ路上で滞留の場が起こるのかを明らかにするためのものである。
 路上は安全・円滑な交通のためにつくられており、そこで人は知らず知らずのうちにふるまいかたを定められている。しかし、路上でできることはそれだけではないのではないか。たとえば、立ち止まって話をしたり飲み食いをしたりする場にもなる。そのようなことが起こるには何か原因があるのだろうか。
 その理由を調べるために、実際に路上に出て滞留の場をスケッチするというフィールドワークを行った。本論文は、そこで得られたスケッチを中心の資料として進めていく。そこでの路上のおける人々の滞留の場を「場所」、「路上に設置してあるモノ」、「人のふるまいかた」の3つの関係の中に位置づけ分析していく。そして、それらを「路上に設置してあるモノ」と「人のふるまいかた」という2つの視点からみることで、なぜ人々が路上で滞留するのかを明らかにする。


■目次

 第1章 序論
      1-1 テーマ決定へのいきさつ
         1-1-1 私の体験談
         1-1-2 テーマ決定へ
      1-2 路上へのアプローチ
      1-3 どのように論を進めていくか
 
 第2章 フィールドワークの報告
      2-1 フィールドワークの目的・対象、範囲
      2-2 ルポルタージュ
         2-2-1 身近な場所で
              2-2-1-1 死んだスズメをめぐって
         2-2-2 銀座
              2-2-2-1 路上肩もみ屋
         2-2-3 渋谷
              2-2-3-1 自転車旅行者
         2-2-4 新橋
              2-2-4-1 靴磨き屋のおばあさん
         2-2-5 神田、日本橋
         2-2-6 自転車で行く
              2-2-6-1 住宅街で職務質問まがいをされる
         2-2-7 行く先々で出会った光景
              2-2-7-1 駒場東大前
              2-2-7-2 恵比寿駅前
              2-2-7-3 新宿
              2-2-7-4 月島〜築地
              2-2-7-5 銀座
              2-2-7-6 池袋
     2-3 まとめ
      2-3-1 場所-モノ-ふるまいのなかに位置づける

 第3章 ふるまいの視点
      3-1 「ふるまい」の視点から
         3-1-1 座る
         3-1-2 遊ぶ
         3-1-3 話す
          3-1-4 見る
         3-1-5 挟まれる

 第4章 モノの視点
      4-1 「モノ」の視点から
         4-1-1 ガードレール
         4-1-2 階段
         4-1-3 縁石、段差
         4-1-4 柵・手すり、堤防
         4-1-5 看板、道路標識(案内標識)、電信柱
         4-1-6 横断歩道

 第5章 結論
      5-1 本論を通してわかったこと
          5-1-2 人として見る
      5-2 この論文を通して

 参考文献・HP・資料
 付録

Page Top↑
Page Back→

◇アニメオープニング単体考−その演出法と変遷−◇

書き手:HP作成班

■要約

 昨今盛り上がりをみせているいわゆる「オタク文化」。アニメやゲーム、コミックなどに代表されるそれは、私にとって物心ついた時から身近なものであった。今回の論文では是非そこに関わるものを取り上げたいと思い、アニメの冒頭につけられたオープニング映像とアニメソングに着目することにした。
 序論では私がこのテーマを選択した理由とそれらについての簡単な説明を行い、本論二章からはアニメオープニング映像の歴史と、現在アニメと楽曲の制作に関わっている作り手たちについて簡単に触れる。そして本論の柱となる三章では具体的な作品を取り上げ、同期された楽曲のパート別に映像演出の分析を行う。分析は映像のショットごとに絵コンテを作成し、映像技法を書き出した後、シーンやシークエンスごとにまとめて演出の意図を導き出すという方法をとった。そこから得られた事をもとに四章では現在私たちがアニメのオープニングやアニメソングに接する環境について特筆すべきいくつかの事例を挙げ、それらが一体どのような形で消費されているのかを明らかにし、最後の五章にて結論を述べる。


■目次

 第1章 序論
      1-1 このテーマを選んだ理由
      1-2 アニメのオープニングとは
      1-3 アニメソングとは
      1-4 論の方向性

 第2章 アニメオープニング・アニメソングの歴史と現在
      2-1 アニメオープニングのあゆみ
          2-1.1 テレビアニメ開始以前のアニメ映画において
          2-1.2 テレビアニメにおいて
               2-1.2.1 一九六三年〜六五年
                2-1.2.2 一九七〇年・七五年
               2-1.2.3 一九八〇年・八五年
                2-1.2.4 一九九〇年・九五年
               2-1.2.5 ニ〇〇〇年・〇三年
      2-2 現在の状況 
          2-2.1 アニメ業界について 
          2-2.2 アニメソングについて
               2-2.2.1 主な音楽作家とレーベル
               2-2.2.2 タイアップ曲の歴史としくみ
          2-2.3 アニメオープニングの作られ方 

 第3章 アニメオープニングの具体的作品分析
      3-1 分析の前に
          3-1.1 分析の目的・方法・意味
          3-1.2 アニメ番組と曲の構成
          3-1.3 アニメオープニングのフォーマット
               3-1.3.1 作品ジャンルによる違い 
               3-1.3.2 ストーリー連続型作品と一話完結型作品の違い 
               3-1.3.3 説明パートがついているもの 
      3-2 楽曲パート別分析
          3-2.1 Aメロ前までの部分
          3-2.2 Aメロ部分
          3-2.3 Bメロ部分
          3-2.4 サビ部分
          3-2.5 楽曲の終わり部分
      3-3 リニューアル分析
          3-3.1 ストーリー連続型作品において
          3-3.2 一話完結型作品において
      3-4 分析まとめ
          3-4.1 映像的工夫
               3-4.1.1 映像と曲の同期
               3-4.1.2 映像の一貫性 
          3-4.2 分析を通して分かったこと 

 第4章 多様化するアニメオープニング・アニメソングとの接し方
      4-1 インターネット
      4-2 アニソン関連イベント
      4-3 カラオケ
      4-4 その他

 第5章 結論

 ・参考文献
 ・参考URL
 ・参考映像資料

Page Top↑
Page Back→

◇魔法の国のカラクリ〜東京ディズニーランドにおけるエントランスの儀礼性〜◇

書き手:合宿係

■要約

 「現実逃避」をしたいと考えた時、私たちは様々な方法で現実から離れ、普段と違った行為をする事で日常からリフレッシュしようとする。私にとっては、それが東京ディズニーランドであった。では、どうやって人は「現実」から離れることが出来るのだろうか。東京ディズニーランドと現実世界を隔てるものがあるのか。それはどういった仕組みで出来ているのか。本書ではそれらを解き明かしていく。その為に現地へ赴き、実際に東京ディズニーランドと現実世界を隔てるエントランス周辺を調べた。他に「東京ドームシティ」と「コンサート会場」を調べ比較する。
 三点からの分析で分かったことは、何かものとものを隔てる場所には必ず「境界」が存在する事。そして「境界」を作るには「儀礼」行為が必要だという事であった。東京ディズニーランドにもそれらは存在していた。儀礼に必要な仕掛けはどのようなものか。調査より儀礼行為の仕組みには「もの」と「ひと」の「動き」が必要だと知れた。その結果、自身の分離と統合を繰り返し、人々は「境界」を越えるのであった。東京ディズニーランドはこの「儀礼」と「境界」を上手く活用する事によって、私達を現実から放す事に成功していたのであった。


■目次

 第一章 序論
      1-1 何故東京ディズニーランドなのか
      1-2 境界に注目した理由
      1-3 境界を調べる手順

 第二章 ディズニーについて
      2-1 ディズニーの歴史
          2-1.1 すべてのはじまり
          2-1.2 仕事を始める
          2-1.3 ディズニーランドのテレビの歴史
      2-2 ディズニーランドの歴史
          2-2.1 一番初めのディズニーランド
          2-2.2 ディズニーランドとミッキーマウス
          2-2.3 ディズニーワールドの建設
      2-3 日本のディズニーリゾート
          2-3.1 東京ディズニーランド建設
          2-3.2 東京ディズニーシー
          2-3.3 ディズニーランドからディズニーリゾートへの変化

 第三章 ディズニーランドの入口
      3-1 ウォルトの作ったディズニーランドの入口
      3-2 東京ディズニーランドの入口
          3-2.1 舞浜駅
          3-2.2 ホーム
          3-2.3 駅構内
          3-2.4 改札外
          3-2.5 歩道橋
          3-2.6 エントランス
          3-2.7 駐車場
          3-2.8 ディズニーランド系統バスターミナル
          3-2.9 タクシー乗り場・駐輪所
          3-2.10 エントランス全体感
      3-3 人の動き

 第四章 比較
      4-1 東京ドームシティの入口
          4-1.1 最寄り駅
          4-1.2 チケット売り場
          4-1.3 アトラクション
          4-1.4 ショップ
          4-1.5 BGM・音・声
          4-1.6 東京ドームシティ(全体感)
          4-1.7 人の動き
      4-2 コンサート会場
          4-2.1 交通手段
          4-2.2 グッズ販売
          4-2.3 入場口
          4-2.4 人脳動き

 第五章 境界
      5-1 境界とは
          5-2 境界と儀礼
          5-3 東京ディズニーランドの通過儀礼
          5-4 東京ドームシティの通過儀礼
          5-5 横浜アリーナの通過儀礼

 第六章 三点から見えてくるもの
      6-1 三点の共通点と相違点
      6-2 本書から見えたもの

 参考文献
 参考URL

Page Top↑
Page Back→

◇なぜ犬を飼うのか?〜『愛犬の友』に見る犬と人の関係史〜◇

書き手:合宿係

■要約

 何故、人は犬を飼うのだろうか。犬のいる生活を求める動機や理由を知る為このテーマを設定した。テーマへのアプローチとして、2002年に創刊50周年を迎えた『愛犬の友』を創刊号から見ていく。1952年から1999年までの間を草創期から横ばい期まで時代区分していき、人と犬の関係がどの様に変化していったかを調べていく。また、雑誌『いぬのきもち』と比較することで『愛犬の友』が犬の世界においてどの様な立ち位置にいるのかも明確にする。以上の分析から分かった事は、「犬を飼う」ことが犬と人の付き合い方の中のひとつであるという事だ。様々なメディアが犬のイメージ向上を図り、「犬を飼う」ことで家族の一員としての癒しをくれるというイメージが作り出された。その結果、人々はそのメディアに取り込まれる様に、犬のいる生活に憧れを抱くのである。本論文の反省点は、参考文献を『愛犬の友』に絞った為資料の多面性が損なってしまったことだ。犬を飼っていない第三者の視点や、新聞その他雑誌を参照するべきであったと考える。


■目次

 第1章 序論
      1.1 何故、「犬を飼うこと」をテーマに決めたのか
      1.2 「犬の飼い主」とは何か
      1.3 人と犬の関係の変化

 第2章 草創期・犬界の起こり(1952年1月号〜1956年12月号)
      2.1 雑誌『愛犬の友』創刊
      2.2 展覧会を目指す人々
      2.3 犬のイメージは変えられるのか
      2.4 『愛犬の友』から見た草創期

 第3章 発展期T・論争時代(1957年1月〜1963年3月)
      3.1 論争の起こり
      3.2 「愛犬家」という存在
      3.3 『愛犬の友』という存在
      3.4 論争がもたらしたもの

 第4章 発展期U・外から見た犬界(1963年4月〜1971年3月)
      4.1 様々なフィルター
         4.1.1 海外の様子
         4.1.2 映画やテレビなどのメディア
      4.2 当時の国内の実情
      4.3 飼い主の心情

 第5章 確立期・形成される犬界(1971年4月〜1989年12月)
      5.1 「犬を飼うこと」の定着
      5.2 一般社会からの認知
      5.3 定着しつつある犬との遠出
      5.4 お犬様現象の顕現
      5.5 何故今自らを振り返るのか
         5.5.1 25年前の愛犬の友を振り返るT
         5.5.2 25年前の愛犬の友を振り返るU
         5.5.3 25年前の愛犬の友を振り返るV
         5.5.4 25年前の愛犬の友を振り返るW
         5.5.5 1971年の愛犬の友を振り返る
         5.5.6 1959年の愛犬の友を振り返る
         5.5.7 1956年の愛犬の友を振り返る

 第6章 横ばい期・進歩がもたらしたもの(1990年1月〜1999年12月)
      6.1 ペットブームがもたらした闇
         6.1.1 増える動物への虐待
         6.1.2 捨て犬の増加
         6.1.3 投稿から見る当時の問題
      6.2 犬と人の付き合い方
         6.2.1 成長し続ける市場とそれに対する反応
         6.2.2 犬との付き合い方

 第7章 区分全体を通して
      7.1 犬界の47年間
      7.2 趣味と実益の両立
      7.3 「犬を飼う」イメージ

 第8章 『愛犬の友』と他雑誌の区別
      8.1 国内における犬の雑誌の流れ
      8.2 『愛犬の友』と『いぬのきもち』
      8.3 『愛犬の友』との違い

 第9章 なぜ、犬を飼うのか
      9.1 『愛犬の友』が示してきたこと
      9.2 本論文を通して
      9.3 何故、人は犬を飼うのか

 参考文献
 参考URL
 雑誌比較年表

Page Top↑
Page Back→

◇「同人作家」達の生態 ―東方プロジェクトを事例に―◇

書き手:コンシェルジュ

■要約

 この論文は、同人作家と呼ばれる人たちの生態、つまりどのような生き方をしているのかまとめたものである。その様な人たちが出現した経緯や、彼らの描く物語、また本人へのインタビューから、その人たちの事を解き明かしていく。また、同人誌というジャンルでは大きすぎるので、東方Projectというジャンルに絞ってまとめて書く。
 第1章では、序論として自分がこのテーマを芸術学科メディア系列の卒業論文として選んだ理由を書く。
 第2章では同人誌の基本的なことを説明し、同人誌というもの改めてまとめている。
 第3章では同人誌即売会の一番大きなイベントである「コミックマーケット」の歴史を説明している。また歴史の説明では、コミックマーケットの理念や傾向、問題点が、歴史の流れでどう変わったか書いている。
 第4章では東方Projectの事を説明し、またその製作の事をまとめている。
 第5章では東方Projectの二次創作の話について、その話の傾向と中身について説明している。
 第6章では同人作家へインタビューして感じた事と、論文全体のまとめとして私の感じた疑問の答えを書いている。


■目次

 1 序論
   1-1 同人活動を書く卒論について
      1-1-1 マンガと自分
      1-1-2 なぜマンガを描くのか
      1-1-3 卒業論文で自分が書くこと
      1-1-4 何故東方系同人サークルなのか

 2 同人誌とは
   2-1-1 同人誌とは
   2-1-2 即売会
   2-1-3 同人誌で基本的なこと
        2-1-3-1 一般参加とサークル参加と準備会スタッフ
        2-1-3-2 同人誌の種類
        2-1-3-3 同人誌の購入
   2-1-4 同人誌と商業誌の違い
   2-1-5 二次創作とは
   2-2 実際に行っている活動

 3 コミックマーケットとは
   3-1 コミックマーケットとは
   3-2 コミックマーケットの歴史
       3-2-1 コミックマーケット発足まで1966年〜1975年
       3-2-2 初期のコミックマーケット 1975年〜1981年(C1〜C18)
       3-2-3 第一期晴海 1981年〜1986年(C19〜C30)
       3-2-4 TRC・第二期晴海・幕張 1986年~1990年(C31〜39)
       3-2-5 第三期晴海 1991年〜1995年(C40〜C49)
       3-2-6 第一期有明 1996~1999(C50〜C57)
       3-2-7 第二期有明 2000〜(C58)

 4 東方Projectとは
   4-1 東方Projectとは
   4-2 東方Projectの歴史
   4-3 東方を作ったZUN
   4-4 東方らしさ
   4-5 類似したブームの廃れ

 5 活動している人の二次創作
   5-1-1 カップリング
   5-1-2 お話の傾向
        5-1-2-1 「話」の補完 
        5-1-2-2 「世界」の補完
        5-1-2-3 「キャラクター」の補完
        5-1-2-4 「性描写」の補完
        5-1-2-5 まとめ
   5-2 東方におけるスピンオフと二次創作

 6 東方で活動している人の生態
   6-1 二次創作を作る上での東方の魅力とは
   6-2 東方を描く理由
       6-3-1 知名度やお金が欲しい
       6-3-2 自由な世界観で自分の描きたいものがかける
   6-4 売れるという事
   6-5 まとめ

Page Top↑
Page Back→

◇新宗教のメディア活用―幸福の科学を事例に―◇

書き手:会計係

■要約

 この論文は、宗教団体「幸福の科学」に所属して生活してきた筆者が、執筆を通して団体を外側から捉えなおすという試みである。
 第1章では、序論として、芸術学科メディア系列の卒業論文としてこのテーマを選んだ理由と、「幸福の科学」を「新宗教」と位置付ける宗教体系、そして本論でどのように「幸福の科学」を取り囲む「もの」を見ていったかを説明する。
 第2章では、宗教団体としての「幸福の科学」とは何かについて、信者側からどう見えるのかと、世間からはどう見えるのかの2つの視点から説明する。
 第3章はルポルタージュとして、実際に「幸福の科学」の施設である「精舎」に足を運び、「もの」を記録していった過程で、筆者の視点が変化していった様子を書きだす。
 第4章では、「幸福の科学」の「もの」リストとして、筆者の記録した「もの」を図版付きで説明し、それらのフォーメーションを明らかにする。
 第5章では「結論」として、全体を振り返り、自分の取り組みの至らぬ点を明らかにした後、現時点で「幸福の科学」について何が言えるかをまとめる。


■目次

 第1章 序論
      1-1 私がこのテーマを書く理由
          1-1-1 なぜ「幸福の科学」か
          1-1-2 なぜ「もの」なのか
      1-2 「新新宗教」としての「幸福の科学」
          1-2-1 「既成宗教」と「新宗教」
          1-2-2 「新新宗教」とその研究の担い手
          1-2-3 同義とされる「新宗教」と「新新宗教」
          1-2-4 「カルト」、そして「カルト問題」とは何か
      1-3 「新宗教」の活用するメディアとしての「もの」
          1-3-1 「幸福の科学」の「もの」
          1-3-2 どうやって「もの」を見ていくか

 第2章 幸福の科学とは
      2-1 内側から見た「幸福の科学」
          2-1-1 大川隆法という人物の描写
          2-1-2 内側からの「歴史」
          2-1-3 「幸福の科学」の世界観
               2-1-3-1 「エル・カンターレ」と「地球の誕生」
               2-1-3-2 「地獄」と「人類の使命」
          2-1-4 基本的教義内容
      2-2 外から見た「幸福の科学」
          2-2-1 数年で大教団へ(派手なパフォーマンス)
          2-2-2 特殊な会員制度と反映された学歴主義
          2-2-3 『フライデー事件』(マスコミと幸福の科学)
          2-2-4 他宗教との関係
               2-2-4-1 生長の家と幸福の科学
               2-2-4-2 GLA(ジー・エル・エー総合本部)と幸福の科学
               2-2-4-3 幸福の科学の邪教批判
          2-2-5 強まる「宗教色」

 第3章 ルポルタージュ
      3-1 本部と連絡を取る
          3-1-1 本部の電話に出た女性
          3-1-2 広報局のKさんと知り合う
      3-2 精舎『東京正心館』へ(2009年11月6日金曜日15時〜)
          3-2-1 東京正心館の礼拝堂
          3-2-2 撮影開始
          3-2-3 小林さんと初対面
          3-2-4 食堂という場所
          3-2-5 小林さんの話
                3-2-5-1 「密なる物」のつくられる「密なる場所」
                3-2-5-2 法具とグッズの違い
                3-2-5-3 精舎ごとのコンセプト
                3-2-5-4 奉納による本の購入
          3-2-6 私から見た友人の様子と、友人から見た私の様子
      3-3 新宿精舎へ(2009年11月23日火曜日17時15分〜)
          3-3-1 撮影開始
          3-3-2 「夕べの祈り」を体験
          3-3-3 新宿精舎で会った人と、新宿精舎での自分を振り返って
      3-4 渋谷精舎へ(2009年11月25日水曜日14時〜)
          3-4-1 職員M氏との初対面
          3-4-2 渋谷精舎の礼拝室
          3-4-3 館内の人の様子
          3-4-4 「奉納箱」や「設置型祭壇」の観察
          3-4-5 フレンドリーなM氏の話
                3-4-5-1 精舎オリジナルか、支部用か
                3-4-5-2 御本尊の変化
                3-4-5-3 防犯カメラなどの機具の話
                3-4-5-4 その他の話
          3-4-6 渋谷精舎での自分を振り返って
      3-5 箱根精舎へ(2009年12月3日木曜日13時30分〜)
          3-5-1 館内の人
          3-5-2 ペガサスのモチーフのグッズなど
          3-5-3 箱根精舎の礼拝堂
          3-5-4 お手洗い
          3-5-5 2階の特徴的な施設
          3-5-6 宿泊部屋のある3階
          3-5-7 特別祈願室
          3-5-8 箱根精舎での自分を振り返って
      3-6 千葉正心館へ(2009年12月4日金曜日)
          3-6-1 シャトルバスに乗って
          3-6-2 到着
          3-6-3 食堂
          3-6-4 エル・カンターレ像のエピソードをめぐって
          3-6-5 礼拝堂の特徴
          3-6-6 「ガン細胞が消滅する」特別祈願
          3-6-7 恵比寿像の奇跡のエピソード
          3-6-8 境界線の意識
          3-6-9 会員男性と長時間の会話
          3-6-10 屋外などを見てまわる
          3-6-11 チーフMさんとのやりとり
          3-6-12 千葉正心館での自分を振り返って
      3-7 総本山・未来館へ(12月19日土曜日午前10時〜)
          3-7-1 エントランスから2階へ
          3-7-2 開かれた受付
          3-7-3 5階まるごと祈願室
          3-7-4 4階と3階の様子
          3-7-5 食堂
          3-7-6 外へと追いやられたもの
          3-7-7 目に着く「手に入るもの」
          3-7-8 まとめて質問
          3-7-9 未来館での私と友人を振り返って
      3-8 総本山・正心館へ
          3-8-1 宿泊手続き
          3-8-2 受付の女性の話
          3-8-3 大学の先輩を発見
          3-8-4 礼拝堂
          3-8-5 食堂
          3-8-6 居づらい部屋
          3-8-7 ネパール釈尊館
          3-8-8 夕食
          3-8-9 その他 
          3-8-10 Yさんとの再会
          3-8-11 Tおばあさんに似た人
          3-8-12 明け方の館内散策
          3-8-13 作務と朝食
          3-8-14 朝の祈り
          3-8-15 宇都宮正心館での私と友人の様子
      3-9 総本山・日光精舎へ
          3-9-1 礼拝堂
          3-9-2 撮影開始
          3-9-3 再び1階へ
          3-9-4 庭へ
          3-9-5 子ども
          3-9-6 帰りのバスにて
      3-10 総本山・那須精舎へ
          3-10-1 運転手との会話
          3-10-2 明らかに違う雰囲気の精舎
          3-10-3 つまり、葬式所
          3-10-4 Tおばあさんの墓をめぐる困惑
          3-10-5 帰りのバスでの話

 第4章 幸福の科学の「もの」リスト
      4-1 建物
          4-1-1 精舎
          4-1-2 支部
      4-2 祭壇
          4-2-1 設置型祭壇
          4-2-2 空間型祭壇
      4-3 祭壇の中央のもの
          4-3-1 御本尊(代理本尊・御身影)
                4-3-1-1 第1期「愛・知・反省・発展バージョン」
                4-3-1-2 第2期「白法衣バージョン」
                4-3-1-3 第3期「スーツに袈裟バージョン」
                4-3-1-4 第4期「大法輪バージョン」
          4-3-2 エル・カンターレ像
                4-3-2-1 基本型エル・カンターレ像
                4-3-2-2 精舎オリジナルのエル・カンターレ像
      4-4 祭壇を囲むもの
          4-4-1 法鈴(ほうれい)
          4-4-2 ケリューケイオンの杖・降魔の剣(ステッキバージョン)
          4-4-3 ケリューケイオンの杖・降魔の剣(クリスタルバージョン)
          4-4-4 正心鏡(しょうしんきょう)
          4-4-5 正心宝
          4-4-6 奉納箱・植福の卵
          4-4-7 吉祥法印
      4-5 お守り
      4-6 共通グッズ
          4-6-1 筆記用具系
          4-6-2 聖使命貢献グッズ
          4-6-3 映画『仏陀再誕』グッズ(支部・精舎用)
      4-7 精舎限定グッズ
      4-8 その他のグッズ
          4-8-1 ヘルメスのサンダルのエンブレム
          4-8-2 一転語
          4-8-3 百歳まで生きる会の看板

 第5章 結論
      5-1 本論の不十分と思われる点
      5-2 ルポルタージュを通して
          5-2-1 テーマパークと幸福の科学の施設
          5-2-2 幸福の科学の「もの」
          5-2-3 不完全さも「完璧」に見立てる
          5-2-4 最果ての「もの」

Page Top↑
Page Back→

◇「まつり性」の正体〜祭りとイベントの現場から〜◇

書き手:レクリエーション係

■要約

 毎年行われる伝統的な祭りや季節ごとのイベントをはじめ、私たちのまわりは催し物であふれている。そこで共通していることは「ある一定の時間、ひとが集まり同じ空間を共有する」ということだ。そして催し物には主催するひとがいる。主催者はなぜこういった場を作り出すのか。何が彼らをそうさせるのか。一方、祭りやイベントの持つ興奮的側面を強調し、見物者がそれを非日常への道具として用いている傾向がある。現代の祭りやイベントが私たちの日常の生活にもたらす機能は一体何なのだろうか。
 著者は自らが心を奪われる空間、瞬間、場を「まつり」とし、それを明らかにすることを課題とした。この論文では「まつり」を感じた祭りやイベントを取り上げそれ自体、さらにそれを取り巻く事柄を調べていく。祭りやイベントを成り立たせている主催者と見物者という2つの視点から、疑問や関心を解き明かし、そこにある「まつり性」が一体何なのか明らかにする。


■目次
 第1章 序論
      1.1 なぜ「まつり」なのか
      1.2 一般的な意味においての祭りとはなにか
      1.3 祭りについての先行研究
      1.4 著者にとって「まつり」とはなにか
      1.5 著者の関心と論文
      1.6 論の進み方

 第2章 「まつり」としての「宮下公園サマーフェスティバル」
      2.1 なぜ「宮下公園サマーフェスティバル」なのか
      2.2 「宮下公園サマーフェスティバル」とは
         2.2.1 概要
         2.2.2 「ストリート研究会」について
         2.2.3 当日の様子
         2.2.4 その後の活動
      2.3 主催者「みんなの宮下公園をナイキ化計画から守る会」
         2.3.1 概要
         2.3.2 発足経緯
         2.3.3 会員(246表現者会議)
         2.3.4 活動
         2.3.5 宮下公園のナイキ化問題と「守る会」
      2.4 宮下公園について
         2.4.1 概要
         2.4.2 歴史
         2.4.3 宮下公園の利用
      2.5 「宮下公園サマーフェスティバル」とは何だったのか
         2.5.1 宮下公園でフェスティバルをやるということ
         2.5.2 「宮下公園問題」から「宮下公園サマーフェスティバル」
         2.5.3 「守る会」/市民のわきあがる力
         2.5.4 わたしの見た「まつり」

 第3章 「まつり」としての「remoscope workshop in 戸越銀座」
      3.1 なぜ「remoscope workshop in 戸越銀座」なのか
      3.2 「remoscope workshop in 戸越銀座」とは
         3.2.1 概要
         3.2.2 当日の様子
         3.2.3 参加者の声
      3.3 「remoscope workshop」とは
         3.3.1 概要
         3.3.2 始まった背景・経緯
         3.3.3 これまでのremoscope workshop
      3.4 NPO法人 記録と表現とメディアのための組織「remo」
         3.4.1 概要
         3.4.2 発足経緯
         3.4.3 組織形態
         3.4.4 活動
         3.4.5 remo*TOKYO
      3.5 「remoscope workshop in 戸越銀座」を組み立てる
         3.5.1 準備の様子
         3.5.2 企画者の当日の様子
         3.5.3 その後
      3.6 「remoscope workshop in 戸越銀座」とは何だったのか
         3.6.1 イベントの流れ/形式
         3.6.2 主催者の意図と参加者の得るもの
         3.6.3 企画者として、参加者として
         3.6.4 どう「まつり」なのか

 第4章 2つの「まつり」から見る「まつり性」
      4.1 「まつり」からわかったこと
      4.2 内側と外側の境
      4.3 「まつり性」/「まつり」の要素

 第5章 結論
      5.1 見えてきたもの
      5.2 これからどう進むのか
      5.3 「まつり」と向き合う

 図版
 付録
 参考資料一覧

Page Top↑
Page Back→

◇ページに並ぶ透明な顔〜精興社と精興社活字からよみとく書体〜◇

書き手:スケジュール管理(マネージャー)

■要約

 文章を目で追う際、読者は、そこに書かれている「内容」に着目する。しかし、目に映っているはずの、頁に並ぶ文字の形は気にもとめない。実際、そこに印刷され、目に映っているにも関わらず、文字の形、「書体」は透明になっている。この状態を生み出す性質を、書体の「透明性」とした上で、それを少しでも明確に捉えるため、書体について読み解いていく。
 本論は、二つの切り口から文章に用いられる本文書体について読みとく。一つ目の切り口は、印刷技術の変遷である。この歴史をみていきながら書体の変遷をおさえていく。二つ目の切り口は印刷会社、精興社である。精興社は、戦前から現代まで、本文印刷を主として操業しており、独自の書体である「精興社書体」を持っている。精興社の歴史をひもときつつ、「精興社書体」が作られた背景から「書体」について押さえていく。 この二つの切り口から読みといた「書体」から、明らかになったことを整理し、その上で書体の持つ透明性について考察する。


■目次

 第1章 序論
      1-1 なぜ書体なのか
          1-1-1 なぜ「書体」なのか
          1-1-2 興味を持ったきっかけと対象
          1-1-3 書体とは何か
          1-1-4 何を論じたいのか
      1-2 なぜ精興社なのか
          1-2-1 精興社という切り口
               1-2-1-1 精興社について
               1-2-1-2 精興社を選んだ理由
          1-2-2 精興社書体について
 第1章 図版

 第2章 印刷、出版の歴史から、読みとく書体
      2-1 受け手との関係からの書体の分類
          2-1-1 読む書体と見る書体
          2-1-2 本文書体について
      2-2 西洋における印刷の歴史、書体の歴史
          2-2-1 活版印刷以前
               2-2-1-1 紙以前
               2-2-1-2 写本
          2-2-2 活版印刷
               2-2-2-1 活版印刷の起源と仕組み
               2-2-2-2 グーテンベルクと42行聖書
               2-2-2-3 欧文書体の変遷
          2-2-3 活版印刷以外の印刷
               2-2-3-1 木版印刷
               2-2-3-2 オフセット印刷の起こりと仕組み
      2-3 日本の印刷の歴史、書体の歴史
          2-3-1 日本の活版印刷
          2-3-2 本木昌造以前
          2-3-3 本木昌造
          2-3-4 本木昌造以後
          2-3-5 日本の草創期の書体
          2-3-6 日本の活版印刷以後 写真植字と現代の印刷
 第2章 図版

 第3章 精興社から読みとく書体
      3-1 精興社について
          3-1-1 歴史
               3-1-1-1 東京活版所時代(1913年〜1924年)
               3-1-1-2 合資会社精興社(1925年〜1945年)
               3-1-1-3 精華堂工場(1932年建設)
               3-1-1-4 大戦下の精興社
               3-1-1-5 戦後の精興社 大化堂から精興社へ(1946年〜1952年)
               3-1-1-6 新しい印刷技術の導入(1952年〜)
               3-1-1-7 現在の精興社
      3-2 創業者、白井赫太郎
          3-2-1 生い立ち
          3-2-2 人柄、性格
      3-3 精興社と岩波書店
          3-3-1 岩波書店の歴史
          3-3-2 精興社と岩波書店
      3-4 精興社書体とは
 第3章 図版

 第4章 結論
      4-1 この論文で明らかにしたかったこと
      4-2 何が明らかになったのか
          4-2-1 書体の透明性と可読性
          4-2-2 本文書体が透明ではない瞬間
      4-3 明らかに出来なかったこと
      4-4 不充分な箇所
      4-5 新たな疑問と暫定的な考察

 参考文献一覧

Page Top↑
Page Back→

◇「深夜の馬鹿力」の力加減〜なぜ私は伊集院光のリスナーをやめられないのか〜◇

書き手:レポート回収係

■要約

 ここ数年の習慣として毎日欠かさずに『伊集院光の深夜の馬鹿力』というラジオ番組を聴いている。なぜ伊集院光のラジオが好きでリスナーをやめられないのかということを、伊集院光という人の考え方やものの見方、ラジオにおけるスタンス、おもしろいと感じていること、そして『深夜の馬鹿力』がこんなにも自分の日常に溶け込み、伊集院光に絶対的な信頼を抱けるそのしくみという視点から調べていく。方法として、過去の雑誌で取り上げられた伊集院のインタビュー記事や『深夜の馬鹿力』の番組内容を分析し、その特徴を明らかにする。そして『深夜の馬鹿力』というラジオを聴いている自分のふるまい、「見つめない」ということに注目して考察していく。この2つの側面からの考察によって、ラジオを聴き続けるその理由を明らかにする。


■目次

 第1章 序論
      1.1 卒論のテーマが決まるまで
      1.2 『伊集院光の深夜の馬鹿力』と私
      1.3 伊集院光の何を書くか
      1.4 どのように論を展開していくか

 第2章 ラジオパーソナリティ伊集院光
      2.1 パーソナリティ前史
      2.2 ラジオパーソナリティとしての歴史
         2.2.1 1980年代
         2.2.2 1990年代
         2.2.3 2000年代
      2.3 タレントとしての伊集院光
      2.4 伊集院光のイメージ

 第3章 深夜ラジオと伊集院光
      3.1 『伊集院光の深夜の馬鹿力』とはどういう番組か
         3.1.1 番組構成
         3.1.2 フリートーク
         3.1.3 コーナー

 第4章 『伊集院光の深夜の馬鹿力』の特徴
      4.1 トーク
      4.2 伊集院光の「真の」人物像を知ることができる
      4.3 「私たち」という意識空間が形成される

 第5章 『深夜の馬鹿力』を聴くときのふるまい
      5.1 ラジオを聴くこと
      5.2 ラジオの聴き方
      5.3 深夜ラジオの歴史
      5.4 「見つめない」ということ
      5.5 「見る」ことから「見ない」を考える

 第6章 だからリスナーはやめられない
      6.1 明らかにしたかったこと
      6.2 伊集院光の視点
         6.2.1 違和感
         6.2.2 言葉からイメージをふくらませていく
         6.2.3 ツッコミ
         6.2.4 自虐
      6.3 信頼の在処

 註釈
 参考文献

Page Top↑
Page Back→

◇ナンシー関の視点〜ナンシー関の全書籍から見る視点の特徴〜◇

書き手:鍵係

■要約

 これはイラストレーターにしてコラムニストでもあるナンシー関についての論文である。彼女のすべての書籍を見ることで、そのものの見方を明らかにすることを趣旨とする。それにあたり、まずナンシー関の生涯を追い、その著作の中で何をいっているのかを詳細に見ていく。テレビや芸能人についてのコラムを非常に多く書いているため、テレビや芸能人をどのように見て、どのように批評していたかを読み解くことに重きを置く。そこから抽出した視点「意味を読みかえる」「視野の広さ」「世間の評価を疑う」について具体例を挙げながら説明する。またそれをほかの人の著作と比較し、特徴をより明確にさせる。比較には、アイドルの木村拓哉についての記事を用いる。結論部分では、ナンシー関のもつ視点がメディア論的であることを述べ、さらなる考察の可能性として「笑い」が起こるしくみとの関係を考えることができるのではないかということを示す。また、明確な根拠は示せないが、ナンシー関について思うこと、論文を書くことで自分についてわかったことをまとめる。


■目次
 第1章 序論
      1-1 なぜナンシー関なのか
      1-2 ナンシー関のどんな部分について書くのか
      1-3 本論の構成

 第2章 ナンシー関について
      2-1 本人について
          2-1-1 生涯
          2-1-2 人となり
      2-2 コラムについて
          2-2-1 テレビ以外のコラムの説明
               2-2-1-1 日常について
               2-2-1-2 ルポルタージュ
               2-2-1-3 「記憶スケッチアカデミー」
               2-2-1-4 映画について
               2-2-1-5 雑誌について
               2-2-1-6 小説
               2-2-1-7 その他
          2-2-2 テレビコラムについて
               2-2-2-1 テレビコラムを書く基本姿勢
               2-2-2-2 テレビについての基本的な考え方
               2-2-2-3 芸能人についての基本的な考え方
               2-2-2-4 テレビ番組への批評
               2-2-2-5 芸能人への批評
               2-2-2-6 ナンシー関がテレビに愛想をつかす日
               2-2-2-7 視聴者への批評
               2-2-2-8 まとめ
     2-3 どう評価されていたか
         2-3-1 コラムニスト、テレビ批評家として
         2-3-2 コラムニスト、テレビ批評家を超えて

 第3章 ナンシー関の視点
      3-1 意味の読みかえ
          3-1-1 送り手の意図と違う見方をする
          3-1-2 記号的に見る
      3-2 視野を広げる
          3-2-1 関係性を見る
          3-2-2 自分を含めて見る
               3-2-2-1 関係性の中の自分
               3-2-2-2 文章の中の自分
      3-3 世間の評価を疑う
          3-3-1 全部同じ地平で見る
          3-3-2 穴をあける

 第4章 ほかの人との比較、木村拓哉についての文章から
      4-1 ナンシー関以外の視点
          4-1-1 「カッコイイ」を根底においた見方
          4-1-2 「カッコイイ」を否定する見方
      4-2 ナンシー関とそれ以外との視点の比較
      4-3 まとめ

 第5章 ナンシー関の片鱗
      5-1 メディア論的ナンシー関
      5-2 「笑い」との関係の考察の可能性
      5-3 不十分な点、気付いた点
          5-3-1 本論内で書けていないこと
          5-3-2 気付いた点
      5-3 卒業論文、ナンシー関、私

 参考文献

Page Top↑
Page Back→

◇「永遠の処女」―「ボーイズラブ」への欲求と秘匿―◇

書き手:HP作成班(ブログ管理人)

■要約

 ある対象に愛情や時間、財産といったものを注ぎこむことがある。そして、どこかそのことを【後ろめたい】と思ったり、隠したりする。愛情や時間や財産をかけている時点でその対象には大きな価値を見出しているのに、その対象の説明や価値を付けた理由や意味を何も知らない誰かに話すことが様々な面で難しく感じる。いわゆる「オタク」という人々の心情を筆者はずっと抱えてきた。筆者にとってのその対象とは「ボーイズラブ」のことで、それは男どうしの恋愛を扱う女性向けコンテンツを指している。
 なぜ「ボーイズラブ」を読むことを【後ろめたい】と思い、隠すのか。筆者はそれを、読者が「ボーイズラブ」から何を読み取って、どんな状態にさせられているのかという点から答えを探した。男どうしの恋愛とは女性読者にとって経験可能なものではない。そのため、作中の出来事や人物の感情を自身の内に取り込むことは難しい。しかし、知り得ない感覚というのは逆により深い想像を強いる。また、一時的に読者を何も知らない「処女」の状態にさせるといえるだろう。そのことが、「ボーイズラブ」を読む上での大きな意味になっていると本論文では論じていく。


■目次

 1 序論
   1.1 「ボーイズラブ」への欲求とその秘匿について
   1.2 「ボーイズラブ」とは何か
   1.3 なぜこのテーマを書くことにしたのか

 2 BL前史
   2.1 少年愛
   2.2 JUNE
   2.3 やおい・パロディ(二次創作・同人)

 3 「BL」を冠する女性向けコンテンツ
   3.1 雑誌と書籍
      3.1.1 小説
      3.1.2 マンガ
   3.2 音声と映像
      3.2.1 ドラマCD
      3.2.2 ゲーム・アニメーション・その他

 4 「永遠の処女」
   4.1 「ある事実」を秘匿する―BLを読む、「処女である」
   4.2 「現実の“性体験”のシミュレーションとしてのBL」の再考

 5 タブーについて

 参考文献・URLリスト
 図版出典リスト
 文末註釈

Page Top↑
Page Back→

◇コスプレ三〇年史 1970-2010 〜歴史からコスチュームプレイを捉えなおす〜◇

書き手:ゼミ長

■要約

 コスチュームプレイ、それは衣装を身にまとい演じることを意味する。それが、アニメ―ションや漫画、コンピューターゲーム作品のキャラクターを対象としたときどんな意味を持つのだろうか。いまだ手を付けられていないコスチュームプレイの歴史を編むことで、日本における狭義の意味でのコスチュームプレイについて捉え直すことが本論文の目的である。
 日本のコスチュームプレイは、海外のSFファンによって開催されたSF大会で生まれたマスカレードに端を発し、日本の漫画ファンの祭典であるコミックマーケットとともに成長した。コスプレイヤーの活動、コスチュームプレイ商品の拡大などを背景に、1970年から2010年の三十年間でコスチュームプレイはイベントにおける「晴れ着」という存在からひとつの「表現手段」へと変化したのである。しかし、これらはコスチュームプレイの一面にすぎない。今回の研究の結果として発見できた歴史以外のアプローチから今後更に研究をしていく必要があるだろう。


■目次

 1章 序論
     1-1 コスチュームプレイを捉えなおす
         1-1-1 コスプレと私
         1-1-2 明らかにするべき問題
     1-2 コスプレとは何か
         1-2-1 コスチュームプレイ
         1-2-2 扱うコスプレ

 2章 コスプレの歴史
     2-1 前史(〜1974年)
         2-1-1 SF大会とマスカレード
         2-1-2 コミックマーケット誕生
     2-2 草創期(75〜80年代前半)
         2-2-1 初期コミックマーケット
         2-2-2 晴れ着を求める
         2-2-3 更衣室と規制
     2-3 台頭期(80年代後半〜90年代前半)
         2-3-1 コスプレブーム到来
         2-3-2 冬の時代
         2-3-3 規制の裏側で
     2-4 確立期(90年代後半)
         2-4-1 コスプレブームの産物
         2-4-2 「表現」として―同人誌即売会からの脱却
     2-5 現在(2000年代)

 3章 コスプレに関わるものたち
     3-1 コスプレイヤー
     3-2 コスプレ商品
        3-2-1 衣装
        3-2-2 ウィッグ
        3-2-3 写真―写真集、雑誌
        3-2-4 場所
             3-2-4-1 コスプレ可能イベント
             3-2-4-2 コスプレ主体イベント
             3-2-4-3 プロジエェクトとしてのコスプレ
             3-2-4-5 撮影会
        3-2-5 その他

 4章 結論
    4-1 コスプレの三〇年
    4-2 今後に繋がるアプローチとして

参考文献一覧

Page Top↑
Page Back→